この記事では
『死ぬまでに観たい映画1001本』全リスト作品の概要を簡単に説明しています。
全部で1200作品以上あり一つの記事で紹介しきれないので、年代別に分けています。
1930年代の映画すべて(1930年から1939年まで)の作品を紹介します。
かんとくさん今日も映画を見るぞ
























































いいですねえ
各映画の概要を簡潔に紹介しています。考察はほとんど書いていません。まずは感覚を楽しんでいただき、あなたのハートを動かしてもらうのが目的です。
人生の岐路において、役立つ映画がここでもわんさかと掲載されています。
興味がある作品はどんどん鑑賞していきましょう。そして次の興味をひきだして、映画ライフを充実させていきましょう。
かんとくさん30年代は検閲が厳しく、みんなスレスレで作っていたから表現方法が創意工夫されていたんだよ
この時に試行錯誤されたものが、現代の映画製作の基盤を作り上げていきました。
ここで記事を順番で見ていくと長くなるので、こちらの一覧リストから見るといいですよ。

























































このリストの作品名から概要の記事にとべます
1930年

犯罪王リコ

画像引用元:Rotten Tomatoes
(NO.0051)
監督:マーヴィン・ルロイ
79分/アメリカ
原題または英題:Little Caesar
配給:ワーナー・ブラザーズ
地方のチンピラ、リコがシカゴの暗黒街でのし上がり、栄光と転落を一気に駆け抜けるギャング映画の古典です。相棒のジョーは足を洗ってダンサーとして生きようとする一方、リコは権力と名声に取りつかれていく。2人の道が分かれていくことで、「どんな人生を選ぶのか」というテーマが浮かび上がります。
『犯罪王リコ』は『民衆の敵』『暗黒街の顔役』と並んで、本格ギャング映画の始まりを告げた1本とされます。以後何十年も続く「成り上がり→やりすぎて転落」というテンプレをほぼこの作品が固めたと言っていいレベルなのです。
演出や音響は初期トーキーらしく古風ですが、その硬さがドキュメンタリーのような生々しさを生んでいます。
見どころは何よりリコのキャラクターです。背は高くないのに、ふてぶてしい目つきとシガーの構えだけで場を支配するロビンソンの存在感は、今観ても圧倒的に見えます。
彼の「上に行くためなら何でもする」冷酷さと、頂点に立ってからにじむ不安や孤独が描かれます。仲間との策略、縄張り争い、そして有名なラストまで、後世のギャング映画が何度も引用してきた「原点」を体験できます。
本作はヘイズ・コード本格施行前の「プレコード期」のギャング映画。暴力の描写やギャングのかっこよさの見せ方など、後の規制下ではかなり削られそうな要素がそのまま残っています。
























































犯罪描写にどこか生々しいエネルギーがあるのはこれが理由なのかもしれません
野心そのものはみんな持っているけど、他人も自分も道具としてしか見なくなった瞬間、それは人生を食い尽くす毒になるということです。
リコの軌跡は、成功至上主義の末に何が残るのかを問うことになります。地位や名声にしがみつくより、自分が本当に続けたい仕事・人間関係を選ぶことこそが、最終的には負けない生き方なのかもしれません。
嘆きの天使

画像引用元:Rotten Tomatoes
(NO.0052)
監督:ジョセフ・フォン・スタンバーグ
94分/ドイツ
原題または英題:The Blue Angel / Der Blaue Engel
配給:東和商事
堅物の高校教師ラート教授が、キャバレー「ブルー・エンジェル」の歌姫ローラ恋をし、人生を踏み外していく物語です。最初は生徒たちを取り締まる真面目な教師だった彼が、ローラに魅了され、職を失い、やがて芸人一座の道化へと落ちていきます。
ドイツ初期トーキーの代表作とも言われます。退廃的なキャバレーの雰囲気、光と影を強調した映像は特徴があって記憶に残るものとなるでしょう。
見どころは、ラート教授の転落を細やかに描いた演出です。最初はローラに説教していた男が、いつの間にか彼女の部屋で小さくなり、やがて舞台でニワトリの真似をさせられる屈辱の姿へと変わっていきます。
その過程を、言葉よりも表情と身振りで見せます。ローラも単なる魔性の女というだけではなく、その場を生き抜くために笑っているだけにも見え、こちらの感情が揺さぶられます。
























































この映画でマレーネ・ディートリヒは一気に世界的スターへ押し上げました
自分の軸を手放したとき、人はどこまでも流されてしまうということです。
地位や肩書きにしがみついて生きてきた人が、初めて本気で誰かを好きになる瞬間の危うさも映し出します。恋も欲望も悪ではない。ただ、それを支える自分自身の価値観と誇りをどこまで守れるのか。そんな問いを静かに投げかける作品なのです。
西部戦線異状なし

画像引用元:Rotten Tomatoes
(NO.0053)
監督:ルイス・マイルストン
152分/アメリカ
原題または英題:All Quiet On The Western Front
配給:大日本ユニヴァーサル社輸入
第一次世界大戦を若いドイツ兵の視点から描いた反戦映画です。高校生パウルは、教師の愛国的な演説に心を動かされ、友人たちと一緒に志願兵として戦場へ向かいます。しかし、そこで待っていたのは英雄的な栄光ではなく、泥だらけの塹壕、絶え間ない砲撃、仲間の死でした。戦争への希望はしぼみ、「なぜここにいるのか」という虚しさだけが残ります。
公開から90年以上たった今も、戦争映画の金字塔として語り継がれています。一般の映画ブログでも、戦争映画の代表作の一つとしてしばしばこの作品が登場するほどです。
見どころは、当時としては驚くほどリアルな塹壕戦の描写です。爆発と土煙が飛び交う中を走る兵士たち、負傷兵のうめき声…モノクロ映像なのに、観ているこちらまで緊張してしまうほどの迫力があります。

















エキストラには本物のドイツ兵がたくさん参加したとか
かんとくさんしかもその中に、のちに『真昼の決闘』などを撮る名監督フレッド・ジンネマンの姿もあったんだよ!
パウルが塹壕で敵兵を刺してしまい、その死を看取る長い場面は、敵も味方も同じ人間だということを強く訴えかけてきます。
ラスト近く、戦場の静けさの中でパウルが蝶に手を伸ばすシーンは、戦争映画史に残る名場面です。美しいものへの憧れ、日常への渇望。しかしその希望さえ、戦場は容赦なく奪い去ります。この落差が、戦争の不条理を痛烈に突きつけてきます。
ラスト近く、パウルが塹壕から身を乗り出して蝶に手を伸ばす有名なショット。あれはルイス・マイルストン監督本人の手。このカットは編集段階で「やっぱりここに蝶のイメージを入れたい」と後撮りしたため、俳優がもう現場におらず、監督が自分の手で代役をしたんだとか。
「愛国心」の名のもとに若者の命がどれほど簡単に犠牲にされるかということです。
敵国の兵士も、家族がいて夢がある普通の人間だという当たり前の事実を、ドイツ側の視点から描くことで観客に気づかせます。
この時代でこんな反戦映画が作られていたことに感動を覚えます。
黄金時代

画像引用元:Rotten Tomatoes
(NO.0054)
監督:ルイス・ブニュエル
62分/フランス
原題または英題:L’Age d’Or
日本公開情報なし
サルバドール・ダリと一緒に脚本を書いた、シュルレアリスム(超現実主義)という実験的な作品です。激しく愛し合う男女が、家族や教会、上流社会のルールに何度も引き裂かれる様子を描いています。ストーリーは普通の映画のように進まず、夢の場面がつながっていくような不思議な構成になっています。
公開当時は大スキャンダルになりました。右翼団体が上映を妨害し、映画館のロビーに飾られていたダリやマン・レイの絵画を破壊する事件まで起きました。そして上映禁止になってしまいます。
公開前、この映画は検閲当局に「ある狂人の夢」という名目で提出され、
「まあ夢なら…」ということで上映許可が出たと言われています。
























































中身を見た観客は「夢どころか悪夢だろ」と大騒ぎしたとか
この映画の見どころは、普通なら絶対に一緒に出てこない場面が次々と現れることです。宗教儀式と暴力、恋人たちの情熱と上品なパーティーなど、正反対のものが同じ画面に映し出されます。
本作の資金を出したのは貴族シャルル・ド・ノアイユ子爵。毎年、芸術家に「妻マリー=ロールへの誕生日プレゼントとして映画を1本」依頼しており、その一環でブニュエルに発注されたのが『黄金時代』です。結果、プレゼントどころか大スキャンダルになり、夫妻は社交界から総スカン…という皮肉なオチになりました。
「常識」が時に人間らしい感情を押しつぶしてしまうということです。
愛や欲望そのものが悪いのではなく、それを抑えつける社会のルールの方が暴力的になることがある。説教臭く語るのではなく、衝撃的な映像でそれを見せてくれます。
この短い映画の中に、観る人の心を揺さぶる力が詰まっています。
大地

画像引用元:Rotten Tomatoes
(NO.0055)
監督:アレクサンドル・ドヴジェンコ
59分/ソビエト連邦
原題または英題:Zemlya
配給:千代田洋行
ウクライナの農村を舞台にしたアレクサンドル・ドヴジェンコのサイレント映画で、「大地・死・収穫」をめぐるイメージだけで世界を語ろうとするような作品です。
物語としては、集団農場(コルホーズ)をつくろうとする若者ヴァシリたちと、それに反発する富農(クラク)との対立が軸。村に初めてトラクターがやって来て人々は歓喜しますが、古い秩序は崩れ、ついにはヴァシリが暗殺されてしまいます。彼の葬列と、大地に実る小麦や果実、嵐や風のショットがクロスカットされ、死と再生の循環が圧倒的な映像詩として描かれます。
公開当時、この作品はソ連当局から「生物学主義的」として批判され、公開9日後に禁止されました。プラウダ紙は映像スタイルを称賛する一方で政治的内容を「偽りだ」と呼び、詩人デミヤン・ベドヌイはイズベスチヤ紙で「反革命的」「敗北主義的」と攻撃しました。一方で、1958年にはヨーロッパの批評家たちによって世界映画史上最も重要な12本の映画の一つに選出され、海外では視覚表現が高く評価されています。
かんとくさんこの映画は、公開のわずか9日後にソ連当局によって上映禁止になったんだよ
見どころは、物語よりも映像そのものが語るところ。風に揺れる小麦畑、熟れたリンゴ、老人の皺だらけの顔、雨粒が大地を叩く様子などが、ほとんどセリフ抜きで連なり、個人のドラマというより大地そのもののドラマを見せてきます。
ヴァシリの葬列シーンでは、死と誕生、暴力と希望がごちゃまぜになった生命のフラッシュバックのような感覚を味わえます。
イデオロギーよりも大地のほうがずっと大きいという現実です。
集団化賛成か反対か、人間の側でどれだけ争っても、季節はめぐり、麦は実り、人は生まれて死んでいく。そのスケールの前では、政治対立もどこかちっぽけに見えてきます。
自分もこの大きな循環の一部なんだなと思うことでフッと落ち着くような、余韻を残す作品と言えます。
現在私たちが観ている『大地』は、当時の上映用プリントから復元されたもの。
・オリジナルのネガフィルムは1941年、キエフの空襲で破壊されています。
つまり今残っている映像も、すでに「亡霊版」。
























































それでもあの圧倒的な画なのが逆にすごいです
1931年

自由を我等に

画像引用元:映画.com
(NO.0056)
監督:ルネ・クレール
84分/G/フランス
原題または英題:A Nous la Liberte
配給:セテラ・インターナショナル
トーキー初期に撮ったミュージカル風コメディで、刑務所と工場をパラレルに描く風刺劇です。物語は、刑務所から脱走しレコード工場の大企業家となるルイと、出所後にその工場で働き始める友人エミールの再会から始まります。最新式のベルトコンベアが並ぶ工場は、かつて2人がいた刑務所そっくり。歯車のように働かされる労働者の姿を通して、「近代的な労働は本当に自由か?」という問いが投げかけられます。
工場のライン音を音楽で表現するなど、トーキー初期としては非常に斬新な試みでした。のちにチャップリンの『モダン・タイムス』が本作に似ているとして訴訟になったことからも、その先駆性がうかがえます。
ただし、ルネ・クレール本人は一切訴訟に関わっておらず、「チャップリンに真似されるなんて光栄だ」とむしろ恐縮していたとのことです。
見どころは、「音」と「動き」の遊び心です。囚人や工場労働者の行進がリズミカルな群舞のように見えたり、花が歌っているように聞こえたりと、抑圧的な世界をあえて軽やかに描くことで、風刺の苦味がかえって際立ちます。
成功者になったルイが最後に工場を労働者に譲り、エミールと共に再び風来坊になるラストは、「持たないことの自由」をユーモラスに讃える名場面です。
囚人たちが並んで木馬を作る工房と、レコード工場のベルトコンベアのレイアウトがよく見るとほぼ同じ構図になっています。
かんとくさんこれはわざとで、セットの似せ方自体が社会批評になっているという意図があったんだ
地位やお金がそのまま自由にはつながらないということです。
最新技術に支配された職場は、見方を変えれば昔ながらの監獄と大差ないという視点は、現代のオフィスワークや工場労働にもそのまま当てはまります。
忙しさに飲み込まれそうになったとき、自分が本当に望む自由は何なのか、一度立ち止まって考えてみたくなる。そんな小さな問いをそっと手渡してくれるような作品と言えます。
Limite (限界)

画像引用元:IMDbより引用
(NO.0057)
監督:マリオ・ペイショット
120分/ブラジル
原題または英題:Limite
日本公開情報なし
マリオ・ペイショットが22歳で撮った、ブラジル映画史上でも特異な存在とされるサイレントの実験映画です。舞台は大海原を漂う小さなボート。名前も与えられていない男1人と女2人が、過去を回想するフラッシュバックを通じて描かれます。ある女は刑務所からの逃亡者、もう一人は不幸な結婚から逃げ出した妻、男は許されない恋に囚われた人物。それぞれが自由を求めて「限界」を越えようともがきながら、結局は別の形の束縛に絡め取られていく様が、ほとんどセリフに頼らず映像だけで語られていきます。
『Limite』は、マリオ・ペイショットが20代前半で撮った最初で最後の長編映画。
脚本・監督・製作を全部自分でやり、資金も実家のお金で自腹制作。撮影はリオ近郊の海岸(マガラチーバ周辺)で、仲間や非プロ俳優を集めて行われました。
公開当時はリオで3回上映されたのみでした。後年の再評価で状況は一変し、批評家や映画作家の間でカルト的人気を獲得しました。現在では「純粋映像の傑作」と言われます。

















ブラジル映画史上、もっとも語られ、もっとも観られていない映画と言われます
最大の見どころは、圧倒的な映像感覚です。ボートをとりまく海、糸を縫う手、鉄格子や階段など、身の回りのものが「拘束」や「孤独」のメタファーとして次々に積み重ねられ、登場人物の心の揺らぎを映し出します。
サティやドビュッシー、ストラヴィンスキーらの音楽にのせたモンタージュが催眠的で、まるで詩のような感覚です。イメージの流れに身を委ねるタイプの作品といえます。
1960年代、唯一のニトラートフィルムは大学に保管されていましたが、軍事独裁政権の警察により、ソ連映画のフィルムと一緒に押収されてしまいます。
そこで立ち上がったのが映画研究者サウロ・ペレイラ・デ・メロ。
彼は奪われたプリントを取り戻し、自宅で可燃性のニトラートを保管しながら、なんと1コマずつ写真撮影して15年かけて復元。その執念から「Limiteの唯一の完全な観客」と称えられています。
人はどこまで自由になれるのか?ということを考えさせられます。
登場人物たちはそれぞれの牢獄から逃げ出したはずなのに、感情や記憶、社会の枠組みといった新たな「限界」に再び縛られてしまいます。
決して答えを与えてはくれませんが、流されるままのボートの上で、それでも自分の過去と向き合おうとする人間の姿を通じて、限界の中でどう生きるかを問いかけてくる作品です。
フィルムがボロボロで、長いあいだまともに上映できなかったにもかかわらず、
- 1968年の雑誌アンケートでベスト10入り
- 1988年にブラジル映画資料館が「史上最高のブラジル映画」と認定
- 1995年の批評家投票、2015年のAbraccineランキングでも堂々1位
と、幻の映画のままランキング上位を総ナメしてしまいました。
タブウ

画像引用元:Rotten Tomatoes
(NO.0058)
監督:F・W・ムルナウ、ロバート・フラハティ
81分/アメリカ
原題または英題:Tabu
配給:パラマウント映画
F・W・ムルナウの遺作となったサイレント映画で、タヒチとボラボラ島でオールロケ撮影された南海の悲恋物語です。物語の舞台は「楽園」と呼ぶにふさわしいサンゴ礁の島。若い漁師マタヒと美しい娘レリは恋に落ちますが、部族の長老はレリを神に捧げられた聖なる乙女として選び、「誰も触れてはならない=タブー」と宣言します。
禁忌を破れば死——それでも二人は島を逃れ、別の島へ向かいますが、そこには金と借金に縛られた、別種の「タブー」が待ち受けていました。
完成後、ムルナウは配給権をパラマウントに売り、公開。しかし、プレミアの約1週間前に自動車事故でムルナウが死去(享年42)。監督本人は自分の作品の公開を見届けることができませんでした。
絵画的な詩のようで、冒頭の陽光と幸福から、終盤の嵐のようなドラマへと変化していく様子が印象的です。
ロケ撮影による光と影のコントラスト、ラグーンを滑るカメラワークなどが、サイレント映画の終幕を飾る内容になっています。
最大の見どころは、観光ポスターのような楽園の風景と、その裏でじわじわと迫る運命の落差です。波打ち際で戯れる若者たち、素潜り漁の場面は、半ばドキュメンタリーのような生々しさがありながら、ムルナウらしい詩的な構図で神話めいた世界として立ち上がります。
一方で、長老の宣告や、逃亡後に待つ借金・搾取の現実は、伝統社会のルールと外から来た文明の理不尽さが、どちらも若い恋人たちを追い詰めていく構図になっています。
作品自体はシリアスな悲恋ですが、当時の観客にとって大きな目玉だったのが
- ラグーンで泳ぐ若い女性たち
- 上半身裸に花飾りのダンスシーン
といった、「南海の裸の楽園」イメージそのものの映像でした。

















そのため、この映画は半裸のエキゾチックな南国映画路線の先駆けと言われるようになりました
何がタブーなのかは時代や社会によって変わっても、そこに押しつぶされるのはいつも普通の人間だということです。
掟に従っても破っても傷つく者がいるのです。その残酷さの中で、マタヒとレリは自分たちなりに自由を選ぼうとします。美しい南海の光景に惹かれて観始めると、最後には自分にとってのタブーとは何かを考えさせられる作品なのです。
街の灯

画像引用元:映画.com
(NO.0059)
監督:チャールズ・チャップリン
86分/アメリカ
原題または英題:City Lights
配給:KADOKAWA
チャップリンが監督・脚本・主演・音楽まで手がけたサイレント映画の傑作です。トーキー時代が始まっていた当時、あえて無声映画の形式を選んだこの作品で、チャップリンは放浪紳士の最高傑作を生み出しました。
『街の灯』が公開された1931年には、ハリウッドは完全にトーキー時代。
スタジオも周囲も「いいかげんセリフしゃべらせろ」と圧をかけていましたが、チャップリンは「放浪紳士がしゃべったら魔法が消える」とサイレント続行を決断。結果、
- 映画はセリフなし
- ただし自作の音楽と効果音だけはしっかり同期させたサイレント+サウンド形式
という変則スタイルになりました。
物語は、街で暮らす浮浪者チャーリーが、目の見えない花売り娘に恋をするところから始まります。彼女はチャーリーを裕福な紳士だと勘違いし、チャーリーはその誤解を解かないまま、なんとか彼女の手術代を工面しようと奮闘します。酔った時だけチャーリーを友人と認識する富豪との奇妙な関係、命がけのボクシング試合など、様々な騒動を経て、やがてチャーリーは投獄され、二人は別れてしまいます。
かんとくさん盲目の花売り娘が初めてチャーリーに声をかけるシーンは、チャーリーは何と300テイク以上撮り直しをしたんだよ
























































有名なエピソードですね
最大の見どころは、抱腹絶倒のギャグと胸が締めつけられる切なさの共存です。ボクシングの試合は、今観てもタイミングが完璧なフィジカル・コメディ。
一方で、花売り娘とチャーリーのやりとりは驚くほど繊細で、ラストの「あなたなの?」の瞬間に、これまでの笑いが一気に涙に変わります。
本当に人を支える力は、見た目や地位ではなく、ささやかな優しさと行動力であるということです。
チャーリーは最後までみじめな浮浪者のままですが、その不器用な善意は確かに誰かの人生を変えます。
ラストシーンがはっきりとしたハッピーエンドを描かないからこそ、観る者それぞれの希望を引き出してくれるような作品と言えるでしょう。
魔人ドラキュラ

画像引用元:映画.com
(NO.0060)
監督:トッド・ブラウニング
74分/アメリカ
原題または英題:Dracula
劇場公開日:1996年11月
ユニバーサル・ピクチャーズの記念すべき吸血鬼映画。ブラム・ストーカーの小説をもとにした舞台劇をさらに映画化したもので、ハンガリー生まれのベラ・ルゴシがドラキュラ伯爵を演じています。
物語は、不動産業者のレンフィールドがトランシルヴァニアの城を訪れるところから始まります。伯爵に魅了され手下にされた彼は、伯爵とともにロンドンへ。そこでドラキュラはミナたち若い女性の血を狙いますが、吸血鬼に詳しいヴァン・ヘルシング教授がその正体を見抜き、最終決戦へと向かいます。
黒マント、巻き舌のアクセント、じっと見据える目線は、今でも「吸血鬼といえばこの顔」と思わせるほど強烈なインパクトです。
最大の見どころはルゴシのドラキュラです。瞳だけを照らすライティング、硬質で芝居がかった動き、紳士的な笑みの下に潜む捕食者の雰囲気!すべてが「人間のふりをする怪物」を完璧に表現しています。
トランシルヴァニアのはずのドラキュラ城、よく見るとオポッサムやアルマジロ、エルサレムコオロギがうろちょろしています。どれも本来はアメリカ大陸の生き物で、「ヨーロッパの古城なのに生態系がおかしい」とみんな突っ込みたくなるポイント。
映画にはほとんど音楽がなく、会話と物音だけが響く「静かなホラー」になっているのも特徴。観客は見えない血や暴力を頭の中で補わされ、想像が怖さを増幅させます。
かんとくさん「I never drink… wine(私は決してワインは飲まない)」は映画で新しく作られたセリフなんだよ
魅力的なカリスマほど、境界線を引かないと危ないということでしょうか。
見えにくい支配や依存、関係性の中の”血を吸われる側・吸う側”をどう断ち切るのか?
そんな現代的なテーマとして観ても面白い作品といえるのです。
フランケンシュタイン

画像引用元:Rotten Tomatoes
(NO.0061)
監督:ジェームズ・ホエール
71分/アメリカ
原題または英題:Frankenstein
配給:ユニバーサル・ピクチャーズ
古典ホラーで、メアリー・シェリーの1818年の小説を元にした舞台劇を映画化した作品です。科学者ヘンリー・フランケンシュタインが「死体のパーツから新たな生命を作り出す」という禁断の実験に挑み、その結果生まれた怪物と周囲の人々が辿る悲劇を描きます。
かんとくさん主役のボリス・カーロフは当時はまだ無名で、本作のプレミア試写会にも招待されなかったんだよ
ボリス・カーロフが演じた平たい頭と首のボルトというビジュアルは、今や「怪物」と聞いて誰もが思い浮かべるほどのアイコンになっています。
物語の舞台はドイツの山間部。婚約者エリザベスの心配をよそに、ヘンリーは助手フリッツとともに墓地や処刑場から集めた遺体をつなぎ合わせ、完全な人間を作ろうとします。
雷のエネルギーを利用した実験は成功し、怪物は「生き返る」。しかし彼は見た目こそ恐ろしいものの、最初は光に手を伸ばす子どものように無垢な存在です。やがて人々の恐怖と扱いのひどさから暴走し、思わぬ悲劇を引き起こしたことで、村人たちに追われ、風車小屋で最後の対決を迎えます。
クライマックスで、怪物が博士を抱えて山を登り、風車小屋まで運ぶシーン。
あれ、本当にカーロフがコリン・クライヴを抱えて何度も歩いているんです。
今見ても不気味で、天才と狂気の境界線を鮮やかに描いた作品と言えます。
見どころは、怪物を単なる悪としてではなく、創造主に捨てられた孤独な存在として描いている点です。凶行の裏側には、恐怖と排除しか返さない社会と、責任から逃げるヘンリーの姿があります。
「命を生み出す力を持つ者は、そのあとの責任から逃げられない」「異質な存在を力ずくで排除すると、より大きな悲劇を招く」というテーマは、現代のテクノロジーやAI社会にもそのまま響きます。
民衆の敵

画像引用元:Rotten Tomatoes
(NO.0062)
監督:ウィリアム・A・ウェルマン
83分/アメリカ
原題または英題:The Public Enemy
配給:ワーナー・ブラザース映画
禁酒法時代のアメリカを舞台に、貧しいアイリッシュ系青年トム・パワーズの転落人生を描くギャング映画です。幼い頃から悪友マット・ドイルとスリや窃盗に手を染めてきたトムは、やがて密造酒ビジネスの用心棒として頭角を現し、金と女と暴力の世界にどっぷり浸かっていきます。
一方、兄マイクはまっとうな道を歩もうとし、家族の中でトムだけがどんどん孤立していきます。ギャング同士の抗争が激しくなる中、トムは復讐と意地だけで動くようになり、その先に待っているのは華やかな栄光ではなく、あまりにむごい最期です。
ジェームズ・キャグニーの爆発的な存在感がスター性を決定づけた作品としても有名で、トムが恋人の顔にグレープフルーツを押し付ける一瞬は、今なお映画史に残るショック・シーンとして語り継がれています。
かんとくさんグレープフルーツを恋人の顔に押しつける場面は、本来はクルーを笑わせるためのジョークだったらしいんだ
見どころは、ギャングの「かっこよさ」よりも、貧困・家庭環境・社会の無関心が、ひとりの若者をどこまで追い込むかを冷徹に見せるところです。トムは決して大物ボスではなく、「いつでも使い捨てにされる下っ端のまま」終わる存在で、その小物ぶりが逆にリアルです。
























































そして、作中の中には禁酒法ネタのダジャレも仕込まれているんですよね
力ずくで自己証明しようとした人生は、最後まで誰にも抱きしめてもらえないという残酷な真実があるということです。
家族とのすれ違いを放置したまま、金と暴力で穴を埋めようとするほど孤独は深まっていくという、そんなことを教えてくれる作品なのです。
M

画像引用元:映画.com
(NO.0063)
監督:フリッツ・ラング
117分/ドイツ
原題または英題:M
配給:パラマウント映画 地上映画社
初めて音響を本格的に使ったサスペンス映画で、「連続殺人犯映画のひな型」とも言われる作品です。舞台はベルリン。幼い子どもを狙う殺人鬼ハンス・ベッケルトの犯行が続き、市民はパニック状態になります。警察は総動員で徹底捜査に乗り出しますが、そのせいで裏社会の商売は大混乱します。
ついにはギャングたちも「街の平穏のため」に動き出し、乞食たちを情報網として組織化します。ベッケルトの癖である「山の魔王の宮殿にて」の口笛を手がかりに、警察と犯罪者たちの二重の包囲網が狭まっていきます。
後のすべての連続殺人犯映画の設計図を作ったと言われるほど、サスペンスの古典としてあげられます。鋭い社会批評と戦慄のサスペンスを融合させた、今日でも心理スリラーの設計図となる作品といっても言い過ぎではないでしょう。

















裏社会の会合シーンなどは、本物の犯罪者たちがエキストラとして出演していました



しかも撮影期間中に25人が実際に逮捕されたんだよ!こわいねぇ
























































画面の中でも外でも犯罪が進行中っていうオチだったのですね
見どころは、何より音の使い方です。犯人の姿が画面にいなくても、口笛のメロディが聞こえた瞬間、観客は「そこに奴がいる」と察することになります。
警察の捜査と盗賊団の情報網づくりを並行して見せる編集も非常にモダンで、現代の刑事ドラマ好きでもすぐに入り込めるはずです。
物語の終盤、ベッケルトは犯罪者たちの「闇の裁判」にかけられ、自らの衝動について叫びます。「お前たちは選んで悪事を働いている。だが自分はこの衝動を止められない」と。ここで映画は「どこまでが病で、どこからが責任なのか」「誰が誰を裁くのか」という問いを観客に突きつけます。
リアリティを出すために、ラングは精神病院に8日間泊まり込み!!
実際の子ども殺しや連続殺人犯と面会しています。
悪は一人の怪物だけの問題ではないということでしょうか?
連続殺人犯という極端な存在を通して、社会の不安、メディアの煽り、警察権力、裏社会、市民の好奇心がどう絡み合うかを、ラングは冷徹に映し出します。
怖い内容なのに、今のニュースやSNSを思い出してしまうところが多く、「自分はこの集団のどこにいるのだろう?」と少し立ち止まらせてくれるような作品なのです。
吸血鬼(ヴァンパイア)

画像引用元:Rotten Tomatoes
(NO.0064)
監督:カール・テオドア・ドライヤー
75分/ドイツ・フランス
原題または英題:Vampyr
配給:ザジフィルムズ
独特なゴシック・ホラーで、「わかりやすい物語」よりも「夢のような不安感」を追求した作品です。主人公は、オカルト研究に興味を持つ若者アラン・グレイ。彼は人里離れたフランスの村コールタンピエールの宿に泊まり、不気味な出来事に遭遇します。夜、老人が彼の部屋に現れ、「私が死んだら開けるように」と書かれた小包を残していきます。
やがてアランは、近くの館で老人が殺されるのを目撃し、その娘レオーネが吸血鬼に襲われていることを知ります。村は女吸血鬼とその手先の医師に支配されており、アランは二人の姉妹を救おうと決意します。
混乱させる視覚効果に満ちた、理論的にも概念的にも不穏な作品といえます。
見どころは、その異様なまでに白くかすんだ映像世界です。現実と幻の境界がわからないような質感を作り出し、セリフは最小限に抑え、テロップと効果音、音楽でじわじわと恐怖を積み上げていきます。
あの独特の白くかすんだ映像は、最初から計画していたわけではなく、カメラマンがたまたまピンボケっぽいショットを撮ったのを、ドライヤーが気に入ったのがきっかけ。
以後はレンズの前にガーゼを張って、わざと全体をフワッとぼかして撮影したと言われています。
同時代の『ドラキュラ』のようにわかりやすい見せ場が続くタイプではなく、「今、何が起きているのかはっきり言えないのに、背中が冷たくなる」感覚を楽しむ作品です。
世界は自分が思っているほど安定したものではないということかもしれません。
アランは、目の前で起きることが現実なのか幻覚なのか確信が持てないまま、それでも誰かを守るために行動しようとします。
不条理で説明しきれない恐怖の中でも、人はなお他人のために行動できるのかという問いを投げかけています。
ル・ミリオン

画像引用元:映画.com
(NO.0065)
監督:ルネ・クレール
83分/G/フランス
原題または英題:Le Million
配給:セテラ・インターナショナル
「宝くじをめぐる追いかけコメディ」です。主人公ミシェルは、借金まみれの売れない画家。恋人ベアトリスや友人たちに囲まれながら、その日暮らしのパリ生活を送っています。ある日、彼が買っていた宝くじが「100万フロリンの大当たり」だと判明します。
しかし、当たり券は古い上着のポケットの中にあり、その上着はベアトリスがうっかり別の人に譲ってしまった後でした。こうして上着と宝くじをめぐり、画家、恋人、友人、泥棒、オペラ座の人々まで巻き込んだドタバタの大追走劇が始まります。
かんとくさんルネ・クレールもまた、トーキー大嫌いの人だったんだ
























































彼の映画にはサイレント映画へのオマージュがたくさん入っていますからね
音楽・映像・編集が一体となった初期トーキー映画の完成形のひとつと評価されています。サッカーの試合の歓声を、上着の奪い合いシーンの音として使うなど、画と音をずらして笑いを生む演出は映画史の教科書でたびたび紹介されます。
見どころは、その軽やかなパリの空気です。屋根裏部屋から始まり、オペラ座の舞台裏、街の裏路地まで、上着を追いかけるだけの物語が音楽とともに楽しく展開していきます。
誰かが得をすれば、誰かが慌てて追いかける。そんなチェイスのリズム自体が音楽のように組み立てられていて、浮かれたパリの一夜を体感する感じです。
お金が欲しいのに、結局一番大切なのは人間関係という真実かもしれません。
みんな宝くじを追いかけているようでいて、最後に残るのは恋人同士の気持ちや仲間との連帯感です。大金が転がり込むチャンスは人生にそう何度も来ないけれど、ドタバタの中で誰と笑っていたいのか?
そう考えるほうがよほど大事なんじゃないか、とこの作品は語っているのです。
牝犬

画像引用元:Rotten Tomatoes
(NO.0066)
監督:ジャン・ルノワール
109分/フランス
原題または英題:La Chienne
日本公開情報なし
恋に溺れた中年男の転落を通して人間の弱さを描いた作品です。主人公モーリス・ルグランは、銀行の出納係として働く気弱な中年男性で、家では口うるさい妻に頭が上がりません。唯一の楽しみは日曜日に絵を描くことでした。ある夜、街でチンピラに殴られていた若い女性リュリュを助けたことから、モーリスは彼女に恋をし、これが本物の愛だと思い込んでしまいます。
しかしリュリュは街娼で、デデというヒモに支配されています。彼女にとってモーリスは、お金を引き出すための道具でしかありませんでした。モーリスの絵は勝手に売られ、彼は会社のお金にも手を出すようになります。やがて真実に気づいたモーリスは、激情のあまり取り返しのつかない行動に出てしまいます。
物語は人形劇のプロローグから始まり、「この話には教訓はありません」と宣言されます。ルノワールは善悪を決めつけず、ただ人間のみじめさと滑稽さを冷静に見つめています。美しい映像と、1931年当時と同じく今も刺激的な、ルノワールの最も皮肉に満ちた人間の肖像と感じてしまいます。
見どころは、モーリスを演じるミシェル・シモンの演技です。冴えない中年男の卑小さ、恋に浮かれた表情、裏切りを知った瞬間の崩れ落ちる顔。すべてのシーンに、笑いと哀れさが同時に込められています。
かんとくさんルノワールは、この映画はそもそも、ミシェル・シモンを撮りたいから作った映画だと語ったんだよ
優雅な構図とカメラの動きが、階級と性の分断を鋭く描いた物語を、忘れられない皮肉な結末へと導きます。
人は自分の見たいものだけを見てしまうという真実があります。
モーリスはリュリュの本性を薄々感じながらも、自分を愛してくれる女性という幻想にしがみつきます。リュリュもデデも、モーリスを本当の人間として見ていません。誰も相手を理解しようとしないからこそ、悲劇が生まれます。
誰一人として完全な善人も悪人もいない世界を描きながら、他人を都合よく利用することが、最も残酷なことではないかと問いかけてくる作品です。
1932年

仮面の米国

画像引用元:bnoirdetour.wordpress.com/より引用
(NO.0067)
監督:マーヴィン・ルロイ
93分/アメリカ
原題または英題:I Am A Fugitive From A Chain Gang
配給:ワーナー・ブラザーズ
第一次世界大戦から帰還した退役軍人ジェームズ・アレンは、貧困のため銃で脅されて強盗に加担させられ、10年の刑を宣告されてチェーン・ギャングへ送られます。過酷な強制労働と残酷な看守による鞭打ちに耐えかね、彼は仲間の囚人の助けを借りて鎖を外して脱走し、シカゴで新しい身分を得て成功したビジネスマンになります。しかし大家の女性に秘密を知られて脅迫され、再び過去が彼を追い詰めます。
原作は実在の囚人ロバート・E・バーンズの自伝で、ワーナー・ブラザーズを「社会派映画のスタジオ」として確立させた作品として知られています。
映画と本が全米で大騒ぎになり、ジョージア州のチェーンギャング制度は、公開からわずか数年で大幅に縮小・廃止へ向かったと言われています。
かんとくさん「映画が社会を変えた」ケースとして、典型例としてよく挙げられる作品だよ
見どころは、炎天下での重労働、逃亡者への鞭打ち、鎖につながれたままの食事や睡眠といったチェーン・ギャングの実態をニュース映像のようなリアリズムで描いた点です。
シカゴで模範市民として成功した後も、書類一枚で再び犯罪者に戻されてしまう展開は、「更生を認めない社会」の恐ろしさを浮き彫りにします。「でも生きなきゃ、ジム。どうやって生きてるんだ?」「盗みだよ」という最後のセリフは名場面で、印象に残るでしょう。

















主演ポール・ムニは、モデルのバーンズ本人と何度も面会し、
歩き方・話し方・クセまで研究したそうです
個人の努力や善意だけでは越えられない構造の暴力があるということです。
ジェームズは怠け者でも凶悪犯でもなく、むしろ勤勉で有能な人物ですが、貧困・戦後不況・理不尽な司法制度が重なったとき、あっという間に人生が壊れていきます。
この映画と原作の書籍は、ジョージア州の残酷なチェーン・ギャング制度の崩壊をもたらすきっかけとなりました。社会の不正義と闘う人々の姿に心を動かされる作品なのです。
金髪乱れて

画像引用元:Rotten Tomatoes
(NO.0068)
監督:ラオール・ウォルシュ
78分/アメリカ
原題または英題:Me And My Gal
日本公開情報なし
ニューヨークの港湾地区で働く若い警官ダニー・ドーランが、カフェのウェイトレス、ヘレン・ライリーに恋をするラブコメディです。ふたりの軽快なやりとりが魅力的な一方で、ヘレンの妹ケイトが元恋人のギャング、デュークとの関係で巻き込まれるトラブルも描かれます。
かんとくさんこの作品はラオール・ウォルシュがわずか19日間で撮ったんだよ
























































かれはもともと、早撮りの名手で有名でしたね
ギャング映画とロマンチックコメディが混ざった分類不能の面白さと言われ、プレコード時代ならではの毒舌トークと下町の雰囲気が特徴的です。
見どころは、口げんかのような会話が実は愛のやりとりになっているダニーとヘレンの掛け合いです。決して裕福ではないふたりが、冗談と皮肉で日常の辛さを笑い飛ばす姿に救われるかもしれません。
港でちょこちょこ出てくるしつこい酔っ払いキャラ、演じているのはウィル・スタントン。彼はウォルシュ作品の常連で、監督作品に7本も出ている「お気に入りの酔っ払い枠」らしいです。ここでもしっかり場をかき回してます。
妹ケイトが危険な男に惹かれてしまう展開は、「人は理屈だけでは動けない」という人間の弱さも描いています。
「正しさ」と「やさしさ」をどう両立させるかというテーマでしょう。
ダニーは警官として法を守る立場でありながら、恋人の家族を守るためにどこまで踏み込むべきか悩みます。ヘレンは彼の不器用な誠実さを見抜いて支えようとします。完璧なヒーローも完璧な悪人もいない世界で、お互いの弱さを受け入れ合うことでしか前に進めない。
誰かを本当に大切にするってどういうことかを問いかけてくる作品です。
素晴らしき放浪者

画像引用元:Rotten Tomatoes
(NO.0069)
監督:ジャン・ルノワール
84分/フランス
原題または英題:Boudu Saved From Drowning
日本公開情報なし
ホームレスのブードゥは、生きる気力を失いセーヌ川に飛び込みますが、書店主レスタングワに助けられます。彼は「善行だ」とブードゥを自宅に住まわせ、妻やメイドと一緒に「きちんとした市民」に更生させようとします。ところがブードゥは、礼儀知らずで自由奔放。家中を引っかき回し、中流家庭の秩序と偽善を次々と暴いていきます。
かんとくさんフランスでは1932年公開なのに、アメリカで正式に公開されたのはなんと1967年のことだったんだ
見どころは、ブードゥが引き起こす混沌です。きちんと整えられた本棚、上品なテーブルマナー、体裁を保つための嘘。
そこに野生児のようなブードゥが入り込むことで、家庭の裏側がどんどん剥がれていきます。一度は「まともな生活」に染まりかけますが、最後には結婚式のボートが転覆したのをきっかけに、そのまま川に流れ、元の放浪生活へと帰っていきます。
この「二度目の洗礼」は、社会の型にはめられることへの拒否として印象的に描かれています。
























































映画の中盤でブードゥは宝くじに当選するという展開がありますね
それでも彼は、金持ちのブルジョワになるでもなく、最後には再び川と放浪へ戻っていくので、「幸運が人をまともにしてくれるとは限らない」という、かなり皮肉なギャグになってます。
善意だからといって相手を自分の価値観に合わせていいわけではないということです。
レスタングワ一家は「救い」を与えているようで、実はブードゥを「理想的な市民」に作り変えようとしているだけ。ブードゥは決して「いい人」にはならないけれど、嘘も体裁も気にしない正直さと自由さを貫きます。
彼を通じてまともに見える社会のほうが、もしかしたら不自由なのでは?と問いかける作品です。
今晩は愛して頂戴ナ

画像引用元:Rotten Tomatoes
(NO.0070)
監督:ルーベン・マムーリアン
96分/アメリカ
原題または英題:Love Me Tonight
配給:パラマウント映画
主人公はパリの仕立屋モーリス。ツケを払わない貴族ギルベールを追って城館へ向かった彼は、誤解から「謎の紳士」として扱われ、そこで高慢な王女ジャネットと出会います。二人は惹かれ合いますが、モーリスの正体と階級差が、ロマンスに影を落とします。
公開当時は約96分のバージョンでしたが、1934年以降のコード施行で再公開する際に約89分までカットされました。カットされた8分ほどのフッテージは現在も行方不明。
最大の見どころは、革新的な演出技法です。特に有名な「Isn’t It Romantic?」の場面では、歌がモーリスから客へ、タクシー運転手へ、列車の兵士へ、ジプシーへと次々に受け渡され、最後に城の王女のもとへ届くという、まるでバトンリレーのような演出が使われています。
名曲「Isn’t It Romantic?」は、仕立屋モーリスが歌い出した歌が
→ 客
→ タクシー運転手
→ 兵士たち
→ ジプシー楽団
→ そして城のバルコニーの王女へ…
と人物と場所を渡り歩きながら繋がっていくという、超有名なシーン。
























































映画ミュージカルの教科書といわれる所以です
パリの朝の街の音(ほうきの音、金槌の音など)が次第にリズムを生み出し、音楽へと変わっていく冒頭シーンも革新的です。軽快なギャグとロマンチックなムードのバランスも素晴らしく、モーリスのユーモアと自信に満ちた姿が魅力的です。
肩書きよりも仕事への誇りと人間的魅力が人を惹きつけるということです。
仕立屋という「庶民」が、自分の腕とユーモアだけを武器に貴族社会で堂々と振る舞う姿は、自分の価値をどう信じるかを教えてくれます。
華やかなミュージカルでありながら、メッセージ性も併せ持っている作品と言えます。
上海特急

画像引用元:Rotten Tomatoes
(NO.0071)
監督:ジョセフ・フォン・スタンバーグ
82分/アメリカ
原題または英題:Shanghai Express
配給:パラマウント映画
舞台は中国内戦下の特急列車。北京から上海へ向かう列車に、かつての恋人同士である英国軍医ハーヴェイと、今は「上海リリー」と呼ばれる高級娼婦が偶然乗り合わせます。他の乗客には、同じく「堕ちた女」フイ・フェイや、正体不明のヘンリー・チャンなど怪しい人物が揃っています。
やがて列車は反乱軍に止められ、実は首謀者だったチャンによって乗客は人質に。ハーヴェイの命が危険にさらされた時、リリーは彼を救うため、自ら犠牲になる覚悟で危険な取引に身を投じます。
上海リリーもフイ・フェイも、劇中では「娼婦」「売春婦」とは一言も言わない。
しかし演技・衣装・台詞のニュアンスで明確に示唆。プリコード期(1930〜34)ならではの匂わせ表現として今でも十分に参考になる演出です。
























































こういう言葉に出さない演出を確立したのが、今でも活かされているのです
見どころは、光と影を極端に使った撮影です。顔の半分だけを照らす「ディートリッヒ・ライト」は、彼女のミステリアスな魅力と過去の傷を同時に表現し、アンナ・メイ・ウォン演じるフイ・フェイのクールな存在感と重なって、二人の女性が物語の中心であることを強く印象づけます。
列車という閉ざされた空間で繰り広げられるサスペンスと、かつての恋人同士の再会というラブストーリーが絡み合い、そのテンポの良さも魅力といえます。
人は見た目や肩書きだけでは測れないということです。
周囲から蔑まれる「堕ちた女」たちが、実は自分を犠牲にして他者を守ろうとし、逆に「まとも」を名乗る人々の方が臆病だったりする。
信頼を失った関係でも、命がけの行動を通してもう一度信じ直すことができるのか。そんな深いテーマを持った作品と言えます。

















この映画もストーリーを追うものではなく、光・影・煙・羽根・ファーの視覚の快楽を味わうことです
極楽特急

画像引用元:Rotten Tomatoes
(NO.0072)
監督:エルンスト・ルビッチ
83分/アメリカ
原題または英題:Trouble in Paradise
配給:パラマウント支社輸入
舞台はヴェネツィアとパリ。国際的な大泥棒ガストン・モネスクは、女スリのリリーと出会い、お互いが泥棒だと気づいた瞬間に恋に落ちます。二人は犯罪コンビを組み、次の標的を香水会社の美しい社長マリエット・コレに定めます。ガストンは盗んだハンドバッグを返して報奨金をもらい、そのまま秘書として雇われることに成功。
しかし金庫から大金を盗む計画は、ガストン自身がマリエットに惹かれ始めたことで、予想外の三角関係へと発展していきます。
この作品は「ルビッチ・タッチ」の完成形として知られ、監督本人もお気に入りの一本でした。洗練されたロマンティック・コメディの頂点ともいえます。
晩年のインタビューで、ルビッチは自分のベスト作品として『極楽特急』を挙げていたと複数の資料が伝えています。
見どころは、会話のすべてに「含み」があることです。愛の言葉も、嫉妬も、犯罪の相談も、すべてエレガントな駆け引きとして表現されます。
観る者は「この一言にどれだけ本音が隠れているのか?」と想像しながら楽しめます。三人の関係は善悪の色分けではなく、「どの相手と、どんな生き方を選ぶのか」という選択として描かれ、華やかな社交界と泥棒稼業のあいだで揺れるガストンの姿に不思議な共感が生まれます。
かんとくさんルビッチ監督は脚本家に対して、原作は読むなと言ったそうだよ
人は誰もが何らかの「役」を演じて生きているということです。
泥棒は紳士を演じ、未亡人も余裕ある大人の女を演じる。けれどその仮面の下で本当に求めているものに気づいたとき、人は初めて自分の選択をし直せるということです。
軽やかなラブコメとして楽しめる一方、深いメッセージも併せ持った作品と言えます。
暗黒街の顔役

画像引用元:Rotten Tomatoes
(NO.0073)
監督:ハワード・ホークス
93分/アメリカ
原題または英題:Scarface
配給:ミツバ貿易商會映畫部
舞台は禁酒法時代のシカゴ。イタリア移民のトニー・スカーフェイス・カモンテは、ボスのジョニー・ロヴォの指示で大物ギャングを殺害し、その後ロヴォの右腕として勢力を拡大していきます。しかし止まらない野心から、やがてロヴォをも裏切り、シカゴの暗黒街を支配しようとします。最後は警察に包囲され、自宅に立てこもって戦いますが、逃げようとして銃弾に倒れます。
この作品は、1983年のアル・パチーノ版『スカーフェイス』の元となったオリジナルです。ギャング映画の原型を作った古典とも言われます。
かんとくさんジョージ・ラフト演じるギーノがコインを指でくるくる回すクセは、この後様々な映画で同じシーンをやるようになったよ
見どころは、ポール・ムニが演じるトニーの止まらない欲望です。金も権力も女も、すべてを手に入れようとする彼の暴走ぶりを、ハワード・ホークス監督は「X」のマークや激しい銃撃戦で表現しています。
このXは死の予兆として映画全体に散りばめられ、トニーの頬の傷跡もXの形をしています。また、妹チェスカへの異常な執着や、ジョージ・ラフトが演じるコイン投げの名場面など、単なるアクション映画を超えた人間ドラマも魅力です。
この作品、よく見ると人が死ぬ前後に必ずと言っていいほど「X」が画面に出てきます。
道路標識、ボウリング場のスコアボード、ドアの番号、影の形など…Xマークが死の予告サイン。当時の新聞が遺体の位置に「X」を印刷していた慣習から着想したと言われます。
歯止めのない野心の危険性を感じます。トニーは実力で成り上がりますが、暴力に頼り、仲間を裏切り続けた結果、誰からも信頼されなくなり孤立します。
成功と破滅は紙一重であること、そして本当の力は暴力ではなく信頼から生まれることを教えてくれる作品と言えます。
怪物團(フリークス)

画像引用元:Rotten Tomatoes
(NO.0074)
監督:トッド・ブラウニング
64分/アメリカ
原題または英題:Freaks
配給:メトロ・ゴールドウィン・メイヤー
舞台はサーカスの見世物小屋。小人のハンスは美しい空中ブランコ乗りクレオパトラに恋をしますが、彼女は力持ちのヘラクレスと恋人同士。ハンスが大金持ちだと知った二人は、結婚して毒殺し、遺産を奪おうと企みます。しかし仲間の「フリークス」たちがその陰謀に気づき、嵐の夜に恐ろしい復讐を果たすという物語です。
この映画の最大の特徴は、実際に身体に障害のあるサーカス芸人たちが出演していることです。
公開当時は「あまりにグロテスク」と猛反発を受け、MGMはオリジナルの90分版から30分近くカットして64分にしました。イギリスでは1963年まで上映禁止となり、興行的にも大失敗。ブラウニング監督のキャリアにも大きな打撃を与えました。
しかし1960年代以降、この映画は再評価され始めます。カルト映画の古典として映画ファンからはよく知られている作品となりました。
見どころは、「誰が本当の怪物なのか」という問いかけです。映画は、外見が異形の人々を「共同体」として温かく描く一方で、美しく健常な二人を冷酷な悪人として描きます。
観る者は最初、フリークスを外側から眺めますが、物語が進むにつれ、真の怪物は美しい外見の裏にある醜い心だと気づかされます。
かんとくさん名フレーズ「One of us!」はラモーンズの楽曲にもなったよ
見た目で人を判断する危うさを考えさせられます。
他人と違うことを理由に排除したり、弱い立場の人を見下したりするなど、そんな態度こそが本当の怪物だと教えてくれます。
今のSNS社会でも通じるような深いメッセージ性を持っている作品なのです。
糧なき土地

画像引用元:Rotten Tomatoes
(NO.0075)
監督:ルイス・ブニュエル
27分/スペイン
原題または英題:Las Hurdes
配給:フランス映画社
約30分の短編ドキュメンタリーです。舞台はスペイン西部のラス・ウルデス地方。そこには、パンすら知らないほどの極度の貧困に苦しむ人々が暮らしていました。
この作品の最大の特徴は、淡々とした語りと重厚なブラームスの音楽が、画面に映る悲惨な光景と不思議な対比を生み出していることです。ナレーションは冷静に事実を説明するように聞こえますが、実はそこには皮肉が込められています。
ブニュエルは当時流行していた旅行ドキュメンタリーの手法をわざと真似して、「ドキュメンタリーとは何か」を問いかけたのです。
おともだちパンのない土地のはずなのに、子供がパンを食べているシーンがあるんだよね
























































そこふれちゃダメ~
撮影では動物を使った演出シーンもあり、そのことで倫理的な議論も起きました。公開当時のスペインでは「国の恥を晒した」として1933年から1936年まで上映禁止になりましたが、後の映画研究者たちからは「ドキュメンタリー映画の常識を覆した革命的な作品」として高く評価されています。
のちにラス・ウルデスの住民たちは、この映画に対して「自分たちを奇形や白痴として見せ物にした」と強く反発しました。
この映画から学べるのは二つあります。
一つは、他人の不幸を安全な場所から眺めるだけで満足していないか、自分自身を見つめ直すこと。
もう一つは、善意のつもりで他人の苦しみを「見世物」にしてしまう危険性です。観る側に強烈な問いを投げかける、貴重な作品なのです。
1933年

四十二番街

画像引用元:Rotten Tomatoes
(NO.0076)
監督:ロイド・ベーコン
89分/アメリカ
原題または英題:42nd Street
配給:ワーナー・ブラザーズ
大恐慌まっただ中のブロードウェイを舞台に、「ショーは何があっても開けなきゃならない」という精神を描いたミュージカル映画です。
物語の中心は、人生最後の大仕事にすべてを賭ける演出家ジュリアン・マーシュと、新米コーラスガールのペギー・ソーヤーです。開幕前夜にスター女優ドロシーが骨折してしまい、代役として抜擢されたペギーが一夜にしてスターへと駆け上がっていく、というサクセスストーリーです。
公開当時、ミュージカル映画は観客から飽きられつつありましたが、本作はその流れを変えた作品と言われます。映画でしかできないミュージカルのスタイルを確立しました。
トーキー初期に量産されたミュージカル映画は、1930年前後には「もう飽きた」と観客に飽きられていいましたが、『四十二番街』と同年の『ゴールド・ディガース1933』の成功で流れが一変。
ワーナーはバズビー・バークレーの「ヤケクソに豪華な群舞」路線で一気に巻き返し、ミュージカル映画ブームの再起動スイッチになった作品として必ずあげられるのがこの作品です。
見どころは、舞台裏の泥臭さと舞台上のきらめきのギャップです。稽古場ではダンサーたちの過酷な労働や恋愛沙汰が描かれますが、いざ幕が開くと、完璧な笑顔でステップを踏みます。この落差が、ショービジネスの本質をよく表しています。
一人の天才よりもチーム全員の力が作品を成立させるということです。
スターが倒れても、代役が立ち、裏方がそれを支えます。何かを作り上げる現場で働く人ほど、共感できる作品です。
フットライト・パレード

画像引用元:Rotten Tomatoes
(NO.0077)
監督:ロイド・ベーコン
102分/アメリカ
原題または英題:Footlight Parade
配給:ワーナー・ブラザース・ピクチャーズ
トーキー時代に押されて仕事を失ったブロードウェイ演出家チェスター・ケントが主人公のミュージカル映画です。
映画館で本編の前に上演される「プロローグ・ショー」を作るビジネスに乗り出したチェスターですが、ライバルにアイデアを盗まれ続けるという困難に直面します。そこへ大手劇場チェーンから「3本の新作ショーを一気に見せろ」という難題が舞い込みます。チェスターは、彼に密かに想いを寄せる有能な秘書ナンや若いダンサーたちとともに、わずか3日間でショーの成功を目指します。
ジェームズ・キャグニーは元々ブロードウェイのダンサー出身。でも映画では『民衆の敵』などギャング役ばかりで、「オレは踊れるんだってば!」と不満だったそう。
そこでこの作品のチェスター役を自分から猛烈アピールして勝ち取ったうえ、これが映画で本格的に踊るのは初となりました。
見どころは2つあります。ひとつは、キャグニーが早口トークとキレのあるダンスで魅せるテンポ抜群の演技です。
もうひとつは、ラストに畳みかける3本のショー・ナンバーで、特に巨大プールセットと人間噴水で圧倒する「By a Waterfall」は、今見ても驚くような視覚的な迫力があります。
「ハネムーン・ホテル」の浴室設定ガバガバ問題!!劇中の新聞には「ハネムーン・ホテル、400室・400バスルーム完備!」と誇らしげに書いてあるのに、
実際のシーンでは各フロアの客がみんな同じバスルームに吸い込まれていくという雑すぎる作り。
クリエイティブな仕事は締切と困難の中で生まれるということです。
時間も予算もない中、チェスターは最後には全力で舞台を仕上げます。また、彼を陰ながら支え続けるナンとの関係は、チームで何かを作るすべての人に響く作品です。
風雲のチャイナ

画像引用元:Rotten Tomatoes
(NO.0078)
監督:フランク・キャプラ
88分/アメリカ
原題または英題:The Bitter Tea of General Yen
配給:コロンビア映画
舞台は中国内戦の混乱の中。宣教師と結婚するため中国に来たアメリカ人女性メーガンは、孤児たちを救おうとする騒乱の中で気を失い、軍閥の将軍イェンに救われます。彼の屋敷に留められるうち、メーガンは敵対する文化や価値観を超えて、イェンの知的で孤独な一面に惹かれていきます。自らの信仰や道徳観に揺さぶられながら、次第に彼への思いを自覚していくのです。
公開当時のアメリカでは「白人女性とアジア人男性の恋愛」はタブーとされ、物議をかもしました。
かんとくさんキャプラ作品の中で唯一の上映禁止になった作品なんだ
1933年当時、アメリカでは「異人種間恋愛」をスクリーンで描くこと自体が非常にタブー。
公開直後、一部の映画館では「観客がショックで退席した」という報告まであり、結果としていくつかの州で自主的に上映を取りやめにしたのです。
見どころは、「異文化の衝突」を詩的な映像で描いた点です。上海の喧騒から、イェンの屋敷の幻想的な静寂へ。西洋的価値観と東洋的宿命という対比が美しい構図で表現されています。
メーガンが夢の中でイェンに救われ、情熱的にキスをするシーンは、当時としては衝撃的な潜在的欲望の表現として印象に残る場面です。
この映画は後のヘイズ・コード(検閲規定)施行の前年に作られたため、「異人種間のキス」をギリギリ描けた数少ないメジャー作品。コード施行後は1970年代まで、こうした描写は見られなくなってしまいます。
























































それ以前にもこれを堂々と描いた作品はほとんど見られません
理解と共感は国境や宗教を超えるということです。
メーガンが見ていた「敵」が、いつしか自分の心を映す鏡になっていくように、偏見を超えた対話の力を静かに訴えています。文化や信条が違っても、真に相手を見つめることで心は通じる。
そんな現代にも通じる普遍的なテーマが、今なお新鮮に響く作品です。
わたしは別よ

画像引用元:Rotten Tomatoes
(NO.0079)
監督:ローウェル・シャーマン
66分/アメリカ
原題または英題:She Done Him Wrongs
配給:パラマウント映画
「あたしは別よ」ではなく「わたしは別よ」が正しいです。メイ・ウエストの魅力が詰まったプレコード時代のコメディ映画です。
舞台は1890年代のニューヨーク・ボウリー。酒場の人気歌手レディ・ルーは、男性客から絶大な人気を集めています。しかし、酒場のオーナーで愛人のガスは裏で売春斡旋や偽札づくりといった犯罪に手を染めており、さらにルーの元恋人チックは嫉妬深いギャング、隣の救済ミッションの所長カミングスは実は連邦捜査官という複雑な状況です。男たちの思惑と犯罪が渦巻く中、ルーは飄々(ひょうひょう)と生きていきます。
この作品の大ヒットで、経営難だったパラマウント映画が救われたとも言われています。
見どころは、メイ・ウエスト演じるレディ・ルーのキャラクターです。「たまにはうちにいらっしゃいよ」(Why don’t you come up sometime and see me?)という有名なセリフをはじめ、二重の意味を持つウィットに富んだ言葉を連発します。若きケーリー・グラントとのやりとりも見どころで、この作品が彼のスターへの道を開いたとされています。
かんとくさん当時ではエロすぎて検閲を本気にさせた映画と言われているんだよ
売春・偽札・殺人・ダブルミーニングだらけの台詞……とプレコードの限界に挑みまくった結果、この作品は「やっぱり検閲をもっと厳しくしなきゃダメだ」と思わせる決定打の一つになり、1934年の本格的なプロダクション・コード(PCA)強化のきっかけになったと言われています。
自分の人生を自分で選び取る強さを学べます。
ルーは周囲の男たちに振り回されず、自分の判断で行動し、最後には自分の人生を選択します。彼女のユーモアは、危険な状況の中で自分を守る術でもあります。
自分の生き方を他人に決めさせないという姿勢に、新鮮なパワーを感じられる作品なのです。
























































この映画は「史上最短上映時間のアカデミー賞ノミネート作品」として、今でも破られていません
我輩はカモである

画像引用元:Rotten Tomatoes
(NO.0080)
監督:レオ・マッケリー
70分/アメリカ
原題または英題:Duck Soup
配給:パラマウント映画
マルクス兄弟が国家と戦争をネタにした痛快なコメディ映画です。
舞台は財政破綻寸前の小国フリードニア。大金持ちのティースデイル夫人は、国に寄付する条件として、風変わりな男ルーファス・T・ファイアフライを元首に据えることを要求します。しかしこの新リーダーは毒舌ばかりで政治はめちゃくちゃ。隣国シルバニアの大使も国を乗っ取ろうと企み、やがてちょっとした口げんかが引き金となって両国の戦争へと発展していきます。
この映画、イタリアの独裁者ベニート・ムッソリーニが「自分を馬鹿にしている!」と受け取ってイタリアでの上映を禁止しました。
かんとくさんしかし主役のグルーチョは逆に、名誉なことだと喜んでいたようだよ
現在ではマルクス兄弟の最高傑作の一つとして語られています。
見どころは、グルーチョの毒舌とテンポの良いギャグの連続です。特に兄弟たちがそっくりに扮して鏡のように動きを真似し合う「ミラー・シーン」は、後世のコメディにも大きな影響を与えた名場面です。
























































以前、志村けんと沢田研二がやっていた有名な「鏡コント」の元ネタとして知られていますね
終盤の戦争シーンでは、グルーチョの軍服が場面ごとにコロコロ変わり、命令も戦況も完全に行き当たりばったり。国家の一大事すらギャグの材料にしていく徹底した反権威ぶりが痛快です。
偉そうな権威ほど、少し引いた目で笑ってみたほうがいいということですね。
フリードニアの指導者たちは、国民よりもプライドやメンツばかり大事にして、その結果国を戦争に巻き込みます。権力者の滑稽さを笑い飛ばすことで、私たちは社会を少し冷静に見つめ直せると教えてくれる作品なのです。
新学期・操行ゼロ

画像引用元:Rotten Tomatoes
(NO.0081)
監督:ジャン・ヴィゴ
47分/フランス
原題または英題:Zero de conduite
配給:アイ・ヴィー・シー
フランスの寄宿学校を舞台に少年たちの反乱を描いた47分の短編映画です。監督のジャン・ヴィゴ自身の体験をもとに作られました。
物語は、休暇明けに学校へ戻った少年たちが、理不尽な校則と教師たちの横暴にうんざりするところから始まります。「操行ゼロ」の評価をもらうと日曜日の外出が禁止されるため、少年たちは不満を募らせていきます。カウサ、コリン、ブリュエル、タバールらは、威張り散らす大人たちに反発し、やがて記念式典の日に学校をひっくり返す計画を立てます。夜の寮での枕投げ、屋根の上からの紙吹雪攻撃など。
少年たちの悪ふざけは、本気の反乱へと変わっていきます。
公開当時、この作品はフランスで「反仏的」と見なされ、検閲により約12年間上映禁止になりました。初公開では観客から賛否両論の反応がありましたが、戦後に再評価され、今では映画学校の教科書にも出てくるような作品です。
あの変なヒゲの校長やチビ教師たち、妙に威圧的で悪夢っぽいでしょ。実はモデルは父親が収容されていたパリの少年刑務所「ラ・プチット・ロケット」の看守たち。学校というより、ほぼ矯正施設として描かれているのはこのせい。
後の「学校反乱映画」などに大きな影響を与えました。
見どころは、子どもの目線で描かれる反権威の感覚です。教師や校長は滑稽な道化のように描かれ、一方でスローモーションの枕投げシーンは詩的で美しく、子ども時代の解放感を強く表現しています。
かんとくさん枕投げシーンは、映像も音楽も逆再生トリックを利用しているんだ
厳しすぎる規律が子どもの心を傷つけるということです。
罰や管理が行き過ぎると、子どもは従順にならず、かえって反発心を育ててしまいます。ヴィゴは、自由と秩序のバランスをどこで取るべきかという問いを、ユーモアと美しい映像で私たちに投げかけています。
























































これを見ると、教育の悩みって何年たっても解決することはないと思い知らされます
ゴールド・ディガース

画像引用元:Rotten Tomatoes
(NO.0082)
監督:マーヴィン・ルロイ
96分/アメリカ
原題または英題:Gold Diggers of 1933
配給:ワーナー・ブラザーズ
アメリカのミュージカル映画で、大恐慌時代のブロードウェイが舞台です。
ショーガールのキャロル、トリクシー、ポリーたちが主人公。ショーが差し押さえで中止になりますが、裕福な作曲家ブラッドが資金を提供し、新しいミュージカルを立ち上げます。しかしブラッドの上流階級の兄が現れ、ブラッドを勘当すると脅します。ショーガールたちは、ショーを続けるために富豪たちを味方につけようと奮闘します。
大恐慌時代の画期的で非常に面白いミュージカルで、バスビー・バークレーの型破りな才能を見せていると評され、1933年のワーナー・ブラザーズで最も成功した作品となりました。
見どころは、金貨のコスチュームで踊る「We’re in the Money」で始まり、失業した退役軍人を描いた「Remember My Forgotten Man」で終わる構成です。
かんとくさんミュージカル終幕は、リアルな失業兵・ホームレス問題に対してのメッセージだったんだ
この最後の曲はフランクリン・D・ルーズベルト大統領の演説に触発されたもので、第一次世界大戦で戦った兵士たちが帰国後に困窮し、炊き出しを受ける姿を描いています。
























































ジンジャー・ロジャースは、実は冒頭だけでほぼ消えます
困難な時代でも、人々が助け合いながら生きる力を教えてくれます。
きらびやかなショーの裏で、社会の厳しい現実にも目を向けた作品といえるのです。
キング・コング

画像引用元:映画.com
(NO.0083)
監督:メリアン・C・クーパー、アーネスト・B・シュードサック
100分/アメリカ
原題または英題:King Kong
配給:千鳥興業社
映画監督カール・デナムと女優アン・ダロウがインド洋の謎の島へ撮影に向かう場面から始まります。島に着くと、アンは島民の生け贄として巨大な猿コングに捧げられてしまいます。アンが救出され、コングが捕獲された後、本当の問題が始まります。コングはニューヨークへ連れて行かれ見世物にされますが、暴走してエンパイア・ステートビルの上で最期を迎えます。
コングの魂を探求し、観客を泣き叫ばせる映画。その画期的な特殊効果のおかげで実現したといえます。
あの有名なコングの咆哮、実は
- ライオンとトラの鳴き声を録音
- それをスロー再生&逆再生してミックス
という、かなり物理的な力技で作られています。
さらに胸をドンドン叩く音は、音響技師が助手の背中にマイクを貼りつけて、胸をドラムスティックで叩いた音だというんだからアナログの凄い仕事量だったことがわかります。
この映画の最大の見どころは、ストップモーション・アニメーションと後ろから映像を投影する技術を組み合わせた革新的な特撮です。
人間と怪獣が同じ画面で動く映像は当時としては革命的で、その後の怪獣映画に大きな影響を与えました。
「コングを殺したのは美女だった」というラストの言葉が示すように、愛が彼を滅ぼしたという悲劇です。
力そのものが悪なのではなく、それを見世物にしようとした人間の欲望が、結果的にコングを追い詰めたのです。
2004年、アン・ダロウ役のフェイ・レイが亡くなった日には、ニューヨークのエンパイア・ステート・ビルのライトが15分間消灯したという演出が施されました。
極楽発展倶楽部

画像引用元:Rotten Tomatoes
(NO.0084)
監督:ウィリアム・A・サイター
69分/アメリカ
原題または英題:Sons of the Desert
日本公開情報なし
アメリカのコメディ映画です。主演はスタン・ローレルとオリヴァー・ハーディのコンビで、友愛団体「砂漠の息子たち」の年次大会に参加したい二人が、妻たちの反対を乗り越えようと奮闘する物語です。
オリーの妻ロリーが反対したため、二人は病気を装い、医者に偽の診断書を書かせて「ハワイへ静養に行く」と嘘をついてシカゴの大会へ向かいます。大会で楽しんだ後に帰宅すると、彼らが乗っていたはずの船が台風で沈没したというニュースが流れ、嘘がバレそうになります。
シカゴの大会シーンには、なんとアメリカン・レギオンやエルクスなど本物の団体のメンバーがエキストラ参加。
スタンの臆病さと心ここにあらずの態度、そしてオリーの大げさな振る舞いと不器用さが、二人の息の合ったコンビぶりを示しているといえます。
この映画の見どころは、小さな嘘がどんどん大きくなっていく様子です。二人は大人になりきれない子どものような存在で、どんな困難な状況でも品位を保とうとする姿が笑いを誘います。
映画の中に出てくる友愛団体「Sons of the Desert」は完全なギャグ設定なんだけど、
現実世界で同名の国際ラurel&ハーディ親睦会が結成されて今も活動中なのだそうです。
身近な人への嘘は、結局自分を苦しめるということです。
正直に話せば解決できたことも、嘘をつくとどんどん複雑になってしまう。シンプルですが、今も通じる大切な教訓です。
クリスチナ女王

画像引用元:Rotten Tomatoes
(NO.0085)
監督:ルーベン・マムーリアン
97分/アメリカ
原題または英題:Queen Christina
配給:メトロ・ゴールドウィン・メイヤー
17世紀スウェーデンの女王クリスティナを演じているロマンス映画です。
6歳で即位して以来スウェーデンを治めてきた平和を愛する女王クリスティナが、従弟カール・グスタフとの結婚を迫られる場面から始まります。彼女は身分を隠して田舎の宿に滞在中、スペイン特使のアントニオと出会い恋に落ちます。
しかし、女王を愛するマグナス伯爵が民衆を扇動し、クリスティナは最終的にカール・グスタフを後継者に指名して退位を決意します。しかしアントニオはマグナスとの決闘で負傷し、彼女の腕の中で息を引き取ります。
もともとスペイン公使アントニオ役には、あのローレンス・オリヴィエが内定していました。
ところがスクリーンテストでガルボと全然しっくり来ず、最終的にガルボが「ジョン・ギルバートにして」とゴリ押しして差し替えに。
この映画の最大の見どころは、ガルボの知的で自由な女王像です。彼女は映画のほとんどで男性の服装とブーツを身につけています。特に恋人と過ごした部屋の一つひとつを「記憶する」名場面は物議を醸しましたが、ラストの船首に立つクリスティナの無言のクローズアップは印象に残るシーンとなるでしょう。
史実のクリスティナが男装好き&生涯独身で、女性との関係も噂されていたことから、映画もジェンダー&セクシュアリティ的な読みが盛ん。
- 男装で兵士たちと一緒に飲み歩く
- 侍女エッバとの親密なスキンシップ
- 「独身のまま死ぬわ(I shall die a bachelor)」という有名なセリフ
などが、後年の研究ではクィア・コードの例としてよく引用されています。
























































当時の検閲ラインぎりぎりで攻めたんですね
周りの期待に応えるだけの人生ではなく、自分で選んだ道を進む勇気を教えてくれます。
女王という立場を捨ててでも、自分の愛と生き方を選ぶ姿は、結末がどうこうではありません。
他人が決めた幸せではなく自分の意志で生きることの重要さを伝えている作品です。
1934年

かぼちゃ大当たり

画像引用元:Rotten Tomatoes
(NO.0086)
監督:ノーマン・Z・マクロード
73分/アメリカ
原題または英題:It’s a Gift
日本公開情報なし
ハロルドは口うるさい妻と甘やかされた子どもたちに囲まれ、店の客たちもひどい人ばかりです。そんな中、遺産を手に入れたハロルドは、カリフォルニアのオレンジ農園を買おうと決意します。
家族の反対を押し切って西部へ向かいますが、着いた先は荒れ地で、家族は彼のもとを去ってしまいます。しかしそこへ、競馬場開発のため土地を高値で買いたいという話が舞い込みます。
映画のラストに出てくる、夢のオレンジ農園のシーン。あれは当時フィールド本人が住んでいた家と敷地でロケ されています。しかも彼は生涯「家も土地も絶対買わない、全部賃貸派」だったのです。
























































持ち家の夢を語るラストが、本人にとっては賃貸の庭というシュールなオチでした
この映画の魅力は、フィールズが舞台時代に磨いた名場面の数々です。特に、縁側で一睡もできない夜のシーンは伝説的で、日常の小さな理不尽さと戦う姿が描かれます。
ストーリーはシンプルですが、実は1910〜20年代の舞台時代のスケッチを大量に再利用した「セルフ・ベスト盤」映画だったのです。
かんとくさんギャグの完成度がやたら高いのは、何年も舞台で鍛えたネタの集大成だからなんだよ



日本では目立たないけど、犬が大活躍する映画なんだよね
人生は完璧な勝利を目指すものではなく、小さな困難に耐えながら、最後に自分の居場所を見つければいいということです。
ボロボロになりながらも、夢を諦めない姿に勇気をもらえる作品です。
女神

画像引用元:Rotten Tomatoes
(NO.0087)
監督:呉永剛(ウーヨンガン)
67分/中国
原題または英題:神女/The Goddess
日本公開情報なし
中国のサイレント映画です。主演は阮玲玉(ルアン・リンユー)が務めました。
1930年代の上海を舞台に、息子を育てるため娼婦として働く名もない女性を描いています。彼女は夜は客を取り、昼は愛する息子の世話をしながら、なんとか学費を貯めて良い学校に通わせようと必死に生きています。
しかし暴力的なボスに目をつけられ、稼ぎを搾取されるようになります。ついに耐えきれなくなった彼女はボスを殺害し、12年の刑を宣告されます。しかし息子を理解してくれた学校長が、少年を引き取って育てることを約束してくれます。
かんとくさんタイトルの「女神」は、実は隠語だったんだ
中国語の「神女」は、直訳すれば「女神」だけど、当時の上海では「教養ある売春婦」の婉曲表現としても使われていた言葉です。
道徳主義やメロドラマに頼らず、表現豊かに構成され、驚くほどモダンな空気感が漂う映画です。
この映画の最大の魅力は、阮玲玉の演技力です。彼女は「東洋のガルボ」と称されました。言葉なしで、表情だけで喜びと不安、希望と絶望を伝える演技は圧巻です。
1930年代の上海の光と影を映し出す映像表現も素晴らしく、貧困と偏見に苦しむ人々の現実を描いています。
当時の上海では、売春婦が女性人口のおよそ13人に1人に達していました。呉永剛は実際の夜の街の光景から着想を得て、「道徳的に断罪する」のではなくこの人たちは、なぜここに追い込まれたのかを描きたかったとされます。
























































タイトルとは裏腹に、かなり骨太な社会派ドラマでもあります
誰かを「悪い人」と決めつける前に、その人を追い込んだ社会の仕組みを考えてみましょう。
彼女は好きで娼婦になったのではなく、息子に教育を受けさせたいという願いから、そうせざるを得なかったのです。本当に残酷なのは、弱い立場の人を利用する者や、職業を理由に差別する人たちではないでしょうか。
貧困や差別という問題は、今も変わらず存在します。現代にも通じる普遍的なメッセージがある作品です。

















世界的にはトーキーが当たり前になっていた1934年、中国ではまだサイレントが主流で、この作品も完全な無声映画として制作されました
或る夜の出来事

画像引用元:Rotten Tomatoes
(NO.0088)
監督:フランク・キャプラ
105分/アメリカ
原題または英題:It Happened One Night
配給:コロンビアピクチャーズ
ロマンティック・コメディの原点と言われる古典的名作です。大富豪の娘エリーは、父親の反対を押し切って結婚しますが、父親に軟禁されてしまいます。そこから逃げ出してニューヨーク行きのバスに乗ったエリーは、たまたま隣に座った新聞記者ピーターと出会います。ピーターは「お嬢様を送り届けるかわりに、そのスクープ記事をもらう」という取引を持ちかけ、二人の珍道中が始まります。
この映画はアカデミー賞で作品賞、監督賞、主演男優賞、主演女優賞、脚色賞の主要5部門すべてを制覇しました。これは映画史上わずか3作品しか達成していない偉業です。
見どころは、クラーク・ゲーブルとクローデット・コルベールの軽妙な掛け合いです。毛布一枚で仕切られた部屋で一晩を過ごす「ジェリコの城壁」のシーン、ヒッチハイクで競い合う場面など、テンポのいい会話とユーモアが詰まっています。
ゲーブルもコルベールも台本が気に入らず、現場ではずっと愚痴っていたとか。
しかしアカデミー賞主演女優賞を取るときは、受賞を信じていなかったので列車で旅行に出ようとしていました。スタジオがあわてて駅から呼び戻し、旅行用スーツのまま授賞式に駆け込んでトロフィーを受け取ったのでした。
恋愛は完璧な二人が出会う話ではなく、不器用な二人が歩み寄っていくということを感じとってください。
育ちも性格も正反対の二人が、お互いの価値観をぶつけ合いながら、少しずつ相手を理解していく過程が描かれています。お金や地位より、本当に一緒にいたい人を選ぶ勇気の大切さを伝えてくれる作品なのです。
アタラント号

画像引用元:映画.com
(NO.0089)
監督:ジャン・ヴィゴ
89分/フランス
原題または英題:L’Atalante
配給:アイ・ヴィー・シー
ジャン・ヴィゴ監督が29歳で亡くなる直前に完成させた唯一の長編映画です。セーヌ川を航行する貨物船「アタラント号」を舞台に、新婚夫婦の若い船長ジャンと妻ジュリエットの物語が描かれます。ジュリエットは狭い船での暮らしに飽き足らず、都会への憧れを抱き続けています。ある日、彼女は一人でパリへ飛び出してしまい、二人はすれ違ってしまいます。
公開当初は上映されませんでしたが、後に完全版が復元され、詩的で美しい映像と人間の愛と孤独を描いた傑作として印象に残ることでしょう。
配給会社のゴーモンは、出来上がった『アタラント号』を見て「これじゃ売れない」と大パニック。
- 本編を65分にまで大幅カット
- 当時流行っていた歌「Le chaland qui passe(通りゆくはしけ)」をムリヤリ挿入
- ついでに映画のタイトルまで 『Le chaland qui passe』に改題
という力技のてこ入れをしました。結局興行的には失敗しました。
見どころは、霧の立ち込める川面、水中で恋人の姿を幻視するシーンなど、現実と幻想が混ざり合う夢のような映像です。ジャンとジュリエットの愛は派手ではなく不器用ですが、その素朴さが心を打ちます。
かんとくさんしかしジャン・ヴィゴは、撮影当時すでに重い結核を患っていたんだ
愛は日常の中でこそ試されるものだということです。
狭い船室での暮らしは結婚生活そのもの。夢や憧れに逃げたくなることもあるけれど、最後に帰る場所は相手のもとなのだと、静かに伝えてくれる永遠の名作です。
黒猫

画像引用元:映画.com
(NO.0090)
監督:エドガー・G・ウルマー
65分/アメリカ
原題または英題:The Black Cat
日本公開情報なし
ホラー映画の名優ベラ・ルゴシとボリス・カーロフが初めて共演した作品です。新婚旅行中のアメリカ人夫婦が、列車で出会った精神科医ウェルデガストと一緒にバス事故に遭い、近くの屋敷に避難します。その屋敷は、第一次大戦の要塞跡に建てられた、建築家ポルツィヒの近代的な邸宅でした。しかし、ウェルデガストがこの家を訪れた本当の理由は、18年前に自分を裏切り、妻子を奪ったポルツィヒへの復讐だったのです。
この映画はエドガー・アラン・ポーの短編小説「黒猫」から題名を借りていますが、内容はほとんど別物です。ユニバーサル初期ホラーの傑作として知られています。
タイトルはド直球でエドガー・アラン・ポー『黒猫』ですが、ストーリーはほぼ完全オリジナル。
ポー要素は「猫がちょっと出る」「罪悪感と復讐」くらいで、実際は戦争トラウマ+サタニズム+近代建築ホラーという、だいぶ別物な内容です。
この映画の魅力は、かつての戦友が敵同士として対決する緊張感と、ガラスとコンクリートで作られた近代的な建物を恐怖の舞台にした点です。
普通のホラー映画なら古いお城が舞台ですが、この作品はスタイリッシュな現代建築を使ったことで、後のホラー映画に大きな影響を与えました。
かんとくさんトーキー以降のサタニック・カルト映画の最初の一本
と言われているんだよ
過去の傷や裏切りは時間が経っても簡単には消えないということです。
ポルツィヒは過去を新しい建物で覆い隠そうとしますが、その下には戦争で亡くなった人々の記憶が眠っています。どれだけ表面を綺麗にしても、解決していない問題は必ずどこかから現れてくるというメッセージが込められています。印象に残る作品となるでしょう。
影なき男

画像引用元:Rotten Tomatoes
(NO.0091)
監督:W・S・ヴァン・ダイク
93分/アメリカ
原題または英題:The Thin Man
配給:メトロ・ゴールドウィン・メイヤー
推理小説家ダシール・ハメットの原作を映画化したミステリー・コメディの傑作です。元探偵のニック・チャールズは、お金持ちの妻ノラと結婚して引退し、今は愛犬アスタと一緒に酒を楽しむ優雅な生活を送っています。そんな彼のもとに、かつての依頼人の娘ドロシーが「行方不明の父を捜してほしい」と頼みに来ます。その後、父の愛人が殺される事件が起こり、ニックは嫌々ながらも事件の捜査を始めることに。
























































犬のアスタ、実は原作では別の動物でした
この映画の最大の魅力は、ウィリアム・パウエルとマーナ・ロイが演じるニック&ノラ夫妻の軽妙な掛け合いです。殺人事件の捜査中でもカクテルを飲みながらジョークを言い合い、お互いを深く信頼している様子が伝わってきます。事件そのものより、この夫婦のやり取りを見ているだけで楽しくなる作品です。
「ニックとノラ、一作でいったい何杯飲んでるのか問題」数えた人によると、
- 90分ちょっとの間に、少なくとも10杯以上はカクテルや酒を飲んでいる
- ニックは「禁酒中だよ」と言いながら、開始数分でシェイカーを振り始める
という、当時の映画としてもかなりの「常にほろ酔い夫婦」ぶり。
結婚しても恋人のような関係を保つことができるということです。
ニックとノラは、お互いの欠点も含めてすべてを受け入れ合っています。だからこそ、皮肉やジョークが愛情表現として成り立っているのです。
人生には困難なこともあるけれど、ユーモアを忘れず、軽やかに受け止めていこうというメッセージを感じさせてくれる作品なのです。
プリースト判事

画像引用元:Rotten Tomatoes
(NO.0092)
監督:ジョン・フォード
80分/アメリカ
原題または英題:Judge Priest
配給:ケイブルホーグ
1890年代のケンタッキー州の小さな町を舞台にした作品です。主人公のプリースト判事は南北戦争で戦った元兵士で、今は町の判事として、法律の条文だけでなく人の心を大切にしながら裁判を行っています。ある時、暴行事件の被告人の弁護を、法律を学んで帰ってきたばかりの甥ジェロームが担当することになり、判事は自分から身を引きますが、陰ながら事件解決を手伝います。
この映画は公開当時ウィル・ロジャースを1934年のトップスターに押し上げるほどの人気作でした。現在は評価が分かれており、フォード監督の温かい演出とロジャースの魅力的な演技は評価されてはいますが…..
黒人キャラクターの描き方が当時の差別的なステレオタイプを反映している点もあり、感情はあなたに委ねましょう。
元の脚本とフォードの構想では、ジェフが白人の暴徒にリンチされそうになる場面があり、判事がそれを止める…というかなり生々しいシーンが撮影されていました。ところが20世紀フォックス側が「重すぎる」としてカットしてしまい、フィルムは失われたとされています。このやられたシーンをどうしても入れたくて、フォードは後年『栄光何するものぞ』でほぼ同じ展開を撮り直しています。
この映画が教えてくれるのは、ルールを守ることと人を思いやることのバランスです。
プリースト判事は、法律の文字だけでなく、その人がどんな人生を歩んできたかを理解しようとします。また、町の人々が身分や噂で他人を判断してしまう姿を通じて、私たちも日常で無意識に人にレッテルを貼っていないか、考えさせられます。
歴史的な問題点も含めて、コミュニティとは何か、本当の正義とは何かを問いかける作品です。
物語は1890年のケンタッキーという設定なのに、冒頭でプリースト判事が読んでいる新聞には「イエロー・キッド」の風刺漫画が。実際にこのキャラが新聞に登場するのは1895年以降なので、作中では5年ほど未来の新聞を読んでいることになります。
























































珍しく未来のキャラが出てくる「時空エラー」が発生してしまっている作品です
1935年

戦艦バウンティ号の叛乱

画像引用元:Rotten Tomatoes
(NO.0093)
監督:フランク・ロイド
132分/アメリカ
原題または英題:Mutiny on the Bounty
配給:MGM
18世紀に実際に起きた海軍の反乱事件を映画化した作品です。イギリスの軍艦バウンティ号の艦長ブライは、部下に厳しすぎる罰を与える冷酷な上官でした。副長フレッチャー・クリスチャンは最初は艦長に従っていましたが、仲間たちがあまりにひどい扱いを受けるのを見て、ついに反乱を起こします。艦長を小さなボートで追放した後、クリスチャンたちは南の楽園タヒチへ向かいますが、それぞれに厳しい運命が待っていました。
かんとくさん撮影用のバウンティ号とパンドラ号は、本物を持ってきて建造しているよ
アカデミー作品賞を受賞しました。クラーク・ゲーブルが演じる正義感あふれるクリスチャンと、チャールズ・ロートンが演じる冷酷なブライ艦長の対決は迫力満点です。
タヒチ風のシーンなどを撮るために海での撮影が多かった本作ですが、ミゲル島沖で使用していたバージ(はしけ)が沈没し、カメラマンのグレン・ストロングが、撮影済みフィルムの入ったカメラを救おうとして海に戻り、そのまま命を落としてしまうという痛ましい事故が起きています。
























































海のロマンの裏には、こんな重たい話しがあったのですね
この映画の魅力は、単なる冒険活劇ではなく、深い人間ドラマにあります。
理不尽な上司にどう向き合うか、仲間を守るために規則を破ってもいいのか、正しいと信じることのために行動する勇気とは何か?そんな今の社会にも通じる問いを投げかけてきます。
明らかに間違っている命令に従うべきか、それとも自分の信念を貫くべきか。そうした人生の大切な選択について考えさせてくれる作品なのです。
この映画は、アカデミー賞でクラーク・ゲーブル、チャールズ・ロートン、フランショット・トーンの3人全員が主演男優賞にノミネートされるという異例の事態になりました。にもかかわらず、作品賞しか獲れませんでした。
そしてこの出来事をきっかけに「脇役と主役をちゃんと分けよう」という議論が強まり、翌年から助演男優賞/助演女優賞の部門が新設されるきっかけの一つになったと言われています。
意志の勝利

画像引用元:Rotten Tomatoes
(NO.0094)
監督:レニ・リーフェンシュタール
112分/ドイツ
原題または英題:Triumph des Willens/Triumph of the Will
配給:東和商事
1934年のニュルンベルク党大会を記録した作品です。ヒトラー自身が製作を委託し、70万人以上が参加した党大会の様子を、約30台のカメラと150人のスタッフで撮影しました。
映画史においては政治的プロパガンダ映画の代表例として世界中で研究されています。
撮影技法としては、当時としては革新的だった空撮、移動カメラ、ローアングルからの撮影などが用いられました。
カメラマン16人、その助手16人、カメラは約30台、音響トラック4台、スタッフは総勢120人以上。撮った素材は約61時間分で、完成版はそのうち約3%だけ。編集に半年かかったと言われています。
見どころは、群衆の動きを一つの視覚的パターンとして捉えるカメラワークと、音楽と映像のリズムを組み合わせた編集技法です。約13万メートルの撮影フィルムを3000メートルに編集し、大規模イベントを視覚的に構成する手法は、その後のドキュメンタリーや政治映像に技術的影響を与えました。
かんとくさん現実を記録したというより、現実のほうを映画のために演出した作品と言えるよ
























































実際には創作もかなり含まれているようですね
映像技術がいかに強力な伝達手段となりうるかを示す歴史的資料として、映画研究や政治コミュニケーション研究の分野で分析されています。

















監督自身は「芸術作品」と言い張っているようですが
戦後リーフェンシュタールは一貫して「私はただ撮っただけ」「政治は無関心だった」
と主張し、著作権も自分のものだと主張して訴訟まで起こしました。
しかし近年の研究やドキュメンタリーでは、
- 党大会の構成段階から深く関与していたこと
- 作品がナチのイメージ作りに決定的な役割を果たしたこと
が改めて指摘され、「単なる観察者ではなく、意識的なプロパガンディストだった」という見方が主流になっています。
三十九夜

画像引用元:Rotten Tomatoes
(NO.0095)
監督:アルフレッド・ヒッチコック
80分/イギリス
原題または英題:The 39 Steps
配給:日本ヘラルド
アルフレッド・ヒッチコックが得意とした「無実の男」スリラーの原点となった作品です。カナダ人のハネイはロンドンで劇場を訪れた際、謎の女スパイ・アナベラと出会い、彼女を自宅に匿います。しかし彼女は何者かに殺され、ハネイは殺人犯として警察に追われる身に。彼女が残した手がかりだけを頼りに、スパイ組織「39階段」の正体を突き止めようとスコットランドへ逃亡します。
ヒッチコックはロバート・ドナットとマデリーン・キャロルを実際に手錠で繋ぎ、『鍵をなくした』と言ってしばらく外しませんでした。二人のイライラと気まずさを本番に持ち込むためでした。
おともだちトッ、トイレも!?
後のヒッチコック作品に繰り返し登場する「追われる男」「金髪ヒロイン」「マクガフィン(物語を動かすための仕掛け)」といった要素がすべて揃った、スパイ映画の古典といえます。
見どころは、ロンドンから列車、スコットランド高地へと舞台が目まぐるしく変わる逃亡劇と、その中で生まれるユーモアです。
列車が止まり、ハネイが橋の下に逃げる有名なカットは、実在する「フォース鉄道橋」で撮影されたもの。イギリスでは鉄オタじゃなくても誰でも知っているランドマークで、「スパイ映画のクライマックスに、国民的インフラをドンと使う」という、今でいう「スカイツリーで追走劇やってみた」みたいなノリのロケーションだったわけです。
特にクライマックスで、劇場の芸人ミスター・メモリーが秘密を暴露する場面は名シーンですよ!
普通の人でも状況に流されず自分で考え続ければ、大きな陰謀に立ち向かえるということです。
かんとくさんヒッチコック本人がタイトル忘れていて、あとから慌てて説明をつけたしたと言われているよ
























































それがラストの説明文なんですね
マルクス兄弟オペラは踊る

画像引用元:Rotten Tomatoes
(NO.0096)
監督:サム・ウッド
91分/アメリカ
原題または英題:A Night at the Opera
配給:メトロ・ゴールドウィン・メイヤー
三流興行師ドリフトウッドが、若い歌手リッカルドと歌姫ローザの恋と成功を手助けしようとしますが、チコとハーポも加わって、船の上からオペラ劇場まで大騒動を巻き起こします。
かんとくさん大ヒットして、マルクス兄弟のキャリアを救った作品と言われているよ
見どころは、何といっても次々と繰り出されるギャグです。特に小さな船室に人がどんどん詰め込まれていくシーンや、契約書をめぐる言葉遊びは、コメディ映画史でもよく語られるシーンです。
グルーチョの毒舌、チコの言葉遊び、ハーポの無言ギャグが休みなく続き、見ている人を笑わせ続けます。
ギャグとしてざっくり覚えられがちですが、狭い客室に入ってくる人数は合計15人ときっちり決まっています。清掃係2人、マニキュア係、エンジニア、電話を借りる乗客、メイド、ウェイター4人などなど…。あのカオスには、実は几帳面な「人数設計」があったというのがちょっと面白いところ。
権威やルールに縛られすぎない自由な発想の大切さを教えてくれます。
うぬぼれたオペラスターや金持ちたちを、マルクス兄弟が笑いでひっくり返していく姿は、理不尽な状況でもユーモアと反骨心があれば道は開けることを伝えようとしている作品なのです。
プロデューサーのアーヴィング・タルバーグは、「ギャグを詰め込みすぎるより、ギャグ半分でも観客がキャラに共感すれば、笑いは2倍強くなる」という持論の持ち主。恋愛パートや音楽シーンを入れ、兄弟は悪役以外にはそこまで意地悪しないよう調整されました。
フランケンシュタインの花嫁

画像引用元:Rotten Tomatoes
(NO.0097)
監督:ジェームズ・ホエール
75分/アメリカ
原題または英題:The Bride of Frankenstein
配給:ユニバーサル映画
前作『フランケンシュタイン』の続編として作られたホラー映画で、「続編の方が優れている」と評価される珍しい作品です。前作で死んだはずの怪物は実は生きており、村人たちから逃げながら孤独な日々を送っていました。一方、フランケンシュタイン博士は謎めいた科学者プレトリアスに脅され、怪物の伴侶となる「花嫁」を作ることになります。
かんとくさん怪物を演じたボリス・カーロフは当初、怪物なのにスピーチはいらないと主張していたんだよ
見どころは、エルザ・ランチェスター演じる花嫁の衝撃的なビジュアルと、怪物と盲目の老人との心温まる交流シーンです。怪物は言葉を覚え、友情を知りますが、最後には「俺たちは死ぬべき存在だ」と自ら決断します。
ジェームズ・ホエールは、もともと『フランケンシュタイン』の続編やる気ゼロで「もうこの題材から絞れるものは絞り切った」と言っていました。ところが自身の『透明人間』が大成功したことで、ユニバーサル側が「完全な自由を与えるから続編を撮ってほしい」と説得。ホエールはその条件ならと引き受けたのです。
違うものを受け入れられない社会の残酷さと、誰もが持つ「居場所を求める気持ち」の普遍性。こういったことを感じとってみましょう。
怖さとユーモア、そして深い悲しみが込められた作品です。
























































映画タイトルは「花嫁」なのに、花嫁登場シーンはラスト約5分ほどしかありません
海賊ブラッド

画像引用元:Rotten Tomatoes
(NO.0098)
監督:マイケル・カーティス
119分/アメリカ
原題または英題:Captain Blood
配給:ワーナー・ブラザーズ
エロール・フリンを一躍スターにした冒険活劇映画です。17世紀のイングランドで、医師ピーター・ブラッドは反乱軍の負傷兵を治療しただけで反逆罪にされてしまい、ジャマイカへ奴隷として送られます。そこで貴族の娘アラベラと出会いますが、スペイン船の襲撃をきっかけに仲間と船を奪って脱出。やがて彼はカリブ海で名を馳せる海賊船長となっていきます。
エロール・フリンとオリヴィア・デ・ハビランドの初共演作として映画史に残る作品となりました。作曲家エーリヒ・ヴォルフガング・コルンゴルトによる初の本格的なシンフォニック・スコアも印象的です。
見どころは、迫力ある海戦シーンと剣戟アクション、そしてブラッドとアラベラの切ないロマンスです。特に最後の海戦では2500人ものエキストラが動員され、当時としては驚異的なスケールの映像が実現されました。
フリンとマイケル・カーティスは、その後もコンビで何本もヒットを飛ばしますが、プライベートではかなり険悪な関係だったことで有名。「12本も一緒に仕事をしたのに、お互い大嫌いだった」と証言したとか。
理不尽な境遇に置かれても、自分の信念を曲げずに生きることの大切さを教えてくれます。
ブラッドは奴隷から海賊になっても、仲間に対しては誠実で公正に接し続けます。どんな状況でも自分らしさを失うことはありません。
そんな生き方の美しさを、痛快な冒険物語の中で見せてくれる作品です。
トップ・ハット

画像引用元:Rotten Tomatoes
(NO.0099)
監督:マーク・サンドリッチ
99分/アメリカ
原題または英題:Top Hat
配給:RKO
フレッド・アステアとジンジャー・ロジャースという伝説的コンビが主演したミュージカル映画です。
ブロードウェイのダンサー、ジェリーがロンドンでホテルの自室でタップダンスを練習していたところ、階下に泊まっていたモデルのデイルから苦情を受けます。ところがジェリーは彼女に一目惚れ。しかしデイルは、ジェリーを友人の夫と勘違いしてしまい、二人の恋は大きくすれ違っていきます。
不況期の観客にとって完璧な気晴らし作品といわれました。
見どころは、なんといってもアステアとロジャースの息の合ったダンスです。雨の中で傘をくるくる回しながら踊る場面や、白い羽根のドレスで優雅に舞う「チーク・トゥ・チーク」のシーンは名場面です。
予算は約60万9,000ドルなのに、世界の興行収入は約320万ドル。RKOに約132万5,000ドルの純利益をもたらし、「1930年代のRKOで最も儲かった作品」と記録されています。
























































不況時代のアメリカでは、現実逃避ミュージカルが求められていたということですね
困難な時代だからこそ、軽やかさとユーモアが人の心を救うということかもしれません。
単なる勘違いコメディですが、怒りや言い争いではなく、歌とダンスで問題を解決していく姿が、見る人を前向きな気持ちにさせてくれます。古いミュージカルが苦手な人にも、まず最初に見てほしい名作です。
永遠に愛せよ

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(NO.0100)
監督:ヘンリー・ハサウェイ
88分/アメリカ
原題または英題:Peter Ibbetson
日本公開情報なし
ジョージ・デュ・モーリアの小説をヘンリー・ハサウェイ監督が映画化した、ラブ・ファンタジーです。
幼い頃パリでゴゴとミムジーとして仲良しだった男女は、母の死をきっかけに離ればなれになります。大人になったピーターは建築家として働き、ある日公爵家の仕事で出会った公爵夫人メアリーが、幼い日のミムジーだと気づきます。二人は惹かれ合いますが、嫉妬に狂った公爵との揉み合いの末、ピーターは殺人罪で終身刑に。しかし二人は「夢の中で同じ場所に行ける」ことを知り、現実では牢獄と屋敷に閉じ込められながらも、夢の世界でだけ生涯を共に過ごしていきます。

















映画の中のクーパーをよく見ると、口ひげをたくわえてます
見どころは、「夢の共有」というロマンチックで少し不気味なアイデアです。
牢屋のベッドに横たわるピーターが、目を閉じた瞬間、明るい草原でメアリーと再会する。その対比が、現実の残酷さと精神世界の自由さをくっきり浮かび上がらせます。
主演のゲイリー・クーパーは、のちに「自分はこの役に合ってなかった」と感じていたと言われます。
たしかにバリバリのモンタナ訛りでイギリス紳士を演じているので、そこだけ聞くと配役ミス感ありますが、その後はキャリアでもっとも繊細で感傷的な演技と言われるようになりました。
身体は閉じ込められても、心までは奪えないというメッセージを感じるでしょう。
社会的な立場や罪と罰によって現実には結ばれない二人が、それでも夢の中で生き続けることを選ぶ姿には、愛情や記憶の力がどれほど人を支えるかというテーマが込められています。「恋愛×夢×来世」のモチーフに敏感な人には刺さる作品と言えます。
1936年

モダン・タイムス

画像引用元:映画.com
(NO.0101)
監督:チャールズ・チャップリン
87分/アメリカ
原題または英題:Modern Times
配給:KADOKAWA
チャップリンがトレードマークの「放浪紳士」を演じた最後の作品です。大恐慌時代のアメリカを舞台に、工場の流れ作業で働く男性が機械の速さについていけず心を病んでしまい、その後も仕事を転々としながら、家出少女と出会って懸命に生きていく姿を描いています。
工業化アメリカを痛烈に風刺しつつ、腹を抱えて笑わせるスラップスティックと言われ、チャップリンの代表作になりました。
見どころは、深刻な社会問題を笑いに変えてしまう天才的な演出です。巨大な機械の歯車の中を流されるシーン や、暴走する自動食事マシーン、デパートでの危なっかしいローラースケートなど、笑いながらも働く人間が「部品」のように扱われる社会の厳しさが伝わってきます。
かんとくさんベルトコンベアのアイデアのもとは「工場労働者のボロボロ話」から生まれたんだ
音声映画の時代にあえてセリフをほとんど使わず、チャップリンがでたらめな言葉で歌うシーンだけ声を使った という点も特徴的です。
この映画はリトル・トランプ最終出演作であり、そしてチャップリンの声が初めて聞こえる作品でもあります。沈黙のアイコンが、ラスト近くのナンセンス・ソングで突然歌い出す瞬間、ほんとに「え、しゃべった!?」と衝撃だったことでしょう。
音楽はチャップリン自身が作曲し、コミカルさと哀しさが同居する名曲となっています。
どんなに厳しい状況でも、笑って前を向けば生きていけるというメッセージを感じてもらえるでしょうか?
何も持たない二人が最後に手を取り合って朝日に向かって歩く姿は、困難な時代を生き抜く希望そのもの。今の時代にこそ観てほしい作品でもあります。
有頂天時代

画像引用元:Rotten Tomatoes
(NO.0102)
監督:ジョージ・スティーヴンス
105分/アメリカ
原題または英題:Swing Time
配給:RKO
物語は、ダンサーでギャンブル好きのラッキーが主人公です。結婚式に遅刻してしまった彼は、婚約者の父親から「2万5千ドル稼いだら結婚を認める」と言われ、ニューヨークへ向かいます。
そこでダンス教室のインストラクター、ペニーと出会い、コンビを組むことになります。やがて二人は惹かれ合いますが、ラッキーの元婚約者の存在が二人の関係を複雑にしていきます。
スウィング・タイムで「花婿にブチ切れる判事の父親」を演じているのは、実は監督ジョージ・スティーヴンスの実父、ランダース・スティーヴンス。
見どころは、息をのむほど美しいダンスシーンです。特に「Never Gonna Dance」は、二人の最高傑作と評され、別れの切なさをステップで表現した感動的なシーンとなっています。
フレッド・アステア&ジンジャー・ロジャースのコンビにとって、シリーズ初の本気のキスがある作品がこの『有頂天時代』。ただし観客はその瞬間をハッキリ見せてもらえません。
























































検閲事情もありますが、実は見せないほうがロマンチックという焦らしテクでもあるんですよ

















ちなみにブラックフェイス登場シーンあります
素直な気持ちを伝えることの大切さを教えてくれます。
二人は惹かれ合っているのに、誤解や見栄が邪魔をして遠回りを続けます。でも、ダンスを通してだけは本当の気持ちがあふれ出してしまう。言葉でうまく伝えられないときこそ、別の方法で表現する勇気が必要だと、軽やかに教えてくれる名作です。
オペラハット

画像引用元:Rotten Tomatoes
(NO.0103)
監督:フランク・キャプラ
115分/アメリカ
原題または英題:Mr. Deeds Goes to Town
配給:コロンビアピクチャーズ
バーモント州の小さな町マンドレイク・フォールズで詩を書き、チューバを吹いて暮らしていたロングフェロー・ディーズが主人公です。突然2000万ドルの遺産を相続した彼は、ニューヨークへ連れて行かれます。純朴な彼は強欲な弁護士やたかり屋に狙われ、新聞記者ベイブには「シンデレラ・マン」と揶揄する記事を書かれて笑い者にされてしまいます。それでもディーズは自分なりの正義感を失わず、大恐慌で職を失った人々のために遺産を使う決断をします。
ヒロイン・ベイブ役、最初に決まっていたのは カロル・ロンバード。ところが撮影開始3日前に、
「ごめん、『極楽特急』に出るから降ります」って、おい!!
キャプラは大慌てで代役を探し、ラッシュを見て気に入ったのがジーン・アーサー。
しかもスタジオ社長ハリー・コーンは彼女の顔があまり気に入らず、キャプラは「顔じゃなくて声を聞け」と説得して、ようやくOKをもらったとか。
見どころは、ゲイリー・クーパー演じるディーズのキャラクターです。彼はお人よしで鈍くさく見えますが、本質的には賢く、相手の欲深さや嘘を見抜く力を持っています。
その「鈍そうで鋭い」ギャップが都会の人々を振り回します。皮肉な記事を書きながらも、次第に彼のまっすぐさに惹かれていく記者ベイブとの関係も、「弱さを認め、謝ること」の難しさを描いています。

















ドイツでは上映禁止になりました。理由は、「非アーリア系俳優が出演しているから」だそうです
























































ディーズの「強い者は、丘を登れない者を助けるべき」という台詞の重さが身に沁みますね
損に見える善意が長い目で見ると一番理にかなっていることがあるということです。
批判や嘲笑に晒されながらも、自分の価値観を曲げずに人を助けようとするディーズの姿は、善意さえ疑われがちな現代にこそ響きます。富や名声よりも、自分が信じられる生き方ができているかを基準にすることを教えてくれる作品なのです。
襤褸と宝石

画像引用元:Rotten Tomatoes
(NO.0104)
監督:グレゴリー・ラ・カヴァ
94分/アメリカ
原題または英題:My Man Godfrey
配給:ユニヴァーサル映画
『つづれとほうせき』と呼びますが、大恐慌時代のニューヨークを舞台にしたスクリューボール・コメディです。
ゴミ捨て場で暮らすホームレスのゴドフリーが、金持ち令嬢アイリーンに「忘れられた男」としてスカベンジャー・ハント(宝探しゲーム)に連れ出されるところから物語が始まります。ゲームがきっかけで、ゴドフリーは彼女の家のバトラー(執事)として雇われることになります。
しかし、このブルック家はかなり変わった人たちばかり。ワガママな姉、妄想気味の母、居候の芸術家など、上流階級の「困った人々」に、ゴドフリーは静かにツッコミを入れ続けます。
























































ゴドフリー役のウィリアム・パウエルと、アイリーン役のカーレ・ロンバードは、撮影の3年前に離婚した元夫婦です!
かんとくさんそれでも仲は良かったんだよ
見どころは、ウィリアム・パウエル演じるゴドフリーの静かな格好良さです。丁寧な物腰でハチャメチャな一家をさばきつつ、裏では困っている人たちのためにこっそり計画を進めています。
アイリーンを肩に担いで階段を上がる、あの印象的なシーン。あれを全部パウエルがやるのは危ないということで、保険会社の指示もあり、階段を上がるショットはスタントマンのチック・コリンズが代役を務めています。
キャロル・ロンバード演じるアイリーンの暴走ぶりも愛らしく、二人のテンポの良いやりとりは今見ても笑えます。一方で、ホームレスたちが暮らすゴミ捨て場と、豪華なホテルで遊ぶ富裕層の対比は辛辣で、「豊かさ」とは何かを皮肉たっぷりに突きつけてきます。
本当の品の良さは肩書きや財産ではなく、他人を人間として見る目に表れるということです。
軽やかな笑いの中に格差社会への鋭い視線を忍ばせた、後味の良い作品です。
とらんぷ譚

画像引用元:Rotten Tomatoes
(NO.0105)
監督:サシャ・ギトリ
85分/フランス
原題または英題:Le Roman d’un Tricheur
日本公開情報なし
「とらんぷものがたり」と読みますね。サシャ・ギトリ自身が書いた小説を自ら映画化した作品です。パリのカフェで一人の中年男が回想録を書き始めるところから物語が始まります。12歳のとき、家のお金を盗んだ罰として夕食抜きにされ、その夜、家族全員がキノコ中毒で死亡。自分だけが生き残った経験から、「正直者は損をする」と悟った彼は、以後ずっと「ズルをして生きる」道を歩んでいきます。
この作品の最大の特徴は、ほとんど全編がギトリの語りで進むことです。画面ではサイレント映画のように登場人物が無言で動き、その上からギトリの声がひたすら状況を説明していきます。ギトリは監督・脚本・主演だけでなく、ほとんどのキャラクターの声も一人で担当し、軽妙な毒舌で物語を転がします。
この映画、セリフの約9割がギトリの声によるナレーションと言われています。しかもギトリは「語り手+主人公」だけでなく、ほかの登場人物の台詞までほぼ全部ひとりでしゃべるスタイル。
公開当時のフランスでは賛否が分かれましたが、その斬新な語り口は後に高く評価され、オーソン・ウェルズらも手本にしたとされています。
見どころは、主人公が「悪党なのにどこか憎めない」バランスです。彼は常にズルをしながら生きてきたと豪語しますが、その選択の裏には、貧しさや孤独、生き残ってしまった者の皮肉な運命がチラつきます。
正直に生きることと、うまく生きることは本当に矛盾するのか?ということを考えさせられます。
人生は計算通りにいかず、ズルもまた予期せぬしっぺ返しを呼ぶ。それを深刻ぶらず、軽やかなユーモアで見せるのがこの作品の魅力です。
椿姫

画像引用元:Rotten Tomatoes
(NO.0106)
監督:ジョージ・キューカー
108分/アメリカ
原題または英題:Camille
配給:メトロ・ゴールドウィン・メイヤー
フランスの作家デュマ・フィスの小説を映画化したロマンティック映画です。19世紀のパリを舞台に、病気を抱えた高級娼婦マルグリットと、誠実な青年アルマンの切ない恋が描かれます。
主演のグレタ・ガルボの演技は「キャリア最高」と絶賛され、この作品でアカデミー主演女優賞に3度目のノミネートを果たしました。
マルグリットの死のシーンを撮るとき、ロバート・テイラーが自分の蓄音機を楽屋に持ち込み、グレタ・ガルボが感情に入っていけるようポール・ロブソンのレコードをかけ続けていたそうです。
見どころは、ガルボが演じるマルグリットの繊細な表現です。華やかな社交界で笑顔を見せながらも、病に苦しみ、それでも恋を選ぼうとする強さ。そして最後には、愛する人の将来のために身を引く決断をする切なさ。その全てが、視線や表情だけで伝わってきます。
特に終盤、アルマンの腕の中で静かに息を引き取るシーンは、多くの人の心に残る名場面と言われます。
本当の愛は、時に手放すことでもあるということです。
この映画の企画と立ち上げを主導したのは、MGMの伝説的プロデューサーアーヴィング・サルバーグ。
ところが、撮影中にサルバーグが急死してしまい、ポストプロダクションはバーナード・ハイマンが引き継いで再編集・追加撮影を行いました。
マルグリットは自分の過去がアルマンを傷つけると知り、誤解されてでも別れを選びます。また、病が進むにつれ、彼女は贅沢な暮らしよりも「大切な人と過ごす時間」を求めるようになります。
お金や地位ではなく、誰とどう生きたかこそが大切だと教えてくれます。
来るべき世界

画像引用元:Rotten Tomatoes
(NO.0107)
監督:ウィリアム・キャメロン・メンジース
95分/イギリス
原題または英題:Things To Come
日本公開情報なし
SF作家H・G・ウェルズが自身の小説を映画化したイギリスの本格SF映画です。1940年、架空の都市エヴリタウンで世界大戦が勃発。戦争は30年も続き文明は崩壊します。疫病が人々を襲い、軍閥のボスが荒廃した街を支配しますが、やがて科学者たちの組織「翼の同盟」が現れ、理性と科学の力で新しい社会を築きます。
さらに100年後の2036年、地下都市となったエヴリタウンで、人類初の月ロケット打ち上げをめぐって、進歩を求める側と「これ以上の発展は危険だ」とする側が対立します。
有名なバウハウス系アーティスト、ラースロー・モホリ=ナジが抽象的な特殊効果シーンを担当しましたが、その多くは本編でほぼ未使用。その未使用フィルムが、のちのBlu-rayで特典映像やインスタレーション作品として復活しています。
























































まさに『来るべき世界』ですね
見どころは、未来都市のビジュアルです。プロダクションデザインは映画史に残る名作とされ、巨大なスロープやガラスのドーム、地下都市のデザインは、後のSF映画全体に影響を与えました。
公開が1936年という点も重要です。第二次世界大戦前に作られたこの映画は、空襲や戦争の長期化を予言しており、その先見性に驚かされます。

















ヘリコプターのデザインが未来予想だけどちょっと違和感があります。テールローターの仕様がけっこう変な感じですね
科学技術の進歩は本当に人類を幸せにするのか?ということを考えさせられます。
理性と科学で理想社会を築く物語ですが、同時に「進歩の代償」や「犠牲を払ってでも前進すべきか」という疑問も投げかけます。
戦争、テクノロジー、環境問題など、現代にも通じる普遍的なテーマを扱った、古典SF作品です。
孔雀夫人

画像引用元:Rotten Tomatoes
(NO.0108)
監督:ウィリアム・ワイラー
101分/アメリカ
原題または英題:Dodsworth
配給:ユナイテッド・アーティスツ
シンクレア・ルイスの小説を映画化した人間ドラマです。自動車会社を売却して引退したサム・ドッズワースは、妻フランとヨーロッパ旅行に出かけます。しかし旅先で、二人が求める人生が全く違うことが明らかになります。仕事一筋だったサムに対し、若さへの憧れを捨てきれないフランは、ヨーロッパの男性たちとの恋にのめり込みます。傷ついたサムは、船旅で知り合ったアメリカ人女性イーディスと再会し、静かな友情が新しい愛へと変わっていきます。
ウィリアム・ワイラーは、この作品で自分自身をちょっとだけ出演させています。
フランがオーストリア人の求婚者と行くウィーンのナイトクラブ、あそこでオーケストラのバイオリン奏者のひとりとしてワイラー本人が登場。
























































一度ヒッチコックみたいなことやってみたかったんでしょうねぇ
見どころは、単なる不倫の話ではなく、長年の結婚が価値観のズレでほころんでいく様子をリアルに描いているところです。フランは自己中心的で痛々しい存在ですが、「女として終わりたくない」という彼女の叫びには、当時の社会が女性に課していた残酷な年齢制限も見えてきます。
一方、サムは傷つきながらも、自分の人生をどう立て直すかを考え始めます。イーディスとの会話は、やっと自分と同じ速度で歩いてくれる相手を見つけたと思うような安心感に満ちています。
かんとくさんマリア・オースペンスカヤはたった1シーン・4分ほどの出演でいきなりアカデミー助演女優賞にノミネートされたんだ
長く一緒にいるからこそ、関係を見直し続けないと、いつの間にか別々の人生を見ているということです。
積み重ねた年月への執着と、これからの人生をどう生きたいかという本音がぶつかったとき、人はどう選択するのか。サムの決断は、何歳になっても人生を選び直していいのだと教えてくれる作品です。
ピクニック

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(NO.0109)
監督:ジャン・ルノワール
40分/フランス
原題または英題:Partie de campagne
配給:クレストインターナショナル
ギ・ド・モーパッサンの短編をジャン・ルノワールが映画化した短編映画です。1860年ごろ、パリの商店主デュフール一家がセーヌ川沿いへピクニックに出かけます。川べりの茶店で出会った若いボート乗りヘンリとロドルフに誘われ、娘のアンリエットはヘンリと二人きりでボートに乗ります。
揺れるブランコや川べりの草むらで、短いけれど忘れられない恋のひとときを過ごした二人。しかし数年後、平凡な結婚生活を送るアンリエットが、かつての場所でヘンリと再会したとき、二人は失われた可能性を静かに噛みしめることになります。
1936年に撮影されたものの、悪天候や別作品への参加で撮影が最後まで終わらず未完成のまま放置。
10年後に、編集のマルグリット・ルノワール(ジャンのパートナー)と妹マリネット・カディクが残されたフィルムをまとめて、1946年にようやく公開されました。
見どころは、アンリエットがブランコに乗る場面や川辺の美しい映像です。モーパッサンはルノワールの父で画家のオーギュストの友人で、ブランコのシーンは父の絵画を思わせる構図になっています。
木漏れ日の中で笑うアンリエットの表情が、次の瞬間には生涯忘れられない記憶へと変わる。その時間の一瞬性が切なさを感じさせてくれます。
スタッフをよく見ると、
- ジャック・ベッケル(のちの『穴』『現金に手を出すな』など)
- ルキノ・ヴィスコンティ(のちの『山猫』『ベニスに死す』など)
という、のちに名監督になる2人が助監督や美術係として参加しています。
























































さらにジャン・ルノワール本人も宿屋の主人・プーレン役で登場していますよ
人生には、そのとき掴まなければ二度と戻らない瞬間があるということです。
アンリエットは家族や将来への不安から、ヘンリとの恋を諦めますが、後になってみると、その瞬間だけが本当に生きていた時間だったように思えてきます。
私たちも日常の中で、そんな分岐点をいくつも通り過ぎているのかもしれません。40分という短さで味わえる、甘くてほろ苦い人生の物語です。
サボタージュ

画像引用元:Rotten Tomatoes
(NO.0110)
監督:アルフレッド・ヒッチコック
76分/イギリス
原題または英題:Sabotage The Woman Alone
日本公開情報なし
ジョゼフ・コンラッドの小説『秘密諜報員』を映画化したスパイ・サスペンスです。ロンドンで小さな映画館を営むヴァーロック夫妻は一見普通の夫婦ですが、夫は正体を隠したテロリスト。警察は隣の八百屋に潜入捜査官を送り込みますが、やがて妻の弟である少年に爆弾入りの荷物が託され、取り返しのつかない悲劇へと転がっていきます。
ヒッチコック自身が後年、バス爆破シーンについて「サスペンスの原則を破ってしまった」と反省したエピソードも有名です。
かんとくさん失敗したというポイントが「子どもを殺したから」ではなく、「観客にカタルシス(感情の浄化や解放という意味)を与える前に爆発させたから」ということなんだよ
























































いかにもサスペンス職人らしい見方ですね
見どころは、映画館という舞台設定です。スクリーンに流れるディズニー短編『誰がコマドリを殺したか?』が物語と響き合い、観客だけが「少年のカバンの中身」を知っている中で、彼がロンドンの街をさまよい、時計の針がじわじわ進んでいくシーンは、ヒッチコックのサスペンス技術が集約されています。
そして爆破のあと、真相を知った妻が夫に向ける感情の爆発は、単なるスパイものを越えて「家庭内の崩壊ドラマ」として胸に残ります。
コンラッドの小説でテロリストの夫は「Adolf Verloc」という名前ですが、映画版では「Karl Verloc」に変更されています。
かんとくさん理由は不確かなんだけど、「アドルフ」という名前がヒトラーを連想させたからという説があるんだ
テロや暴力が「どこか遠くの出来事」ではなく、何も知らない家族や市民の生活を容赦なく巻き込むという冷酷な事実です。
妻シルヴィアが夫の秘密を知ったとき、信じていた日常が一瞬で崩れ落ちる感覚は、「相手をどこまで知っているのか」「誰を信じて生きるのか」という普遍的な問いにもつながります。
じわじわと追い詰められる緊張と、取り返しのつかない一瞬の重さを味わえる作品といえます。
1937年

望郷

画像引用元:Rotten Tomatoes
(NO.0111)
監督:ジュリアン・デュヴィヴィエ
94分/フランス
原題または英題:Pepe le Moko
配給:東和商事
フランス映画「ポエティック・リアリズム」を代表するギャング映画です。
ポエティック・リアリズムとは、1930年代にフランスで発展した映画運動で、現実主義的な描写の中に、詩的で情感的な雰囲気や運命論的なテーマを融合させているものです。
舞台はフランス支配下のアルジェ。宝石強盗ペペ・ル・モコは、迷路のようなカスバ地区に潜伏しています。地元の仲間に守られ王様のように暮らしていますが、「カスバから一歩出たら逮捕」という檻の中でもあります。ペペは次第に、自由なはずの隠れ家に息苦しさを感じるようになります。そこへパリから来た上流階級の美女ギャビーと出会い、彼女にパリの匂いと帰れない故郷を見てしまったことから、運命は狂い始めます。
記憶にある中でもっとも興奮させられ、胸を打つ映画のひとつであると、世界中多くの人が感動しました。
ハリウッドリメイク『アルジェ』(1938)や『カサブランカ』などに影響を与えたとされています。
見どころは、カスバの濃密な雰囲気です。主にパリ郊外のスタジオでセット撮影され、外観のみアルジェでロケ撮影されました。ジャン・ギャバンが演じるペペの存在感は圧倒的で、恋人イネスへの乱暴さと、ギャビーへの憧れが危うい魅力として同居しています。
路地裏のカスバを細かく再現した結果、背景にはそこらじゅうに猫がウロウロしていて、海外のサイト CinemaCats ではわざわざ『Pépé le Moko』の猫出演シーンがまとめられているほど。
























































ただ雰囲気を味わうために流しておきたい映画ですね
安全な居場所がいつの間にか牢獄にもなり得るという真実で、あり得ないようで現代でも身近にあり得るようなお話しでもあります。
安全にしがみつくほど、外の世界への憧れは強くなり、そのギャップが人を破滅へと追い詰めていきます。
明日は来らず(明日の為に)

画像引用元:Rotten Tomatoes
(NO.0112)
監督:レオ・マッケリー
アメリカ
原題または英題:Make Way for Tomorrow
配給:パラマウント映画
大恐慌時代のアメリカを舞台にした家族ドラマです。
50年連れ添った老夫婦バークとルーシーは、住宅ローンを払えず家を失います。5人の子どもたちは「2人一緒には引き取れない」と言い、結局バークとルーシーは別々の家に預けられてしまいます。
慣れない暮らしで気を遣うあまり肩身が狭くなっていく老夫婦と、「親を嫌っているわけではないけれど、自分の生活も大事」という子ども世代とのギクシャクが、淡々とした日常の中に描かれていきます。
レオ・マッケリーは、この映画の前年に父親を亡くしていて、本作は自分の両親の世代へのオマージュとして作ったとされています。
小津安二郎の『東京物語』に影響を与えたことなどでも知られています。
かんとくさんインド各地でも何度もリメイクされているんだ
























































世界の介護問題テンプレ映画でもあります
見どころは、派手な事件ではなく「老い」と「家族の距離」を、笑いも交えながらじわじわと描いていくところです。子どもたちも決して悪人ではなく、仕事や家庭に追われる普通の人々。だからこそ、親を気遣う言葉の裏にある本音が見えたとき、観ている私たちも胸が痛みます。
親と子は、老いと共にどう向き合うべきかを問いかけます。
現代にも通じる普遍的なテーマを持つ、勇気を持って向き合いたい一本です。
大いなる幻影

画像引用元:映画.com
(NO.0113)
監督:ジャン・ルノワール
114分/G/フランス
原題または英題:La Grande Illusion
配給:川崎市アートセンター
第一次世界大戦中のドイツ捕虜収容所を舞台にした作品です。フランス軍のマレシャル中尉とボルディユー大尉がドイツ軍に撃墜され、捕虜となります。身分も育ちも違う二人は、ユダヤ人富豪のロザンタールらとともに収容所で脱走計画を練りながら、敵であるドイツ軍将校ラウフェンシュタインとの奇妙な友情を育んでいきます。
かんとくさんジャン・ギャバンが着ている軍服は、第一次大戦で偵察パイロットだったジャン・ルノワール自身の軍服なんだよ
1937年にヴェネチア映画祭で賞を受けた後、ナチスの宣伝相ゲッベルスは本作を「映画的公敵第1号」と名指しし、フィルムの没収を命じました。アメリカでは1938年のニューヨーク映画批評家協会賞などで外国映画賞を受賞し、第11回アカデミー賞では史上初めて外国語作品として作品賞にノミネートされました。
この映画の最大の特徴は、戦闘シーンが一切ないことです。敵国同士でも教養を共有する貴族将校、階級も信仰も違う庶民の兵士たちなど。
戦争中に「ネガは空襲で焼けた」と長年信じられていましたが、実は…..
- ネガはドイツのライヒスフィルムアーカイブに移される
- 戦後、ソ連軍に接収されてモスクワのゴスフィルモフォンドへ
- その後フランス・トゥールーズのシネマテークに移されたものの、
30年以上も“正体不明フィルム”として眠っていた
というトンデモ経歴!90年代にようやく「これ、もしかして『大いなる幻影』のオリジナルネガじゃない?」と判明し、現在のレストア版につながります。
彼らの会話と交流を通じて、国籍や階級を超えた「人間らしさ」が描かれます。
国境や肩書きという線引きが本当に必要なのかを問いかけ、人と人が真に向き合うことの大切さを教えてくれる作品なのです。
ステラ・ダラス

画像引用元:Rotten Tomatoes
(NO.0114)
監督:キング・ヴィダー
111分/アメリカ
原題または英題:Stella Dallas
配給:ユナイテッド・アーティスツ
工場町で育ったステラが上流階級のスティーヴンと結婚し、娘ローレルを育てる物語です。しかし育ちの違いから夫婦関係は冷え込み、別居後もステラは娘を溺愛します。
ところが、派手な服装と振る舞いが周囲から陰口を叩かれ、娘の将来の妨げになっていることに気づきます。そして、娘の幸せのために、自分が身を引くという残酷な決断を下すのです。
ステラは自分と娘の服を自分で縫っている設定なのに、娘の服だけいつも上品で、ステラの服だけ壊滅的にダサいのはなぜ?と突っ込みたくなった人いませんか?演出的に「ステラのセンスのズレ」を強調するためなんですが、ちょっと笑える矛盾かも!?
この映画の魅力は、完璧ではない母親像を描いたことです。ステラは虚栄心もあり、場の空気が読めず娘を困らせることもあります。それでも娘への愛情は本物で、最後には娘の幸福のため、自ら距離を置く選択をします。
雨の中、窓の外から娘の結婚式を見守るラストシーンは、母の愛と切なさが同時に押し寄せる名場面です。
実は『ステラ・ダラス』は2回映画化されていて、どちらも同じゴールドウィンがプロデュース。
1925年にサイレント版(監督ヘンリー・キング)、
1937年にキング・ヴィダー版と、ほぼ同じ原作で自分の企画をセルフ・リメイクしています。
親の愛は、いつもそばにいることだけではないと教えてくれます。
階級社会の中で、母親であることの誇りと苦悩を描いた作品として心を打たれることになるでしょう。
深夜の歌声

画像引用元:Rotten Tomatoes
(NO.0115)
監督:馬徐維邦(マーシュイウェイパン)
113分/中国
原題または英題:夜半歌聲(夜半歌声)/Song at Midnight
日本公開情報なし
中国初のホラー映画、またはホラー・ミュージカルとも呼ばれる作品です。古い劇場に巡業劇団がやってきて、若い俳優・孫小鷗が歌の練習に苦労していると、真夜中に完璧な歌声が聞こえてきます。その声の主は、かつて人気俳優だった宋丹平。革命運動に参加していたために敵対者から酸を顔にかけられ、醜く傷ついて劇場の地下に隠れ住んでいました。
『オペラ座の怪人』や『ノートルダムのせむし男』の影響を受けた本作は、1937年2月に公開されると上海で大ヒットしました。宣伝キャンペーンでは劇場前に巨大な棺桶を置き、怪人の顔に電球を仕込んだポスターを掲示。そのポスターを見た子供が怖がって死んだという噂まで流れました。
この映画の魅力は、ホラーと革命ドラマの融合です。宋丹平は単なる怪物ではなく、封建的な権力と戦った末に傷つけられた人物として描かれます。
かんとくさんサウンド設計がすごすぎる世界初ホラー・ミュージカルと言われているよ
オリジナル曲だけでなく、サントラには西洋クラシックの名曲の断片もバンバン引用されています。
























































「中国ホラー × 革命歌 × 西洋クラシックDJミックス」けっこうごちゃまぜですね
彼の傷跡は、社会の歪みと不正義の象徴でもあります。
戦争前夜の不安な時代に作られた本作は、「怪物」と呼ばれる存在の多くが、実は社会に傷つけられた人間であるのです。歴史的に重要というのも間違いはないのでしょうが、今でも十分に、心に響く作品といえます。

















幽霊もキョンシーも出ない「中国初のホラー映画」なのでした
白雪姫

画像引用元:映画.com
(NO.0116)
監督:デヴィッド・ハンド
83分/アメリカ
原題または英題:Snow White and the Seven Dwarfs
配給:ブエナビスタ
ディズニー初の長編アニメーションであり、アメリカで製作された最初の長編アニメーション映画です。継母である女王に命を狙われた白雪姫が森で七人の小人と出会い、共に暮らす物語。
当時「長編アニメなんて誰も見ない」と批判されましたが、初回公開で800万ドル超の興行収入を記録し、当時のトーキー映画として世界一のヒット作となりました(後に『風と共に去りぬ』に抜かれます)。
制作中、ハリウッド業界は本気で「長編アニメなんて誰も観ない」とバカにしていて、新聞や業界人からは(ディズニーの愚行)とあだ名をつけられていました。
かんとくさんしかもウォルト・ディズニーは自宅を担保に入れて、借金をしてまで製作を続行したんだよ
























































銀行家にラフカット(未完成版)を見せて、ようやく融資をうけられたんですよね
この映画の魅力は、動きと感情が完璧にリンクしたアニメーション技術です。
森での逃走シーンの恐怖、小人たちのコミカルな動き、魔女の不気味さと、すべてが台詞よりも先にアニメーションで感情を伝えてきます。
『白雪姫』は世界同時期にヒットしたため、小人たちのベッドの名前や女王の魔法の本の文字など、画面に映る英語テキストを各国語版ごとに描き直すという力技ローカライズが行われました。
今ならデジタル差し替えですが、当時は全部手描きセル。世界配給のたびに国別バージョンの美術を用意していたあたり、ディズニーの本気度がうかがえます。
女王の「美への執着」は他人との比較で自分を壊す怖さを、白雪姫の生き方は「歌い、働き、周りに優しくする」ことで居場所を作る大切さを教えてくれます。
アニメ史の金字塔として、また人生のヒントが詰まった作品として、今も色あせない名作です。
我は海の子

画像引用元:Rotten Tomatoes
(NO.0117)
監督:ヴィクター・フレミング
117分/アメリカ
原題または英題:Captains Courageous
配給:メトロ・ゴールドウィン・メイヤー
金持ちでわがままな少年ハーヴィーが客船から海に落ち、ポルトガル人漁師マニュエルに救助されるところから始まります。漁船の船長ディスコは、ハーヴィーを特別扱いせず、一人のクルーとして3カ月間働くよう命じます。最初は抵抗していたハーヴィーですが、マニュエルや船長の息子ダンとの交流を通じて、労働の大切さや友情を学んでいきます。
かんとくさんあれだけ豪快な漁船アクションがあるのに、本物の海で撮影は1回もやっていないんだよ
本作はラドヤード・キップリングの小説を原作としたMGM映画で、アカデミー賞で作品賞を含む4部門にノミネートされ、マニュエル役のスペンサー・トレイシーが主演男優賞を受賞しました。
トレイシーはこの作品で初のアカデミー主演男優賞を受賞しますが、届いたオスカー像は何と!
刻まれていた名前が、まさかのDick Tracy(当時人気のコミックヒーロー)だったというミス。
もちろんアカデミーが後で彫り直しました。
この映画の魅力は、成長物語の裏にある厳しい現実です。ハーヴィーは仲間たちとの絆を深めていきますが、海の仕事は常に命がけで、誰もが無事に帰れるわけではありません。
本当の成長は、厳しさの中で自分以外の人間の重さを知ることを教えてくれます。
恵まれた環境にいるからこそ見えなくなる大切なものを、海の厳しさとともに思い出させてくれる作品です。
新婚道中記

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(NO.0118)
監督:レオ・マッケリー
91分/アメリカ
原題または英題:The Awful Truth
配給:コロンビアピクチャーズ
ケイリー・グラントとアイリーン・ダン演じる裕福な夫婦ジェリーとルーシーが、お互いの浮気を疑って離婚を決意するところから始まります。しかし離婚成立までの90日間、二人はそれぞれ新しい恋人を見つけようとしては、なぜか相手のロマンスに首を突っ込んで台無しにしてしまいます。
本作はアーサー・リッチマンの戯曲を基にしたスクリューボール・コメディで、セリフやギャグの多くが現場でのアドリブから生まれました。現在も批評サイトで高く評価されており、マッケリーの見事なコメディ演出とグラント&ダンの抜群の相性が光る魅力的な作品として知られています。
撮影開始時点で完成した台本がなかったと言われていて、レイフ・ベラミーはクランクイン直前に「台本どこ?」とスタジオ社長ハリー・コーンに直訴したほど。
レオ・マッケリーは、俳優にその場で即興させてからカメラを回すタイプで、この作品も日替わりでセリフや芝居が書き足されていくというライブ制作でした。
見どころは、「別れたいけど、どう見てもまだ好き同士」という二人の絶妙な心理戦です。プライドが邪魔をして素直に謝れない二人が、皮肉とユーモアを武器に相手を揺さぶり合いながら、本音では「もう一度やり直したい」と願っています。
かんとくさんマッケリーはアイデアがない日はスタジオでピアノを弾きながらひらめきを得ていたんだ
ルーシーがジェリーの「妹」を装って婚約パーティをぶち壊すシーンは、コメディと夫婦の情の両方がにじみ出る名場面です。
結婚生活で難しいのは、プライドとコミュニケーションのこじれであるということです。
二人の問題は「ちゃんと話せば解決する誤解」ですが、素直になれないせいでこじれていきます。夫婦関係のロマンチック・コメディが好きな人なら必見の一本です。
ところで現代では「話さなくてもわかる」は家族でも友人でもほとんど通用しませんよ!
ゾラの生涯

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(NO.0119)
監督:ウィリアム・ディターレ
116分/アメリカ
原題または英題:The Life of Emile Zola
配給:セントラル映画社
フランスの作家エミール・ゾラが、無実の罪で投獄された軍人ドレフュスを救うために立ち上がる姿を描いています。物語は、貧しい若手作家だったゾラが、社会の問題を書いた小説『ナナ』などで成功を収めるところから始まります。やがてゾラは、スパイ容疑で逮捕されたドレフュス大尉の事件を知り、軍の不正を新聞で告発します。その結果、ゾラ自身が裁判にかけられることになるのです。
この映画は公開当時「最も偉大な伝記映画」と評され、アカデミー賞で当時の記録となる10部門にノミネートされました。作品賞・助演男優賞(ドレフュス役のジョセフ・シルドクラウト)・脚本賞の3部門を受賞し、大きな話題となりました。
この映画、実はラストから順番に撮影していたと言われています。ポール・ムニはゾラ役のために自前でヒゲを伸ばし、撮影が進むにつれてそれを少しずつ短く&黒くして若返らせる”という手法。
見どころは、法廷でゾラが真実を訴える場面です。地位も財産も失うことを覚悟で、一人の人間の無実を証明しようとする姿に心を打たれます。
かんとくさんゾラの大演説はもともと6分間をワンテイクで撮影していたんだ
ただし、この映画がドレフュスがユダヤ人であることをほとんど描いていない点は、当時のハリウッドの限界として指摘されていますが…..
史実ではドレフュス事件は露骨な反ユダヤ主義の冤罪事件ですが、映画では「ユダヤ人」「反ユダヤ」という単語が一切出てきません。
























































映画を作った主要メンバーの多くがユダヤ系だったという事情もあったようですね
正しいことのために声を上げる勇気を感じとってください。
安全な立場にいながら不正を見て見ぬふりをするのか、それとも困難を承知で真実を守るのか。ゾラの選択は、今を生きる私たちにも問いかけてきます。
1938年

黒蘭の女

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(NO.0120)
監督:ウィリアム・ワイラー
104分/アメリカ
原題または英題:Jezebel
配給:ワーナー・ブラザーズ
南北戦争前のニューオーリンズが舞台です。わがままな農園主の娘ジュリーは、婚約者プレストンと喧嘩して、未婚女性は白いドレスを着るのが常識の舞踏会に、あえて真紅のドレスで出席します。この挑発的な行動が大スキャンダルとなり、プレストンは彼女のもとを去ります。
一年後、彼が戻ってきたとき、ジュリーは謝ってやり直そうとしますが、プレストンはすでに結婚していました。ショックを受けたジュリーは、さらに問題を起こしてしまい、決闘騒ぎに発展します。やがて街では黄熱病が流行し、プレストンも感染。隔離島へ送られる彼に付き添うことで、ジュリーは自分の過ちを償おうとします。
ワイラーは異常なまでの多テイク監督として有名ですが、『黒蘭の女』の初日から全開でした。ベティ・デイヴィスによれば、初日に撮った1つのカットを38回も撮り直し、それまで「長くても2テイク程度」しか経験がなかった彼女は心底ビビったとか。
この映画が教えてくれるのは、「プライドと愛のバランス」の難しさです。
一度の意地で取り返しのつかない亀裂が生まれること、そして自分の行いに責任を取ることの大切さを描いた作品です。
かんとくさん撮影中、ヘンリー・フォンダは娘ジェーン・フォンダの誕生で撮影を抜けていて、一時中断になっているよ
























































そこで誕生したジェーン・フォンダも後にオスカー俳優になります
ロビンフッドの冒険

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(NO.0121)
監督:マイケル・カーティス、ウィリアム・キーリー
102分/アメリカ
原題または英題:The Adventures of Robin Hood
配給:ワーナー・ブラザーズ
リチャード王が十字軍遠征中、弟のジョン王子が重税で人々を苦しめます。そこに立ち上がるのが、サクソンの騎士ロビン・オブ・ロックスリー。仲間たちとシャーウッドの森に潜み、「金持ちから奪って貧しい者に分け与える」義賊ロビン・フッドとして戦います。
かんとくさんアーチェリーシーンの矢は、全部プロ弓術家ハワード・ヒルが実際に射っているよ!
























































ひぇぇぇぇ~…..
公開当時から高く評価され、興行収入は約400万ドルと1938年の大ヒット作となりました。アカデミー賞では4部門にノミネートされ、美術賞、編集賞、音楽賞の3部門を受賞しました。
見どころは、鮮やかなテクニカラーの映像とスピード感あふれるアクションです。エリッヒ・ヴォルフガング・コルンゴルトのシンフォニックな音楽が、英雄的な高揚感を盛り上げます。
ギズボーン卿役のバジル・ラスボーンは、ロビンの城脱出シーンの撮影中にエキストラの群衆に押し倒され、踏まれまくった挙げ句、槍で足を刺されて8針縫うケガをしています。
それでも撮影は続行し、殺陣のキレも維持。あの優雅な剣さばきの裏側で、足元はボロボロ…。
弱い立場の人を守るという明確な目的を持って行動することの大切さを学べます。
純粋に痛快な冒険物として楽しめる作品なのです。
汚れた顔の天使

画像引用元:Rotten Tomatoes
(NO.0122)
監督:マイケル・カーティス
97分/アメリカ
原題または英題:Angels with Dirty Faces
配給:ワーナー・ブラザーズ
ニューヨークのスラム街で育った幼なじみ2人の物語です。少年時代、ロッキーとジェリーは一緒に悪さをしていましたが、ある日万年筆を盗もうとして警察に追われます。ジェリーは逃げ切りましたが、ロッキーだけが捕まり少年院へ。この運命の分かれ道が、2人の人生を大きく変えてしまいます。
15年後、ロッキーは有名なギャングとなって街に戻ってきます。一方ジェリーは神父になり、不良少年たちの更生に力を注いでいました。ところがロッキーは街の少年たちにとってカッコいいヒーローのような存在になってしまい、ジェリーの願いとは真逆の影響を与えてしまいます。
当時の検閲コード(ヘイズ・コード)は「悪人は必ず罰せられ、栄光のまま死んではならない」というルールがありました。そのため脚本家たちは、神父がロッキーに
「子どもたちの前で腰抜けを演じてくれ」と頼む。
ロッキーの転落した最後を見せて、少年たちがギャングを崇拝しないようにする。
という「道徳オチ」を作り込みます。結果として、ギャング映画なのに教育映画みたいなエンディングになったという、ヘイズ・コード時代ならではのバランス取り。
マイケル・カーティス監督の演出と、キャグニーの圧倒的な演技力が高く評価されています。
最大の見どころは、クライマックスでロッキーがジェリーの頼みを受けて見せる「最後の姿」です。
ロッキー像のもうひとつのインスピレーションは、キャグニーの幼なじみ「ピーター “ブータ” ヘスリング」。彼は強盗殺人で有罪になり、本当に電気椅子で処刑されています。
























































現実にあった結末を重ねた演技だったんですね
それが本心なのか演技なのか?観る人によって解釈が分かれるところでしょう。
カリスマ的な悪が若者に与える影響の大きさ、そして真の友情とは何かを問いかけます。派手なギャング映画として楽しめながら、人生の選択と責任について考えさせられる作品です。
パン屋の女房

画像引用元:Rotten Tomatoes
(NO.0123)
監督:マルセル・パニョル
133分/フランス
原題または英題:The Baker’s Wife
日本公開情報なし
南仏プロヴァンスの小さな村を舞台にした心温まるコメディドラマです。新しくやってきたパン屋のエマーブルは、腕利きの職人で村人たちに絶賛されます。ところが、最初のパンを焼いた翌日の夜、彼のずっと若く美しい妻オレリーが、若い羊飼いと駆け落ちしてしまうのです。
ショックを受けたエマーブルはパンを焼く気力を失ってしまいます。すると、毎日のパンが食べられなくなった村人たちは大慌て。普段はケンカばかりしている教師と神父、貴族や村人たちが、「パンを取り戻すため」に手を組んで、パン屋の妻を連れ戻す作戦を始めるのです。
オーソン・ウェルズが主演のライミュを「史上最高の俳優」と称賛したことでも知られています。村人たちの偽善とおかしさを描きながらも、共同体の温かさを感じさせる作品です。
見どころは、村人たちの「自分勝手な優しさ」です。誰も真剣に道徳を語ろうとはせず、「パンが食べたいから」という現実的な理由で動き始めます。それでも結果的には、傷ついたパン屋を支え、妻を連れ戻すために一致団結する姿が、人間らしくて愛おしいのです。
ラストシーンも印象的で、帰ってきた妻を許すかどうか迷うエマーブルは、直接言葉にせず、行方不明だった雌猫に向かって文句を言います。
でもその言葉は本当は妻に向けたもの。こうして2人は、言葉にしなくても気持ちを通わせ、関係を修復していきます。
かんとくさん猫・ポンポネットの八つ当たり説教シーンは考察としてよく出てくるよ
























































一部の研究では、パンをこねる動作を性的な象徴として考察する人もいます。わたしは全然そうは感じませんでしたが…..
立派な理屈より、日々の暮らしとささやかな思いやりが人を変えるということです。
パンが食べたいという単純な理由から始まった騒動が、いつの間にか一人の男の心を癒し、逃げ出した妻にも帰る場所を用意してしまう。愛や許しは、大げさな言葉ではなく、日常の何気ない会話の中に宿ることを教えてくれる作品です。
赤ちゃん教育

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(NO.0124)
監督:ハワード・ホークス
102分/アメリカ
原題または英題:Bringing Up Baby
配給:RKO
コメディ映画の古典的な作品です。主人公のデヴィッドは、恐竜の骨を研究する真面目な学者。結婚を控え、博物館のために100万ドルの寄付をもらおうと頑張っています。ところがそこへ、自由奔放なお嬢様スーザンが現れます。彼女が飼う豹のベイビーと、行方不明になった恐竜の骨をめぐって、二人は次から次へと騒動に巻き込まれていきます。
公開当時は興行的には失敗でしたが、1950年代にテレビ放送されるようになって知られるようになりました。
この映画の魅力は、二人の掛け合いのテンポの良さです。真面目なデヴィッドがスーザンに振り回されるうちに、いつの間にか自分も騒動の中心になっていく。豹や犬が走り回り、服が破れ、警察署でも大騒ぎ。笑いが最初から最後まで続きます。
撮影初期、キャサリン・ヘプバーンはスクリューボール・コメディに不慣れで、「面白くしよう」と力みすぎて大オーバーアクト。
困ったホークスは、舞台出身のコメディ俳優ウォルター・キャトレットを現場に呼び、ヘプバーンのコメディ家庭教師にします。キャトレットが「真面目にやったほうがかえって笑える」と実演して見せるとコツをつかみ、そのご褒美的に(?)キャトレットはそのままおまわりさん役で出演することに。
完璧な計画より、思いがけない出会いが人生を変えることがあるということです。
デヴィッドは最初、仕事と無難な結婚だけを考えていましたが、スーザンとの一日半を通して、本当に大切なものに気づいていきます。日々、安全な道ばかり選んでしまう私たちに、「たまには予定外の冒険をしてみてもいいかも」と背中を押してくれる作品でもあります。
民族の祭典・美の祭典

画像引用元:Rotten Tomatoes
(NO.0125)
民族の祭典
監督:レニ・リーフェンシュタール
126分/ドイツ
原題または英題:Olympia Part One: Festival of the Nations
配給:東和商事
美の祭典(監督は同じ)
100分/ドイツ
原題または英題:Olympia Part Two: Festival of Beauty
配給:東和商事
1936年ベルリン五輪を記録したレニ・リーフェンシュタールの2部作ドキュメンタリーで、同時にナチ政権のプロパガンダ映画として激しく論争の的になってきた作品です。
1938年4月、ヒトラーの49歳の誕生日に合わせてベルリンでプレミア上映されました。会場は国旗と鉤十字だらけの大イベントだったとも。

















ヒトラーが映る映像が3分ほどあり、後にその3分がカットされたものをようやくアメリカで上映されました
空撮、スローモーション、水中撮影など、当時としては革新的な撮影技法が使われ、その後のスポーツ中継や五輪映画の基本的な型を作ったと言われています。
前編『民族の祭典』は開会式や陸上競技を中心に、各国の選手たちの躍動を大スケールで捉えます。
後編『美の祭典』は特に飛び込みや体操を、まるで芸術作品のように美しく映像化しています。
黒人選手ジェシー・オーエンスが4つの金メダルを獲得する姿も英雄的に描かれています。
『美の祭典』の飛び込みシーンは、
- ダイバーの軌道を空中で分解して見せる
- 時にはフィルムを逆回しにする
- 水中ショットを交えて身体の動きをリズムとして見せる
といった工夫がなされていて、映画研究や広告研究の授業で「運動感覚(キネステティック)を伝えるモンタージュ」の代表例としていまだに引用されます。
この映画を見るうえで大切なのは、「圧倒的に魅力的なスポーツ映像」と「その映像がどんな目的で作られたか」を同時に考えることです。
美しい映像は、時にイデオロギーを運ぶ道具にもなりえます。現代の映像社会に生きる私たちにとって、映像の力を学べる重要な作品と言えるでしょう。
歴史を知り、総合的に見る目を持ちながら鑑賞したいのと同時に、洗練された映像も感じてもらいたい作品です。
バルカン超特急

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(NO.0126)
監督:アルフレッド・ヒッチコック
97分/イギリス
原題または英題:The Lady Vanishes
配給:インターナショナル・プロモーション
舞台はヨーロッパの架空の小国。雪崩で足止めされた山のホテルで、若いイギリス人女性アイリスは、おしゃべり好きな老婦人ミス・フロイと知り合います。翌日、特急列車に乗り込んだアイリスは、頭を打って気を失います。目覚めると、フロイの姿が消えていました。
しかし車内の乗客は誰一人として「そんな老婦人は見ていない」と言い張り、アイリスは自分の記憶がおかしいのかと追い詰められていきます。そこに音楽学者ギルバートが協力を申し出て、二人で謎を追ううちに、やがてスパイ事件へと発展していきます。
この映画、最初は別監督&別タイトル(『The Lost Lady』)で進んでいて、ロケハン隊がユーゴスラビアに入っていました。ところが脚本に出てくる「現地警察の描写」に当局がめちゃくちゃ怒り、撮影隊ごと国外追放 → 企画いったん中止。
しばらく寝かされていた企画を、のちにヒッチコックが引き取って作り直したのが『バルカン超特急』という流れです。
見どころは、サスペンスと軽妙な会話劇の絶妙なバランスです。
「本当に老婦人は存在したのか?」と自分の記憶を疑わされる怖さと、皮肉屋のギルバートとの掛け合い、車内のイギリス人紳士コンビの「クリケット命」なギャグが、列車という閉ざされた空間に詰め込まれています。
かんとくさんバルカン半島の雪山の国となっているけど、実際にはロンドンのスタジオで撮影されているよ
自分の感覚をどこまで信じるかを問いかける映画でもあります。
周囲が全員否定する中、「見たものは見た」と主張し続けるアイリスの姿は、個人の感覚を守る大切さを教えてくれます。笑いながら観ているうちに、気づけば深いテーマを考えさせられる一本です。
1939年

嵐が丘

画像引用元:Rotten Tomatoes
(NO.0127)
監督:ウィリアム・ワイラー
104分/アメリカ
原題または英題:Wuthering Heights
配給:大映洋画部
エミリー・ブロンテの原作小説を映画化した恋愛悲劇です。ローレンス・オリヴィエとマール・オベロンが主演しています。 雪の夜、旅人が「嵐が丘」に泊まり、窓の外から「ヒースクリフ、開けて…」と呼ぶ幽霊の声を聞くところから物語は始まります。家政婦の回想として、孤児ヒースクリフが地主の娘キャシーと激しく惹かれ合いながらも、身分の差とプライドが二人を引き裂いていく過去が語られます。
かんとくさんあの霧と風のヨークシャーの荒野は、本当はイギリスではないんだよ

















カリフォルニア・サウザンドオークス近郊のワイルドウッド・パークで撮られたんですよね
見どころは、霧と風に包まれた荒野を美しく撮影したモノクロ映像です。
オリヴィエの抑えきれない激情と、オベロンの矛盾を抱えたキャシー像には、危険な魅力があります。
監督ワイラーは鬼のような多テイク主義で有名。オリヴィエのあるカットはなんと72テイクも撮られ、
オリヴィエがブチ切れることも。しかし後年オリヴィエは、自伝で「あの現場で映画の演技を叩き込まれた」と語りました。
愛は必ずしも救いにならないという苦い真実を痛感します。
甘いだけのラブストーリーに物足りなさを感じている人に、ぜひ観てほしい一作です。
スミス都へ行く

画像引用元:Rotten Tomatoes
(NO.0128)
監督:フランク・キャプラ
129分/アメリカ
原題または英題:Mr. Smith Goes to Washington
配給:コロンビアピクチャーズ
田舎でボーイ・レンジャーのリーダーをしている純粋な青年ジェファソン・スミスが、ある日突然上院議員に任命され、首都ワシントンへ送られます。最初は観光気分でモニュメントに感動していたスミスでしたが、やがて自分が巨大な利権計画の操り人形として選ばれたことを知り、ショックを受けます。それでも秘書サンダースに励まされ、スミスはたった一人で汚職と戦うため、上院の議場で長時間演説を続ける「フィリバスター」に挑みます。
公開当時、政治家たちからは「アメリカ政府のイメージを傷つける」と猛反発を受け、駐英大使ジョセフ・P・ケネディが海外公開を止めようとしました。
しかし批評家と観客の反応は真逆で、作品は大ヒットし、アカデミー賞11部門ノミネート(原作賞を受賞)という快挙。ナチ占領下のフランスでは、アメリカ映画禁止の前に最後の作品として繰り返し上映され、民主主義の象徴として愛されました。
見どころは、声が枯れて倒れそうになりながらも民主主義の理想を語り続けるスチュワートの熱演と言えます。
有名なフィリバスター場面、スチュワートの声がだんだん枯れていくのは、演技力だけではありません。キャプラの回想によると、一日に2回、スチュワートの声帯を水銀系の薬液でわざと炎症させていたそうです。それで本当に腫れた喉から絞り出す声になり、あの切迫感が生まれた、と
























































今の安全基準だと一発レッドですが、「役者根性+昭和どころじゃない現場メンタル」が合体した結果の名演ですね
この映画が教えてくれるのは、「おかしい」と感じたときに声を上げることの大切さです。理想主義は時に笑われますが、それでもなお必要なのだと、力強く伝えてくれる作品です。
駅馬車

画像引用元:映画.com
(NO.0129)
監督:ジョン・フォード
99分/アメリカ
原題または英題:Stagecoach
配給:マーメイドフィルム
アカデミー賞7部門にノミネートされ、助演男優賞と作曲賞を受賞しました。1995年には国立フィルム登録簿に選定され、アメリカの文化的に重要な作品として保存対象になっています。
何と言われようが西部劇の名作です!
物語は、アリゾナのトントからニューメキシコのローズバーグへ向かう駅馬車に、様々な境遇の人々が乗り合わせるところから始まります。町を追い出された娼婦ダラス、酒に溺れた医者、身重の士官夫人、そして脱獄したガンマン「リンゴー・キッド」。アパッチ族の襲撃の危険が迫る中、彼らは命がけの旅を続けながら、お互いへの偏見を少しずつ見直していきます。
かんとくさん映画の舞台はニューメキシコだけど、あの印象的な岩山はユタ州・アリゾナ州境のモニュメント・バレーで撮影されたんだよ
見どころは、駅馬車という限られた空間での人間ドラマと、スタントマンによる迫力のアパッチ襲撃シーンです。この映画は、その後のアクション映画に大きな影響を与えました。
この作品は、ジョン・ウェインをスターの座へと押し上げ、西部劇というジャンル全体の地位を高めました。
制作側(プロデューサーのウォルター・ウェンジャー)は、リンゴー役にゲイリー・クーパーを希望していたと言われています。しかしジョン・フォードは「ウェインじゃなきゃ撮らない」とガンとして譲りませんでした。
























































ジョン・ウェインがスター化した裏には、監督のごり押しによるものでもあったのです
人は肩書きや過去ではなく、行動で評価されるということです。
町から追放された人々が最も献身的で正直な行動をとり、立派な肩書きを持つ人物こそが真の犯罪者として描かれます。
偏見を乗り越えて人を見つめ直すこと、そして誰にでもやり直すチャンスがあることを教えてくれる作品です。
コンドル

画像引用元:映画.com
(NO.0130)
監督:ハワード・ホークス
121分/アメリカ
原題または英題:Only Angels Have Wings
配給:コロンビア映画
南米の港町を舞台にした冒険映画です。
舞台は南米の港町バランカ。ここでジェフ・カーターは小さな航空輸送会社を経営し、危険なアンデス山脈越えで郵便を運んでいます。一晩だけ立ち寄る予定だったショーガールのボニーは、命がけで飛び続けるパイロットたちの姿を目の当たりにします。さらに、かつて事故で仲間を死なせたパイロット・バットと、その妻でジェフの元恋人ジュディも現れ、過去と現在が交錯していきます。
ホークスはインタビューで「あの映画には一本もウソがない。全部、実在のパイロットから聞いた話だ」と語っています。
ユーモア、ロマンス、アクションを組み合わせた力強い作品です。
見どころは、アンデスの谷間を飛ぶスリル満点の飛行シーンと、パイロットたちの仕事へのプロ意識です。彼らは恐怖を冗談でごまかしながら、危険な仕事を続けます。バランカの酒場に集まる男たちの会話は軽快で、天候が悪化すると一瞬で緊張が走ります。
本作はリタ・ヘイワースのブレイク作。ホークスはあまりの存在感にびびって、コロンビアのボス・ハリー・コーンに「賢いなら、公開まで彼女を隠しておけ。宣伝も別作品もやらせるな。スクリーンに出た瞬間の衝撃が薄れる」と進言したのです。
プロとしてどう生きるかという姿勢について考えさせられます。
パイロットたちは恐怖がないわけではなく、仲間の死を胸にしまいながら、翌日も仕事に戻っていきます。自分の役割にどう向き合い、仲間とどう支え合うかを考えさせてくれる作品です。
砂塵

画像引用元:Rotten Tomatoes
(NO.0131)
監督:ジョージ・マーシャル
94分/アメリカ
原題または英題:Destry Rides Again
配給:ユニバーサル・ピクチャーズ
西部劇とコメディを組み合わせた作品です。
舞台は無法の町ボトルネック。悪党が支配するこの町に、新しい副保安官として呼ばれたのがデストリー・ジュニアです。しかし彼は銃を持たないいわゆる「非暴力主義者」。
最初は弱虫と笑われますが、冷静な推理と話術、そして実は超一流の射撃の腕を使って、酒場の歌姫フレンチーとの距離を縮めながら、町の腐敗に立ち向かっていきます。
活気あふれる西部劇コメディとして楽しめるでしょう。この作品はスチュワート初の西部劇で、ディートリヒにとっても不振期からの復活作として映画史的にも重要です。
フレンチーが札束を胸元に突っ込む場面、元の脚本では彼女が自分の胸をポンポン叩きながら「この丘には金が埋まってるよ」と言うギャグが入っていました。しかしヘイズ・コード(当時の検閲)の判断で下品すぎるとカットに。
























































当時はこのくらいの色気ジョークもアウトだったんですね
見どころは、銃を抜かない保安官デストリーの「やわらかい強さ」です。冗談を交えたおっとりした話し方で相手の警戒心を解き、決定的な場面では一瞬で状況をひっくり返します。彼女と町娘との取っ組み合いなども印象的で、テンポの良いアクションと笑いが続きます。
西部劇スターのイメージが強いジェームズ・スチュワートですが、これが初めての西部劇出演。しかも最初に話が行っていたのはゲイリー・クーパーやジョエル・マクリーあたりだったと言われ、彼らが辞退した結果、スチュワートに役が回ってきたのです。
力ずくより、信念とユーモアが人を動かすということでしょうか。
デストリーは最後まで「できるだけ撃たない」姿勢を貫き、それは弱さではなく、自分の信じるやり方を曲げないのです。西部劇に慣れていない人にもおすすめできる作品と言えるでしょう。
風と共に去りぬ

画像引用元:映画.com
(NO.0132)
監督:ヴィクター・フレミング
231分/アメリカ
原題または英題:Gone With the Wind
配給:MGM
アメリカ南北戦争の時代を舞台にした超大作です。上映時間は約4時間と長い作品ですが、今も多くの人に愛されています。
南部の農園主の娘スカーレット・オハラは、戦争によって家も財産も失います。しかし彼女は「明日は明日の風が吹く」という言葉のように、どんな困難にも負けずに生き抜いていきます。片思いのアシュレー、皮肉屋のレット・バトラーとの複雑な関係を通じて、本当に大切なものは何かを探していく物語です。
スカーレット役は全米から1000人以上の女優をテストした大イベントとして宣伝されました。しかし裏では、すでにイギリス女優ヴィヴィアン・リーの起用を水面下で進めていたのでした。
アカデミー賞では8部門受賞に加えて2つの名誉賞を獲得し、助演女優賞を受賞したハティ・マクダニエルは黒人として初めてオスカーを受賞しました。インフレ調整後の興行収入では今も史上最高記録を保持しています。
マミー役のハティ・マクダニエルは、黒人初のアカデミー賞受賞者になりましたが、授賞式の会場は「黒人立ち入り禁止」ホテル。特例で入れてもらえたものの、会場の隅の黒人専用テーブルに座らされ、共演者とも別席という状態でした。
さらに彼女が遺言でオスカーを寄贈したハワード大学からは、そのオスカーが後年行方不明に。長年謎の失踪扱いでしたが、2023年にアカデミーが新たにトロフィーを作り、改めて大学へ贈るセレモニーが行われています。
見どころは、テクニカラーの美しい映像と、困難に立ち向かうスカーレットの強さです。
ただし現代では、この映画が奴隷制を美化しすぎているといるとも言われ、この辺は観た人に委ねましょう。黒人キャラクターが従順に描かれ、奴隷制の暴力性がほとんど描かれていないのです。
どんな困難でも立ち上がる強さを学べるでしょう。
名作でも時代の偏見を含んでいるという事実を考えさせられるかもしれません。美しい映像を楽しみながら、歴史をどう描くかについても考えてみて、あなたなりの価値観をもってみましょう。
かんとくさんこの映画は今でも、世界のどこかの劇場で、常時上映しているといわれているんだ
陽は昇る

画像引用元:Rotten Tomatoes
(NO.0133)
監督:マルセル・カルネ
93分/フランス
原題または英題:Daybreak/Le jour se lève/Le Jour Se Leve
日本公開情報なし
フランスの詩的リアリズムを代表する映画です。
物語は、工場労働者のフランソワが男を射殺し、アパートの一室に立てこもる場面から始まります。警察に包囲され、夜明けを待つ間、彼は一人でタバコを吸いながら、なぜ自分が殺人者になってしまったのかを思い出します。
美しい花売り娘フランソワーズ、年上の女性クララ、そして軽薄な芸人ヴァランタン。この複雑な人間関係が悲劇へとつながっていきます。
マルセル・カルネのフランス詩的リアリズムの傑作と評され、後のフィルム・ノワールに大きな影響を与えた作品でもあります。
見どころは、過去と現在を行き来するフラッシュバック構造です。市民ケーンの2年前にこの手法を使った先駆的な作品です。
この映画、歴史的に2回も抹殺されかけてます。
- 1940年:ヴィシー政権が「暗くて民心をくじくからダメ」としてフランス国内で上映禁止。
- 1947年:ハリウッドでリメイク『The Long Night』を作るRKOが、オリジナル版のプリントを買い集めては破棄しようとした。一時は「もう全部失われたのでは」とまで言われたけど、50年代にひょっこり何本か見つかって「復活」。
























































運命に追い詰められる男のお話しなのに、映画そのものの運命もだいぶ追い詰められていたんですね
狭い部屋の中をカメラが回り込み、追いつめられた男の心理を表現する撮影技術も印象的です。
小さな選択や嘘の積み重ねが人を追いつめていく怖さです。
フランソワは悪人ではなく、嫉妬とプライドに翻弄されていきます。タイトルの「陽は昇る」という希望的な言葉と、暗い結末の対比がすごく面白く、そして考えさせられる作品です。
ガンガ・ディン

画像引用元:Rotten Tomatoes
(NO.0134)
監督:ジョージ・スティーヴンス
117分/アメリカ
原題または英題:Gunga Din
配給:松竹
1880年代のイギリス統治下のインドを舞台にした冒険映画です。物語の中心は、イギリス軍の3人のベテラン軍曹と、水汲み係のインド人ガンガ・ディンです。ガンガ・ディンは身分は低いものの、「女王陛下の兵士になりたい」という夢を持つ誇り高い男です。彼らは、殺人教団タギーの復活という危機に立ち向かい、最後にガンガ・ディンは命をかけてラッパを吹き、イギリス軍を救います。
映画の大部分は、インドじゃなくてアラバマ・ヒルズ(カリフォルニア州ローン・パイン周辺)で撮影されました。
タイトルロールのガンガ・ディンを演じているのは、インド人ではなく、ニューヨーク生まれのユダヤ系俳優サム・ジャッフェ(当時47歳)。
面白く、緊張感があり、素晴らしいエンターテインメントだが、人種に関する描写には時代遅れな点があると言われてきました。
見どころは、3人の軍曹の軽快な掛け合いと迫力あるアクションシーンです。
公開当時から、この映画はインド側から 「帝国主義を美化しすぎ」「インド人の描き方がひどい」と猛批判。
ボンベイ・クロニクルや『Filmindia』が強く批判し、その結果ベンガル州とボンベイ(ムンバイ)で上映禁止。さらに後年、日本でも「友好国の感情を害する」として上映禁止になってしまいました。
























































帝国側からも、植民地側からも怒られた映画です
名もなき一人の勇気が歴史を動かすということです。
植民地時代の視点で描かれた物語であることを意識しながら観ると、より深く考えさせられる作品です。
『インディ・ジョーンズ/魔宮の伝説』の タギー教団、カリ女神の寺院、吊り橋アクション などは、
かなり露骨に『ガンガ・ディン』へのオマージュ(というか引用)だとスタッフ自身が語っています。
ニノチカ

画像引用元:Rotten Tomatoes
(NO.0135)
監督:エルンスト・ルビッチ
110分/アメリカ
原題または英題:Ninotchka
配給:セントラル映画社
ソ連からパリに派遣された真面目な女性官僚ニノチカが、皮肉と笑いと恋に巻き込まれていくロマンティック・コメディです。任務は革命で没収した宝石を売ること。合理主義で笑わない彼女の前に現れるのが、享楽的なフランス貴族レオン。彼はあの手この手でニノチカを笑わせようとし、やがて二人は最悪の組み合わせの恋に落ちていきます。
かんとくさんまずはキャッチコピーありきでこの映画が作られたんだ
有名なコピー「Garbo Laughs!(ガルボが笑う!)」、じつは脚本より先に決まっていて、その一言を実現するために企画が組まれたと言われてます。
「グレタ・ガルボが見事なコメディセンスを証明した」と言われ、今でも語られています。
見どころは、キャッチコピー「ガルボが笑う」そのものです。最初は無表情でマルクス主義の教科書のようなセリフを話していた彼女が、パリのカフェやレオンとのやり取りを通じて、次第に笑いと感情を取り戻していく姿は、それ自体が物語の快感ポイントです。
ガルボのギャラは12万5000ドル(当時としては超高額)撮影日数は56日で完走!
しかも、このコメディ出演については、「本当にガルボで客が笑うのか?」とMGM側がだいぶ懐疑的でしたが、彼女が強く望んで実現しました。結果として、「笑わない女神」イメージをぶっ壊しつつオスカーノミネートを獲得しました。
ソ連の堅苦しさとパリの自由さのギャップを、重くなりすぎない絶妙なタッチで笑いに変える「ルビッチ・タッチ」もまた色褪せません。
イデオロギーより、人間そのものを信じることが大切です。
国や立場が違っても、目の前の相手を好きになる気持ちや、一緒に笑う時間は本物だとニノチカの変化が教えてくれます。頭でっかちになりすぎたとき、ひとつの笑い声が世界の見え方を変えてしまうのです。
そんな笑いの力を実感させてくれる作品です。
オズの魔法使い

画像引用元:Rotten Tomatoes
(NO.0136)
監督:ヴィクター・フレミング
101分/アメリカ
原題または英題:The Wizard of Oz
配給:MGM
カンザスの少女ドロシーが竜巻に巻き込まれ、犬のトトと一緒に不思議な国オズへ飛ばされる物語です。家に帰るため、頭がほしいカカシ、心がほしいブリキ男、勇気がほしいライオンと一緒に、黄色いレンガ道を進みます。やっと辿り着いた魔法使いは恐ろしく見えましたが、実は気弱な老人でした。
「史上最高のファミリー映画」と言えばこの作品です。
かんとくさんポピー畑でドロシーたちの上に降ってくる、あのフワフワの雪は、工業用アスベスト雪をぶっかけて撮影していたんだ
見どころは、セピア色のカンザスから、オズの国の鮮やかなカラー映像へ切り替わる瞬間です。世界が一気に開く感覚は、今見ても圧倒的です。
ブリキ男はもともとバディ・エプセンという俳優が演じていました。ところが、顔に塗ったアルミ粉入りメイクを吸い込みすぎて肺がやられ、呼吸困難で緊急入院→降板。代わりにジャック・ヘイリーが起用され、メイクも「アルミ粉」から「アルミペースト」に改良。
カラフルなセットや衣装、耳に残る名曲、個性豊かな仲間たちが織りなす映像と音楽の魔法が、映画ならではの楽しさを届けてくれます。
欲しかったものは、実は最初から自分の中にあったということです。
カカシは旅の途中でちゃんと頭を働かせているし、ブリキ男は誰より優しく、ライオンは大事な場面で勇気を振り絞っています。ドロシーも最後には、自分の居場所の大切さに気づきます。
日常がつまらなく感じるときはこう考えましょう。
「本当に大事なものはもう持っているのかもしれない」と思えるかもしれません。
























































この映画は、世界一パロディ化されているということでギネスにもなっていますね
ゲームの規則

画像引用元:映画.com
(NO.0137)
監督:ジャン・ルノワール
113分/G/フランス
原題または英題:La regle du jeu
配給:コピアポア・フィルム
フランスの上流階級を鋭く風刺した作品です。舞台は第二次世界大戦直前のフランス。大富豪の城で開かれる週末の狩猟パーティーに、貴族や飛行士、その妻や愛人、そして召使いたちが集まります。そこで展開されるのは、浮気と嘘と勘違いが入り乱れる人間模様。誰もが「社交界のルール」を守りながら、本音は隠して生きています。
公開当時、この映画は観客から激しく嫌われ、フランス政府に上映禁止にされました。しかし戦後、失われた素材が発見されて復元版が作られてから評価も変わってきました。
戦時中の空爆で、オリジナルネガを保管していた現像所が爆撃され、長らく完全版は失われた作品 とされていました。ところが1950年代になって、倉庫から224箱分のフィルム素材 が見つかり、それをパズルのように組み合わせて106分版が再構成。ルノワールはこの再構成版を観て号泣し、「ほぼ完全に戻った」と語ったそうです。
見どころは、奥行きのある画面で同時にいくつもの出来事が進んでいく群像劇の作り方です。手前では貴族が恋愛話をしているのに、奥では召使いが浮気をしているわけです。
そんな構図で、階級を超えた人間の欲望を一度に見せてきます。笑える場面も多いのに、最後には笑えない悲劇が待っています。
その後この映画は、フランス政府から 「若者に望ましくない影響を与える」「陰鬱で不道徳」 という理由で正式に上映禁止に。

















上流階級のクズっぷりの描き方があまりにもリアルに描いていて国のメンツに悪いと言われちゃったんです
形だけのルールを守ることと、本当に大切なことは違うということです。
登場人物たちは礼儀作法にはうるさいのに、他人への思いやりはゼロ。現代でも、SNSや職場で「空気を読むルール」ばかり気にして、本当に大事なものを見失ってはいないでしょうか?
残菊物語

画像引用元:Rotten Tomatoes
(NO.0138)
監督:溝口健二
142分/日本
原題または英題:The Story of the Last Chrysanthemums
配給:松竹京都
歌舞伎役者の成長と、ひとりの女性の献身を描いた作品です。舞台は明治時代の歌舞伎界。名門の養子として育った菊之助は、周りから褒められてばかりで実力が伴っていませんでした。そんな彼に、率直に欠点を指摘し心配してくれたのが、弟の乳母のお徳でした。
身分違いの二人は周囲の反対を押し切って結ばれ、地方の旅一座で貧しい暮らしをしながら、菊之助は真の役者へと成長していきます。しかし、菊之助が成功への道を歩み始めた頃、お徳の体は静かに病に蝕まれていました。
『残菊物語』は、溝口の「明治期の演劇(芝居)」をテーマにした三部作の1作目とされていて、残り2本は『浪華女(なにわおんな)』(1940)と『芸道一代男』(1941)。ところが最初の1本である本作だけが現存という、寂しい三部作になっています。
























































戦前の作品なのに欧米ではほぼ新作として発表されたんですね
見どころは、細かくカットを割らない長回しの撮影です。人物をじっくり映し続けることで、苦しい時間の長さや、成功への遠い道のりを、言葉以上に強く伝えています。
1939年の映画なのに、欧米では長いあいだほとんど上映機会がなく、2010年代になってようやくレトロスペクティブやCannes Classicsで本格的に紹介されました。2015年のカンヌ映画祭クラシック部門や各地のシネマテークで上映され、そこで初めて知った海外ファンも多い作品です。
本気で叱ってくれる人はどれだけ大切なのかを考えてみましょう。
お世辞ではなく真実を語ってくれる人こそが、自分を成長させてくれます。同時に成功の裏には誰かの犠牲があるという事実も教えてくれます。
「スポットライトを浴びる人の影には、拍手も届かない場所で支え続けた誰かがいる」当たり前だけど忘れがちな真実を刻みつけます。
青春一座

画像引用元:Rotten Tomatoes
(NO.0139)
監督:バスビー・バークレー
94分/アメリカ
原題または英題:Babe in Arms
日本公開情報なし
青春ミュージカル作品です。舞台は映画の登場でヴォードビルが衰退した時代。かつて人気者だった両親を持つミッキーは、「自分たちの力でショーを成功させよう」と仲間たちと一座を結成します。お金もコネもなく、ライバルも現れて前途多難ですが、若さと情熱だけを武器に舞台を作り上げていきます。
ミッキー・ルーニーは19歳でアカデミー主演男優賞にノミネートされ、史上2番目に若いノミネートとなりました。
見どころは、ルーニー&ガーランドの息の合った掛け合いと、後にスタンダードになる「Good Morning」など明るい楽曲です。
若者たちが自分たちの場所を切り開こうとする姿は、今のクリエイター志望の人にも通じるものがあります。
ただし、この映画には現代では受け入れられない人種差別的な表現が長時間含まれていますね。「ブラックフェイス」というものです。白人が、顔を黒く塗って黒人の役をやることです。
この映画、クライマックスでキャスト総出の黒塗り(ブラックフェイス)によるミンストレル・ショーの場面があります。
当時は「ショービジネス伝統芸」扱いだったけど、いまでは当然ながら人種差別的表現として強く批判の対象。テレビ放送ではこのパートをカットしたり、上映前に解説を付けて「要・歴史的コンテクスト」として扱われることも。
映画としては能天気な青春ものなのに、ど真ん中に「今は笑えない黒歴史」が埋まっているという意味で、今では誰でも「これはダメでしょ」って思うでしょう。
しかし、それはあくまでも、そういう教育を受け、そういう社会で生きてきたからなのであって、当時の人は、これが非常識だという発想は薄かったのです。
そういう背景も考えながら映画鑑賞をすると、もっとあなたの心にしなやかさが培われます。単に「やってはいけないことやっているからダメな映画だ」と考えてしまう人が多いのですが、当時の常識を覗くことで見分を広げることができるのっです。
時代背景を理解した上で、「チャンスを待つより、自分たちでステージを作る勇気」というメッセージと、ショービジネス映画の原点のひとつとしての価値を味わえる作品です。
かんとくさん実はこの年のMGMナンバーワンの売り上げで「オズの魔法使」
よりも稼いでいたんだ
まとめ

この記事では、『死ぬまでに観たい映画1001本』のうち、1930年~1939年までの、30年代作品の概要をお伝えしました。
かんとくさん大変だ!みんな『キング・コング』みたいに、美女に恋しては落ちちゃっているよ!
























































ええ!?そんな人どこにいるんですか?
かんとくさんみんなスマホ画面ばかり見てSNSの底に落ちちゃっているよ
























































次から次とスクロールして見れますからねぇ
『死ぬまでに観たい映画1001本』の完全リストはこちらです。

1900年~1920年代の概要記事はこちら
『死ぬまでに観たい映画1001本』1900~1920年代リスト
40年代の概要はこちら
50年代の概要はこちら
『死ぬまでに観たい映画1001本』1950年代リスト(前編)
『死ぬまでに観たい映画1001本』1950年代リスト(後編)
60年代の概要はこちら
『死ぬまでに観たい映画1001本』1960年代リスト(前編)
『死ぬまでに観たい映画1001本』1960年代リスト(後編)
70年代の概要はこちら
『死ぬまでに観たい映画1001本』1970年代リスト(前編)
『死ぬまでに観たい映画1001本』1970年代リスト(後編)
80年代の概要はこちら
『死ぬまでに観たい映画1001本』1980年代リスト(前編)
『死ぬまでに観たい映画1001本』1980年代リスト(後編)
90年代の概要はこちら
『死ぬまでに観たい映画1001本』1990年代リスト(前編)
『死ぬまでに観たい映画1001本』1990年代リスト(後編)
2000年代の概要はこちら
『死ぬまでに観たい映画1001本』2000年代リスト(前編)
『死ぬまでに観たい映画1001本』2000年代リスト(後編)
2010年代の概要はこちら
2020年代の概要はこちら
