
今日も映画を見るぞ



いいですねえ



今日はドキュメンタリー映画を見るぞ



おや?珍しいですね
理由はいろいろありますが、この例のように、アメリカでは絶賛されたのに日本では嫌悪感が多いという作品は昔からあります。
このように映画には人々の感情が色濃く反映され、ずっと印象に残ったりすることありますよね?
映画は私たちに感動や興奮を与えるだけでなく、監督や制作者たちが伝えたいメッセージを巧みに盛り込んだ「プロパガンダ」の媒体でもあります。
この記事ではこんなことがわかります。
- そもそもプロバガンダ映画ってどんなことを言うのかを解説します。
- 名作映画が実際にどのように人々の意識に影響を与えてきたのかを解説します。
- 映画賞を受賞したのにその映画とあなたの考えが合わないなど、意見の相違でジレンマを持った場合の考え方がわかります。
- 映画には、必ず製作者のメッセージが含まれていることを検証します。
- 普段何気なく観ている映画に隠されたメッセージを解読する視点が手に入れられるので、映画鑑賞の楽しさがより増します。



SFとかヒーローものやドラマにも製作者の意見ってあるのかなあ?



もちろんありますよ。その感情をたどっていけば、もっと面白く鑑賞できますよ
そもそもプロパガンダ映画って何だろう?


プロバガンダ映画は特定の思想を伝えるものです
このような映画は、意識的または無意識的に観客の考え方や意見に影響を与えることを目的としています。
日本語では「政治宣伝映画」と訳されることもありますが、その範囲は極めて広いものです。
プロパガンダ映画には、はっきりとした主張があるものから、さりげなく考えを伝えるものまで、いろいろなタイプがあります。
こうした映画は、映像や音楽、物語の流れを使って、観る人の気持ちを動かす工夫がされています。


ワクワクしたり、悲しくなったり、何かを嫌だと感じたりするように工夫されています。
例えばテレビCMで、美味しそうなハンバーガーのCMを見たとき、「食べたい!」と思うことがありますよね。しかし実際に買ってみると、CMのように完璧な見た目ではないとか味も普通だったりします。
プロパガンダ映画も同じように、映像や音楽、ストーリーで観る人に特定の考えを信じさせたり、感情を持たせたりするために作られます。



戦時中は見た人を洗脳させようと、政治家が映画を作らせたものもありますね



「この映画は何を伝えようとしているんだろう?」と考えるのが大切で、慣れればそれが楽しくなってきますよ
プロパガンダ映画には以下のような特徴があります。
特徴 | 説明 |
---|---|
明確なメッセージ | 特定の思想や価値観を明確に伝え、観客の信念や行動を誘導しようとする。 |
感情に訴える構造 | テーマに対する共感や怒りなどの感情を引き出し、メッセージをより強く印象付ける。 |
一方的な視点 | 複数の立場を示すのではなく、意図的に一つの考え方を押し付ける場合が多い。 |
視覚と音楽の活用 | 映像美や音響を駆使し、観客が無意識のうちにメッセージを受け取る仕掛けがある。 |
プロパガンダ映画も歴史が宿っています
プロパガンダ映画が最も強い形で使われたのは、20世紀前半における戦時中の宣伝活動です。
特に有名なのが、ナチス・ドイツの宣伝大臣を務めたヨーゼフ・ゲッベルスの指揮の下で制作された映画群です。



意志の勝利は、その後のエンターテインメントに大きな影響を与えたんですよ
第二次世界大戦中には、日本やアメリカでも多くのプロパガンダ映画が制作されました。日本では『戦ふ兵隊』がその代表例です。アメリカでは、フランク・キャプラ監督による『Why We Fight(我々はなぜ戦うのか)シリーズ』がその一環として知られています。
一方、ロシアでは共産主義プロバガンダ映画として『戦艦ポチョムキン』という作品があります。もともとは共産主義的プロバガンダのためにつくられたのですが、モンタージュを用いた初めての映画ということで、今でも革命的作品とされており、のちの映画界に多大な影響を与えたのです。
プロパガンダ映画は現代でも身近なもの
現代においてもプロパガンダ映画は存在し、その形態は多様化しています。
特定の国の政策を支持したり、大企業の活動を正当化するものから、逆に批判や反対運動を促進するための映画まで幅広く制作されています。
環境問題やジェンダー平等、政治的抑圧をテーマにしたドキュメンタリー映画は、現代プロパガンダ映画の一例といえるでしょう。
また、SNSを通じて拡散される短編映像や広告も、しばしばプロパガンダ的要素を含んでいることが指摘されています。
映画という形式だけでなく、映像全般が特定の考えを広める手段として活用されているのです。
プロパガンダと映画芸術の関係
映画は、作った人の考えや思いが反映されるものです。
たとえば、ディズニー映画には「家族の大切さ」や「勇気を持つことが大事」というメッセージがよく出てきます。こうした映画のテーマも、見る人に特定の考えを伝えるという意味では、プロパガンダの一種と考えられるかもしれません。
こう考えると、プロパガンダ映画はただの政治的な道具ではなく、映画が持つ影響力や可能性について考えるきっかけになります。
映画は「楽しませること」が目的でもありますが、観る人に「こう考えてほしい」「こう行動してほしい」と強く伝えようとする特徴があります。
評価される映画はなぜ民意とズレるのか?


映画がどのくらい良いかを決めるとき、多くの場合、映画祭や映画の専門家の意見が使われます。
しかしそれらは、みんな(普通の観客)が好きな映画と同じとは限りません。
この違いが生まれるのには、いくつかの理由があります。
評価する人の視点の違い
映画を見たとき、同じ作品なのに「すごく良かった!」という人と「いまいちだった…」という人がいます。これは、見る人の視点が違うからです。
映画賞では、作品のテーマ性、芸術性、創造性が重視されることが多くあります。
映画には構成とかカメラワークの独創性、俳優の演技力といった技術的な要素が高く評価されます。
一方、一般の観客は共感できるストーリーや楽しさ、エンターテインメント性を求めることが主流です。
映像の美しさや、深いメッセージに注目することが多いですが、一般観客は「おもしろかったか」「ドキドキしたか」など、楽しめたかどうかを大切ですよね?
評価された映画でも、みんなが楽しめるとは限りません。
逆に観客に大人気の映画が専門家にはあまり評価されないこともあります。



映画の見方はいろいろあるから、自分がどう感じたかを大事にしましょう
プロパガンダ要素と評価は違うもの
映画の中には、「こういう考え方が正しいんだよ」というメッセージをはっきり伝えようとする作品があります。
例えば、「戦争は良くないよ」とか「環境を守ることは大切だよ」といったメッセージを強く伝える映画です。
こういう映画を見たとき、人によって感じ方が全然違うことがあります。
「ある人は「すごく良い映画だ!」と思う」
「別の人は「うーん、こういう考え方には賛成できないな」と思う」
「また別の人は「むずかしい話はよくわからないけど、おもしろかった!」と思う」
メッセージには賛成できなくても「映画としてはすごく上手に作られている」と評価されることがあるということです。
たとえば、映像、演技、音楽などの、作り方の部分で高く評価されることがあります。
「言いたいことには賛成できないけど、映画としては良くできている」ということが起こりうるんですね。これは「好きじゃない野菜使っていたけど、料理はおいしかった」という感じですね。
「プロパガンダ映画」と呼ばれる作品の中には、特定の価値観や意見を強く押し出すものがあります。


批評家の中には、そのようなメッセージ性の強い作品を高く評価する傾向のある人もいます。
一方で、一般の観客はその意見に賛同しない、あるいはメッセージそのものに関心を持たないこともあります。
たとえば、政治的なテーマを持つ映画や、社会問題を扱った映画が公開されると、それに賛同する観客とそうでない観客の間で意見が分かれることがあります。そのため、公開後のレビューや興行収入が評価基準とは大きく異なる結果になる場合があるのです。
映画の評価基準におけるギャップ
日本映画でも、賞をもらっても批判されている映画はあります。
映画タイトル | 批評家の評価 | 観客の反応 |
---|---|---|
「万引き家族」(是枝裕和監督) | カンヌ国際映画祭で最高賞を受賞 | 日本国内では貧困層を美化していると賛否両論 |
「新聞記者」(藤井道人監督) | 社会派映画として多くの賞を受賞 | 一部からはプロパガンダ映画として批判が噴出 |
これらの事例からも分かるように、批評家は社会的意義や革新性を重視しますが、一般観客はそのメッセージが自分の日常生活にどのように関係するかを基準に評価することが多いのです。
これは日本の例ですが、海外でもあります。ハリウッド映画でも、アカデミー賞で評価されたのに「実際には国民の総意と違う!」と批判された例はいくらでもあります。
クリント・イーストウッド監督の『アメリカン・スナイパー』などは日本でも人気が高く名作の戦争映画ですが、主人公のクリス・カイルの人物像はあんな英雄ではないとか、イラクを敵、アメリカが正義と描かれているなどいろいろ言われました。



ハリウッド映画は昔からそんなものでして
最近では『バービー』や『オッペンハイマー』も槍玉にあがりました。
バービーは、アメリカ公式アカウントの中で、原爆投下を連想させる画像に好意的に反応したと解釈できる発言があり、被爆国である日本の人々の感情を傷つけたと指摘されました。
原爆開発の父と呼ばれるオッペンハイマーを主人公とした映画では、日本での被害の描写がないことや、被爆者の視点が欠けているという指摘がありました。また、映画の公開時期が広島・長崎の原爆投下から78年目の時期と重なったことも、議論を呼ぶ要因となりました。
両作品とも、被爆国である日本の立場や感情への配慮が足りないと感じた人が多かったのです。これは、同じ歴史的出来事でも、国や立場によって見方が大きく異なることを示す例といえます。
映画の評価は文化的背景や歴史認識によっても大きく変わってきます。
「良い映画」とはどういう映画のことなのか?
映画の「良い」「悪い」は、誰が見るかによっても変わるし、あなたの気分によってもいくらでも変化します。
例えば、映画の専門家は「映画の作り方が上手いか」「大切なメッセージがあるか」を大事にするでしょう。普通に映画を見に行く人は「楽しめたか」「おもしろかったか」を大事にするでしょう。
ちょうど給食のように考えるとわかりやすいかもしれません。
- 栄養士の先生は「栄養のバランスが良いか」を気にします
- 食べる児童は「おいしいかどうか」を気にします
でも、本当に良い映画というのは、きっとどちらの人にも何か残るものがある作品なのかもしれません。
ちなみに面白くないから悪い映画とも限りません。
別の記事で詳しく解説しているので、興味あればこちらの記事もどうぞ。


最近の事例「伊藤詩織監督のドキュメンタリー」とその反響


つい最近、アカデミー賞のドキュメンタリー部門で初めて、日本人監督の映画がノミネートされました。
伊藤詩織監督の『Black Box Diaries』という作品で、大きな話題になりました。
ジャーナリストであり監督としても活動する伊藤詩織氏の映画は、自らが性被害にあったことをこの映画に収め、自身が被害にあった性的暴行への勇気ある調査に乗り出していくその姿を自ら記録したという生々しいドキュメンタリー映画です。しかし現在まだ日本非公開の映画です。
公開直後から大きな反響を呼び、議論を巻き起こしました。
最近の話題なのでご存じの人も多いかと思います。これを例に、意見の相違と映画の芸術性について解説していきます。
なお、ここで筆者の政治的な意見を言うつもりはありません。これを例に出したのは、映画鑑賞の正しい考え方をお伝えしたく、あくまでも最近の話題をとりあげているまでのことです。ご了承ください。
この映画で目指したもの
伊藤詩織さんという方が作った映画は、日本の社会で今も話しづらいとされている問題を取り上げています。
特に、女性が社会で直面する困難や、それに関連する色々な問題について、実際に体験した人たちの声を集めて映画にしました。
伊藤さんは、「普段は声を上げにくい人たちの思いを、もっと多くの人に知ってほしい」という願いを込めて、この映画を作りました。
監督は映画を通じて、みんなで話し合うきっかけを作りたかったと語っています。
映画公開後の反応や議論
そもそもなぜこんなに議論になるのでしょうか?
- 性暴力被害者として声を上げ、日本の性暴力問題や司法制度の課題を可視化した
- 他の被害者が声を上げるきっかけを作り、社会的な議論のきっかけとなった
- メディアや社会の構造的な問題に切り込んだジャーナリストとしての活動
など精力的に活動している一方で、
- 伊藤詩織さんの話は、日本では昔から賛否が分かれている。彼女の言葉を信じない人や、政治的な意図があると考える人もいて、そんな映画が評価されることに反発する人がいる。
- 日本の警察や裁判が性犯罪の被害者に優しくないと強く批判されている。そのため、「日本の法律は不公平だ」と思われるのが嫌だと感じる人がいる。
- 「日本は性犯罪を軽く見ている国だ」と思われるのを心配する人がいる。特に、日本の名誉が傷つくと感じる人が反発している。
という感じで、批判も受けています。詳しくはまだ経緯やら多数ありますが省略します。
また、この映画の映像には、裁判以外で使わないと誓約した監視カメラの映像の無断で使われていたことも弁護士が問題視しました。
この映画が公開されると、たくさんの人が様々な意見を述べ始めました。
「こういう問題を取り上げてくれてよかった」という声がある一方で、「映画の視点が偏っているのではないか」という意見も出ました。
特にSNSでは、賛成派と反対派で活発な議論が起こりました。海外でも注目を集め、BBCのような外国の大きなメディアでも取り上げられました。映画館で見た人たちからも、様々な感想が寄せられています。
映画が公開されるやいなや、SNSやメディアを中心に大きな議論が巻き起こりました。
支持者たちは、この作品がまだタブー視されがちな日本社会の問題にフォーカスした点を称賛しました。
映画がわたしたちに伝えるもの
考えはいろいろあるんだから議論したらいいよ
このドキュメンタリーが強い印象を与える理由として、多くの評論家は「特定の価値観を押し付けているわけではなく、議論を喚起する形で表現されている」ことを挙げています。
見た人それぞれが自分なりの意見を持つことができて当然なのです。
海外の映画祭でも高く評価され、日本の映画の新しい可能性を示したと言われています。この映画は単なる娯楽ではなく、社会の問題について考えるきっかけを作ることができるということを教えてくれました。
例えば、多面的な視点を提示し、視聴者に「考える余地」を残す構成は、従来のプロパガンダ映画とは一線を画していると評価されています。その点も含め、日本や海外の専門家たちから高い支持を受けています。



人の意見をあてにせずに、思いっきり考えればいいんですよ。
評価されているのにはそれなりの理由がありまして
伊藤詩織さんはジャーナリストという肩書が有名かもしれませんが、れっきとした映画監督でもあります。実際にこの作品以外でもいくつかありまして、
純粋にディレクターとしての才能を感じさせます。
伊藤詩織さんは何を言われようと、海外で認められた、れっきとした「映画監督」なのです。
過去にもこういうことがありました



過去にも、捕鯨問題で評価を受けた映画もありました
2009年の『ザ・コーヴ』も問題視されました。アカデミー賞長編ドキュメンタリー賞受賞で、和歌山県太地町のイルカ漁を隠し撮りし、日本の捕鯨・イルカ漁文化を批判するドキュメンタリー映画です。
監督は元ナショナル・ジオグラフィックの写真家ルイ・シホヨス。
『ザ・コーヴ』という映画は、とても興味深い例を私たちに示してくれます。この映画は、海外では最も権威のある映画賞の一つであるアカデミー賞を受賞し、映画評論サイトでも高い評価を得ました。
しかし、日本では全く違う反応がありました。なぜでしょうか?
この映画は日本の伝統的なイルカ漁を取り上げたドキュメンタリーですが、海外と日本では、同じ映画を見ても全く異なる受け止め方をしました:
- 海外では「環境保護の重要なメッセージを持つ優れた作品」として評価
- 日本では「自国の文化を一方的に否定する偏った作品」として批判
映画の出来の良し悪しとは別の次元で、文化や価値観の違いによって評価が分かれたのです。


この事例は、映画の評価というものが、技術的な完成度だけでなく、見る人の文化的背景や価値観によっても大きく変わることを教えてくれています。
同じ作品でも、どこで、誰が見るかによって、まったく違う評価になることがあるのです。
これは決して珍しいことではありません。むしろ、このような評価の違いこそ、映画という芸術が持つ多面的な性質を表しているんですね。
そもそも、映画はすべてプロパガンダなのでは?


映画とは、多くの場合監督や脚本家、制作陣による「伝えたいメッセージ」が基本にあります。
観客に感動を与えたり、特定の考え方を促したりすることも目的の一つです。さらに言えば、大衆が映画を通じて受け取るテーマや考えは、強い信念や価値観に基づいている場合が少なくありません。
どの映画にもある種のプロパガンダの要素が含まれていると言っても過言ではありません。
映画の歴史は、プロバガンダから始まった!?
映画の歴史の中で、とても重要な作品がひとつあります。1915年に作られた『國民の創生』という映画です。
この映画がすごかったポイントは
- 当時としては考えられないほどのお金(今のお金で約20億円!)をかけて作られた
- 3時間もある長い映画を作るのに初めて成功した
- カメラワークや映像の作り方が、今の映画の基礎になった
でも、この映画には大きな問題点がありました。
アメリカで差別を受けていた黒人の人たちを、悪役と描いていたのです。特に、白い服を着た集団(KKKという差別団体)を良い人たちとして描いていました。
そのため、この映画は
- 映画の作り方については「すごい!」と評価される
- でも内容については「とても問題がある」と批判される
という、相反する評価を受けています。
これは私たちに大切なことを教えてくれます。
〇映画は昔から人々の考えに影響を与えようとしてきた
〇映画の技術的な素晴らしさと、その内容の良し悪しは別のものとして考えることができる
〇今では差別的だと分かっている考えも、昔は「当たり前」とされていたことがある
このように映画の歴史を振り返ることで、社会がどう変わってきたのかを知ることもできるのです。
エンタメ作品の裏側を読み解こう
映画におけるプロパガンダは、政治的な内容に限らず、家族愛、友情、環境保護といったテーマも、観客の感情や行動に影響を与える形で「広められる」要素として分析できます。
ハリウッド映画をはじめとする多くの作品では、自国の価値観や文化を描写することで世界に向けて特定のメッセージを伝えています。
このように、エンターテインメントとして観客を引き込むと同時に、その裏で明確な意図を伝える役割を果たす映画は数多く存在します。
娯楽映画とプロパガンダの境目
一般的に、プロパガンダ映画というと政治的または社会的な意図を前面に押し出した作品を指すことが多いですが、実際には「純粋な娯楽映画」というものは存在しないとも言えます。
例えば友情を描く映画は友情の重要性をプロパガンダしているといえるでしょうし、スリラー映画は恐怖や緊張感といった特定の感情を観客に広めています。
特に最近のマーケティング戦略を絡めた映画制作の中では、多くの作品が明確なターゲット層に向けられており、観客に特定の商品や価値観を持つよう促すような工夫が施されています。
別に日本映画の批判したいわけじゃないけど、なんで日本映画はつまらなく感じるかの考察記事はこちらです。


観客の受け取り方と映画の「自由」
同じ映画を見ても、人によって感じ方や理解の仕方が違います。これは面白いことですね。
実は、この違いは映画が観客の考え方や価値観を反映する鏡のような役割を果たしているからなのです。
多くの解釈ができる映画は、観客に自由に考える機会を与えます。しかし、同時に映画制作者の意図したメッセージが巧みに伝わっている可能性もあります。
この観点から見ると、すべての映画が何らかの形で「プロパガンダ」的要素を持っていると言えるかもしれません。



いろんな解釈があっていいんだよね



その通りです
製作者の意図と見る者の解釈が違っていても、不正解ではないのです。
映画は算数ではありません。
どんな映画でも必ず伝えたいことがあります まとめ


この記事では、以下のポイントについて解説しました。
- 特定の思想や価値観を伝え、観客に影響を与える映画の特徴
- 戦時中の宣伝映画から現代の社会問題を扱う作品までの流れ
- 映画祭や批評家の評価基準と一般観客の視点の違い
- 社会問題を可視化し、議論を喚起する映画の役割
- 映画には必ず何らかのメッセージが含まれている
- 娯楽映画も価値観や感情を伝える手段になっている
映画はただの娯楽ではなく、私たちの考え方に影響を与える強力なメディアです。観る側としても、作品の意図を考えながら楽しむことが大切かもしれません。



よし、映画監督の意図をしっかり考えながら見るぞ



楽しんで鑑賞してくださいね



「フォレスト・ガンプ」は?うん、美味しそうなエビだなあ



そこですかぁ
映画鑑賞のメリットはいろいろあります。意外と知られていないことも。


映画は自分で見たいのを決めるのがいいんです。選び方はこの記事で教えます。


別に感動させるだけが映画じゃないですよね?

