今日も映画を見るぞ
いいですねえ
でもちょっとがっかりしたんだ。ネタバレされちゃった
あらら。どんな内容ですか?
シックス・センスはカイザー・ソゼがいてコバヤシになるんだってさ
ごちゃ混ぜになってますねえ・・・
ネタバレされても映画は楽しめるものですよ
ネタバレ論争も、映画鑑賞においてはネットが発達してからずっとついてまわる論争の一つです。
あなたはこんな経験はありませんか?
- 映画の内容をアップしたところ、核心には触れていないのに「ネタバレだ!」と非難されて不快な気持ちになったことがある。
- 友達と映画のこと話していただけなのに、見ていない人から「ネタバレもう聞きたくない!」と言われて険悪になってしまった。
- 逆に、ネタバレに敏感になりすぎて予告編ですら耳を塞いでしまう。
- SNSを見ていたら不意にネタバレを踏んでしまって、ショックだった。
- 結末を知ったら、映画が楽しめない気がする。
ネタバレには肯定派と否定派というのがいるようです。このようにネタバレが弊害になって映画を楽しめないのでは?と疑問に思っている人も少なくありません。
あえて結論を言わせてもらうと
内容を知ったうえで映画を見るのはむしろ楽しいです。感情移入もしやすくなるし、伏線に気づくことで二度おいしい、さらに有名俳優の演技の妙まで深く堪能できます。
この記事の概要はこれ!こんなことがわかります。
ネタバレをされようが映画は楽しめます。
内容を知っているほうが、むしろ映画鑑賞をより楽しめることが多いです。
ネタバレに敏感になりすぎると、本来の映画鑑賞の楽しさを見逃してしまいます。
なお、ネタバレは映画だけではなくドラマやアニメ、小説や漫画などにも同じような問題があります。この記事ではあくまでも「映画鑑賞において」という趣旨です。ドラマやアニメには当てはまらない内容もあり得ますので、そこを加味して読んでください。
ネタバレはなぜ否定派と肯定派に分かれるのか?
ネタバレをどれだけ気にするか?
まずは、実際にネタバレってどれほどの割合で意識されているのでしょう?
映画のネタバレに対する意識について、日本国内での調査結果があります。
こちらのサイトを参考にしました。
株式会社ロイヤリティマーケティングが2023年8月に実施した「ネタバレ消費に関する調査」によれば、関心の高いコンテンツ(映画、テレビ番組、ゲーム、本など)を楽しむ前にネタバレを「好まない」と回答した人は約50%、一方で「好む」と答えた人は16%でした。
こちらのサイトも参考にしました。
SHIBUYA109 lab.が2022年7月に行った調査では、15~24歳のZ世代の約44%が、作品を楽しむ前にある程度の内容を把握しておく「ネタバレ視聴」を行っていることが明らかになっています。
実際には半々くらいの感覚でしょうか。
これらの調査から、日本においてはネタバレを気にする人が約半数存在する一方で、ネタバレを好む人や、事前に内容を把握してから作品を楽しむ人も一定数いることがわかります。
ただし、これらのデータはあくまでも日本国内のものです。
さらに、漫画アニメ等も含まれていますので、一応参考程度にとらえてもらうのがいいでしょう。
大雑把ですが、やはり半数くらいはネタバレを嫌っています。妥当な結果でしょう。
また、若い世代ではネタバレをあえて確認し、気に入ったものだけを見ようと考えている傾向が多いことがわかります。
いろいろ思うことはあるものの、現代の情報過多の時代ではやはりこうなってしまうわけで、むしろ自然な流れと言えますね。
なぜネタバレ論争が叫ばれるようになったのか?
ネタバレ論争は昔も今もあったのでしょか?ネタバレに対する意識が今ほど大きな問題となったのは、
やはりインターネットの普及が大きく関係しています。
リアルタイムでの情報共有:インターネット、特にSNSの登場により、誰でもすぐに感想を共有できるようになったことが大きな要因。
情報の過多とアクセスの自由:雑誌や新聞の時代に比べて、情報にアクセスする方法が多岐に渡り、その中にネタバレが含まれてしまうことが多くなった。
ファンコミュニティの拡大:ファン同士が集まる場所が増え、意見の対立が表面化しやすくなった。
ネタバレ論争の背景はネットの普及も!?
ネットの普及による情報の即時共有
昔は映画のレビューやストーリーに関する情報を得るには、映画雑誌や新聞、テレビの情報番組などが主な媒体でした。
そのため、情報が限定されていて、読む人も限られていました。ネタバレが問題になるような広範囲での影響は少なかったといえます。
インターネットが普及してからは、情報が瞬時に拡散されるようになりました。
映画が公開されたその日に詳細なレビューや解説がSNSやブログに投稿されるようになり、いつどこでネタバレに遭遇するか予測できなくなったのです。
その結果、ネタバレを防ぐための対策や意識が高まり、ネタバレ論争が激化するようになりました。
SNSの影響
特にSNS(Twitter、Facebookなど)の普及が、ネタバレの問題をさらに深刻化させました。誰もが自由に自分の感想や意見を発信できるようになり、ネタバレに触れてしまうリスクが増えました。
SNSの特性上、フォローしている人や友達が投稿する内容を避けるのは難しいことが多く、映画の結末や驚きのシーンを知らないうちに目にしてしまうケースが増えました。
さらに、SNSでは時折、「リアルタイムでの感想」が求められます。特に人気作品が公開されたり、人気ドラマが放送された直後は、多くの人が盛り上がり、すぐに感想を書き込むため、ネタバレが自然に発生しやすくなります。
コミュニティと文化の変化
映画やドラマのファンコミュニティの存在も、ネタバレ論争の要因の一つです。インターネットの登場によって、ファン同士が簡単に繋がり、映画の内容について深く語り合うことができるようになりました。
こうしたコミュニティでは、早く内容を共有したい派(ネタバレ肯定派)と、内容を知りたくない派(ネタバレ否定派)の間で、意見の衝突が起こりやすくなります。
雑誌でのネタバレの扱い
ネットがない時代でも映画雑誌や評論の中で物語の結末に触れることはありました。
ネタバレに対する配慮
映画雑誌や評論記事では、結末に触れる場合には明示的に注意が払われていたことが多いです。たとえば、「ここから先はストーリーの重要な部分に触れています」といった警告文を使って、読者が選択できるように配慮していました。
ネタバレという言葉自体が今ほど頻繁に使われることはなく、記事のスタイルも「内容の解説」よりも「作品全体の感想や分析」が中心だったため、詳細な部分にはあまり触れないことが多かったのです。
情報量の限界
雑誌や新聞は、情報を定期的に更新するものであり、リアルタイム性がありませんでした。
そのため、新しい映画が公開されても、情報が読者に届くまでに時間がかかることが多く、結果としてネタバレに遭遇する機会が減少していました。
海外での映画評論家でも、ロジャー・イーバートやレナード・マルティンなどの著名な評論家も、結末や物語の重要な部分に触れる際には配慮することが一般的で、レビューを書く際にストーリーの核心を避けるか、触れる際には注意書きを明示していました。
また、日本でも「キネマ旬報」のような映画雑誌において、結末に触れる場合には「ネタバレ注意」といった配慮があり、一般的な方針として根付いていました。
現代のインターネット上のレビューやSNSに比べ、雑誌や新聞の記事はゆっくりと読者に情報を提供するメディアであったため、読者の期待に応じて情報の範囲を慎重にコントロールする傾向がありました。
インターネット時代に比べて、情報の量も頻度も少なかったことから、注意書きを付けるだけで読者のネタバレに対する期待を管理することが比較的簡単だったとも考えられます。
これらの要素から、ネタバレ論争が現代の文化の中でより重要な議題になってきたと考えられます。昔の時代には、「ネタバレ」は一部の人にしか影響しない静かな問題でしたが。
今やインターネットの力で多くの人に影響する大きな問題へと変化したのです。
ネタバレサイトと違法性も把握しておこう
映画鑑賞にはアウトプットも不可欠です。
未見の人ににネタバレかどうか配慮するというのは誰でも考えるでしょう。
ここで法律上はどうかにもふれておきます。
知識として、これだけ知っておけば大丈夫です。
【作品の内容を明かす行為は犯罪になるのか】
著作権を侵害するほどのネタバレは犯罪になります。
ストーリーの内容を自分の言葉で表現する行為は犯罪にはなりません。
イラストを無断転載した場合や、漫画の情景やキャラクターのセリフを文字にしてほとんどそのまま抜き出し、最初から最後までストーリーが詳細に分かるように文字起こしして掲載した場合は犯罪になる可能性があります。ネタバレサイトへの掲載はもちろん、TwitterなどのSNSで投稿することも犯罪です。営利目的かどうかは関係ありません。
【違法にならないネタバレとは】
ストーリーの内容を自分の言葉で表現して第三者に伝えることは、基本的には違法性がありません。ストーリの内容自体に秘匿性はないため、「この映画、Aが裏切り者だったよ」と発言する程度のネタバレをしたとして、犯罪にはあたりません。
<こちらのサイトを引用させていただきました>
自分で感想とか発信するのは違法にはなりませんが、画像をそのまま貼ったりするのはNGということですね。
ネタバレ否定派に贈るおはなし
ネタバレはなぜ嫌がるのかを考えてみた
わたしは理解できませんでした。
これには感情的な要因が深く関わっています。ストーリーの結末や驚きの展開を知ってしまうことに対する嫌悪感です。
ネタバレ嫌がるのは、買ったばかりのおもちゃの箱を勝手に開けられたときの心理のようなものだと判明しました。
子どものころに新しいおもちゃを買ってもらったときのことを思い出してみてください。ワクワクしながら箱を開ける瞬間が、何よりも楽しい時間だったのではないでしょうか?しかし、そのおもちゃの箱を、友達が勝手に開けてしまったとしたらどうでしょう。まだ見てもいないおもちゃの中身を、無造作に取り出されてしまったら、ワクワク感は一気に冷めてしまいますよね。ネタバレを嫌う心理は、これに似ているのではないでしょうか。
ネタバレが嫌な理由は「ストーリーの展開を知ることそのもの」ではなく、「自分で発見する喜び」を奪われることに対する不快感にあるのです。
確かにそう考えればわからなくもないです。
ストーリーだけが全てじゃないよと言われても、昔の誰でも知っている映画を見たって楽しいじゃないかとか、そんなことは分かっているのです。
何度でも見てしまう、その人にとってのスルメ映画だってあるし、分かっているんだけど
ネタバレされるのはイラッとするのです。
多くの人が「ネタバレ」を嫌がるのはなぜでしょう?それは「作品を初めて楽しむ瞬間」の貴重さにあります。この瞬間は一度きりで、その感動は二度と完全には再現できないものです。だからこそ、その感動を他人の言葉によって半減されるのが耐えられないのです。
理屈ではないのでしょう。「人からあーだこーだ言われる」ことが一番嫌なのです。
自分で発見して得た話は納得するけど、人から敢えて教わるのはしゃくに触るという感じです。
ストーリーだけが作品の全てではない、ということは多くの人が理解しています。
ネタバレをされて怒りや苛立ちを感じてしまうのは、感情が理屈を超えてしまうからです。
ネタバレを嫌がると「損」をします
ネタバレをなぜ嫌がるのか?いろいろと検証してきました。そういう人にも聞いてみました。なるほどと思えることもありました。
しかしやっぱり、極度のネタバレ否定派の人の話を聞く限り、少なくともあなたにとって心のサプリメントになりえる素晴らしい映画鑑賞をしているとはとても言いきれないなという人ばかりでした。
多くの人にとって、映画や物語の楽しさの大きな部分は「次に何が起こるか分からない」ことであり、それをリアルタイムで体験することにあります。
驚きや衝撃、予想外の展開に出会う瞬間こそが観る楽しさの源泉だと考える人が多いでしょう。
多くの人が「楽しみが減る」「サスペンスや驚きを台無しにする」として嫌がります。しかし、実際にネタバレを避けることが、本当にその作品の魅力を最大限に引き出しているのでしょうか?
ネタバレを恐れることで失われるもの
極端にネタバレを避けることが、映画体験の「本質的な魅力」を損なっていることも事実です。
映画の持つ力は、単なるストーリーだけではなく、その映像美や俳優の演技、音楽、テーマ性など多岐に渡ります。これらの要素は、ストーリーを知っていても十分に味わい、感動することができるものです。
例えば、名作と呼ばれる映画は何度も繰り返し鑑賞され、世代を超えて愛されています。多くの人がすでに結末を知っているにも関わらず、何度見てもその感動は色褪せません。
それどころか、ストーリーを理解した上で観ることで、新たな発見があったり、より深い感情を味わうことができる場合も多いのです。
ストーリーを追うことが映画鑑賞の本質ではない
映画鑑賞において、ただストーリーを追うことが全てではありません。
むしろ、ネタバレを読んで先にストーリーを把握することで、映画そのものの細部や深さにより注意を払うことができるようになります。
例えば、キャラクターの表情の変化、シーンごとの演出の工夫、伏線の張り方などに目を向けることで、映画が伝えたいメッセージをより深く理解できるのです。
初回の鑑賞は確かにドキドキする楽しみがありますが、その体験が何十年先まで心に残るかどうかは、作品が持つストーリー以外の部分の魅力をどれだけ味わえたかにかかっているとも言えます。
結末を知った上で観ても、ストーリーに隠された意味とか、キャラクターの感情の流れを理解しやすくなります。
ネタバレは映画を深く楽しむためのツール
極度にネタバレを嫌う人々にこそ、一度思い切ってネタバレを読んだ上で映画を観てほしいと思います。
結末を知ることで逆に得られる豊かな体験もあるからです。それは、ストーリーの表面に惑わされることなく、映画の構造や美しさを純粋に楽しむことができる体験です。
ネタバレを嫌がることは、「一度きりの驚き」を守るためのものかもしれませんが、その驚き以上に得られるものも多く存在します。
映画はただ結末を知るためのものではなく、その過程で描かれる豊かな感情や美しい映像を楽しむための芸術作品です。ネタバレを恐れることで、逆にその真の価値を見逃してしまうこともあるかもしれませんよ。
ネタバレされて面白くなくなることはありません
わたしの体験で、ネタバレをされて鑑賞したことなどたくさんありますが、嫌悪感に陥ったことなど一度もありません。
マンネリの美徳というのがあります。
例えば、ザ・ドリフターズのコントについて。リアルで何度も見た人は知っていると思いますが、同じようなネタを何年もやっていました。わたしの親も、もう70代ですが、たぶんその世代では「同じことばかりやってて何がいいんだか!」といつも愚痴をこぼしていました。
しかしあれ、実は大抵の人はオチはわかるんだけど面白いのです。コントのタイプも決まっていて、どういう流れのコントかほぼ推測できます。でもみんな笑います。
志村けんが生前「マンネリ?いいことじゃないか」と言っていたそうです。
ほかにはテレビサスペンスで、最近はなくなりましたが2時間のサスペンスドラマ、通常「2サス」というものですね。あれも好きな人なら、正直言って、序盤に出てくる登場人物だけで犯人は推測できてしまいます。
また、この人は殺されるだろうな?とか、これから第二の殺人のシーンが始まるなとか、登場人物での犯人役もだいたいは網羅していたりとか、ラストは崖のシーンが出てきたら答え合わせの時間だなとかもわかりますよね?
好きな人はほぼわかって見ています。わかったからつまらないという人はいません。
逆にスポーツ中継は状況が違います。例えば、W杯の日本戦、深夜だから録画しようとしたとします。翌日、会社から帰ってくるまでW杯の結果を伏せて帰ってくるなどほぼ不可能ではないでしょうか?でもあれはどっちが勝ったかという玉手箱を開けるためだけのものなのです。WBCの日本戦も同じようなもので、どっちが勝ったかという「玉手箱を」開けるのが目的、試合の過程は、あの玉手箱までのぞくぞく感を楽しんでいるに過ぎないのです。
これはスポーツは「予期せぬもの」を流すため、脚本家がいるわけではありません。誰かが作られたストーリーではありません。
対して映画などは実際には人の手で作られたものを公開します。すべて人の手で決められたものがあり、その過程を楽しんでいくわけです。
映画がネタバレでつまらなくなるのなら、何十年前の映画は見ませんよね?
逆に、例えば昔の野球でいう天覧試合とか、マラドーナの神の手ゴールの試合とか、東洋の魔女と言われた昔の東京五輪の女子バレー決勝とか、仮にノーカットで全部放送するよと言われたところで最初から最後までちゃんと見れますか?正直中だるみします。
映画とスポーツ中継はどう違うか検証します
映画のネタバレとスポーツのネタバレには大きな違いがあります。この違いの理由について考えると、いくつかの要素が関係していると思います。
ストーリー性と結果の違い
映画では結末がわかっていても、その途中のプロセスや、役者のパフォーマンス、面白いセリフのやり取り、演出を楽しむことができます。
映画では、結果よりもそのプロセスの体験が非常に重要です。つまり、オチを知っていても、キャラクターたちの旅を共にすることや、シーンごとの面白さが繰り返し見る価値を持っています。その過程に対する細かなディテールや演出が、視聴者に新たな発見をもたらすことも多いです。
一方で、スポーツは結果そのものが非常に大きな興奮の要素です。スポーツ観戦では「誰が勝つか」や「次に何が起こるか」という不確定な要素が最も大きな魅力であり、その予測できない緊張感が観戦の面白さに繋がります。結果がわかってしまうと、そのドキドキ感が失われ、興奮が薄れてしまうのです。
感情的な没入感
映画では、観客は物語の中に感情移入して、キャラクターの感情や困難を共有します。
結末が分かっていても、その感情的なプロセスを再体験することに価値を感じます。
それに対してスポーツでは、観客はチームや選手に感情移入しますが、その感情移入の大部分は勝敗に依存しています。結果が既に分かっていると、観戦中の感情的な高まりを経験する機会が減少し、興奮や感動も薄れがちです。
偶発性とライブ体験の重要性
スポーツは、何が起こるかわからないという偶発性が一番の魅力です。例えば、思わぬ逆転劇や、最後の瞬間での劇的なゴール、予期しない怪我や戦術の変化などがあり、それが観戦の醍醐味です。ライブでしか得られない「今、ここで起きている」という感覚がとても重要なんですね。
映画は作り手が意図的に構築した世界であり、そのストーリーを自分のペースで消化することができます。そのため、ネタバレがあってもその世界観や演技を楽しむことができるのです。
YouTubeでも、ライブ配信ならではの魅力がありますよね
ビジネスでもライブ配信している人増えていますよね
ネタバレを気にしない映画鑑賞術を教えます
ネタバレを気にしない映画鑑賞術を考えよう
実はほかの記事でも触れています。ここでも「ネタバレは気にする必要なし」とお伝えしています。映画選びの参考にどうぞ。
映画の醍醐味は、ストーリーを追うことではない
内容がわかっていれば、それはそれで違う視点を持てる
どんでん返しで、ネタバレはダメと認められている推理物は映画全体の0,1%でしかありません
映画の結末を知った上で楽しむ方法
ストーリーの流れを把握してから見ることで、伏線や細かい演出に気づきやすくなり、より深い鑑賞体験が得られます。
感情移入を助ける「ネタバレ効果」
キャラクターの運命を知ることで、その感情や葛藤により強く共感でき、深く入り込めます。
伏線回収の醍醐味
映画の展開を事前に知っていると、物語の中で張り巡らされた伏線や細かいヒントを探す楽しみが増えます。ネタバレを知っているからこその「二度目のおいしさ」が味わえます。
俳優の演技や演出をじっくり味わう
ストーリーに対する驚きがなくなる分、俳優の細かい演技や監督の意図した演出に集中できるようになります。
ネタバレの有無で変わる楽しみ方を理解する
ネタバレを知って見る場合と知らずに見る場合、両方の違いを経験し、それぞれの楽しみ方を学ぶことができます。これにより、自分に合った映画の見方を発見できます。
ネタバレを恐れすぎないための心構え
ネタバレに対する過度な恐れは、映画の予告編や他人の会話から得られる楽しみをも阻害します。少し気楽に構えることで、よりリラックスして映画を楽しめます。
「映画の醍醐味は、ストーリーを追うことではない」というのは、映画鑑賞の楽しさが単に物語の進行や結末を知ること以上に、多くの要素から成り立っているということです。
映画は、動く芸術をいかに楽しむかなのです。
物語を追うことだけにとらわれてしまうと、こうした作品の細部に込められた芸術性や表現の面白さを見逃してしまう可能性があります。
試しに、この映画を完全ネタバレを熟読したうえで鑑賞してみてください。
ファイト・クラブ
1999年製作/139分/PG12/アメリカ
原題または英題:Fight Club
配給:20世紀フォックス映画
劇場公開日:1999年12月11日
画像引用元:映画.com
シックス・センス
1999年製作/107分/アメリカ
原題または英題:The Sixth Sense
配給:東宝東和
劇場公開日:1999年10月30日
画像引用元:映画.com
ユージュアル・サスペクツ
1995年製作/105分/アメリカ
原題または英題:The Usual Suspects
配給:アスミック
劇場公開日:1996年4月13日
画像引用元:映画.com
これらの作品、ネタバレサイトをちゃんと熟読してから鑑賞してみてください。
有名な作品ばかりなのでとっくに鑑賞したという人も多いでしょう。しかし中には、初見の人もいるでしょう。ちゃんと把握してから鑑賞してください。
するとどうなるでしょう?
ネタバレの文章なんてちゃんと覚えていないでしょうし、オチがわかっていたからつまらなかったよ!なんてありましたか?
普通に面白かったはずです。
なお、いい映画ってどんな映画なんだろうか?についてはこちらでお伝えしています。
ただし、ネタバレ配慮の姿勢は大切です
ネタバレを嫌う人が多い中、私たちが映画やドラマの話をする際には、他者への配慮が大切です。たとえば、SNSで感想をシェアする場合には「ネタバレ注意」の注意書きをつけたり、具体的な展開や結末については伏せるなどの工夫が必要です。
また、友達と話す時でも、まだ見ていない人がいる場合は内容に触れる前に一声かけるのがマナーです。誰にとっても映画は特別な体験であり、その体験を損なわないためには、相手の意向を尊重することが最も重要です。配慮のある会話が、より良い関係を築く一歩になります。
ネタバレを気にしすぎると楽しみを損なう まとめ
この記事では、映画鑑賞でネットを見るとどうしてもついて回ってくる「ネタバレ」についての考え方を解説しました。
基本的な考えとして、
ネタバレについては、予告編はむしろ見たほうがいいし純粋な感想などはむしろ仕入れたほうが楽しいです。
それ以上の核心の部分を露骨に言うなどは、配慮すべきです。
ただし、最近は境界線も曖昧になっています。
予告編などでネタバレと言うのはやや疑問で、映画鑑賞についての考え方をもう一度見直したほうがいいかもしれません。心に残る映画鑑賞とはかけ離れている可能性があります。
犯人は「ヤス」だってさ!
それは映画ではなくゲームですね
今回は、映画鑑賞あるあるの「ネタバレ」についてお伝えしました。
映画ライフを楽しんでもらうための基本的な考え方をたくさん記事にしています。
映画とドラマの違いって??実は簡単なからくりでした。
映画鑑賞のメリットはいろいろあるけど、記憶に残り、その後の人生の糧になるほどの魔力を持っているのが素晴らしいことです。