『死ぬまでに観たい映画1001本』の各作品の概要40年代までできました1940年代リスト

『死ぬまでに観たい映画1001本』1950年代リスト(前編)

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この記事では

『死ぬまでに観たい映画1001本』全リスト作品の概要を簡単に説明しています。

全部で1200作品以上あり一つの記事で紹介しきれないので、年代別に分けています。

ここでは、1950年代前半の、1950年から1954年までの作品を紹介します。

かんとくさん

今日も映画を見るぞ

あおい

いいですねえ

各映画の概要を簡潔に紹介しています。考察はほとんど書いていません。まずは感覚を楽しんでいただき、あなたのハートを動かしてもらうのが目的です。

人生の岐路において、役立つ映画がここでもわんさかと掲載されています。

興味がある作品はどんどん鑑賞していきましょう。そして次の興味をひきだして、映画ライフを充実させていきましょう。

かんとくさん

これぞクラシック映画という感じになってきたね

ここで記事を順番で見ていくと長くなるので、こちらの一覧リストから見るといいですよ。

あおい

このリストの作品名から概要の記事にとべます

目次

1950年

1950年を象徴する明るく前向きな気持ちになれるようなイメージ画像です。

オルフェ

画像引用元:Rotten Tomatoes

(NO.0232)

監督:ジャン・コクトー

95分/G/フランス
原題または英題:Orphee
配給:マーメイドフィルム、コピアポア・フィルム

ギリシャ神話のオルフェウス伝説を現代風にアレンジした幻想的な作品です。舞台は戦後のパリ。主人公の詩人オルフェは、謎めいた「死の姫」に魅せられ、鏡を通って死者の世界へと入っていきます。

1950年のヴェネツィア映画祭で国際批評家賞を受賞。モノクロの映像は夢のように美しく、現実なのか幻なのかわからない不思議な世界が広がります。

見どころは、コクトーが描く死の姿です。怖いだけでなく、どこか美しく魅力的。

あおい

あの有名な鏡をすり抜けるショット、実は水銀を張ったタンクに手を突っ込んで撮影しています

アシスタント

俳優がゴム手袋を着用していたのは、水銀の毒性から身を守るためでもありました

オルフェが愛する妻を取り戻そうとする姿は切ないけれど、彼は同時に「死」そのものにも惹かれていきます。鏡や無線機、時間が逆流するシーンなど、言葉で説明できないような不思議な映像が心に残るでしょう。

かんとくさん

オルフェはコクトー自身のことでもあるんだよ

本当に何かを生み出すには、安全な場所にいてはダメということでしょう。

芸術も人生も、未知のものに飛び込む勇気がなければ、本物にはなれません。恐れを乗り越えたとき、はじめて本当の自分と出会える。そのメッセージは今でも新鮮に響く作品です。

アスファルト・ジャングル

画像引用元:Rotten Tomatoes

(NO.0233)

監督:ジョン・ヒューストン

112分/アメリカ
原題または英題:The Asphalt Jungle

配給:MGM

のちの強盗映画すべての「お手本」となった作品です。刑務所から出てきた知能犯ドクが、用心棒のディックスや金に困った弁護士らと組んで、宝石店強盗を細かく計画します。しかし、ほんの小さなミスから計画は崩れはじめ、仲間たちはそれぞれ悲しい結末を迎えます。若き日のマリリン・モンローも出演しています。

マリリンの演技コーチ、ナターシャ・リッテスは、この作品で指導するためにコロンビアのドラマコーチの仕事を辞めてしまったと言われています。撮影では、テイクが終わるたびにマリリンが画面の左側をチラッと見るんだけど、その視線の先にはセット脇で見守るリッテスがいた、という裏話付き。

ヨーロッパのネオリアリズム映画の影響を受けたリアルな質感と、フィルム・ノワール特有の暗い雰囲気が融合した作風が世界で評価されているのです。

見どころは、強盗シーンそのものより「なぜ彼らは犯罪に手を染めたのか」という人間ドラマです。

牧場を買って人生をやり直したいディックス、頭の良いドク、表向きは立派な弁護士…誰もがささやかな夢を抱えながら「最後の一仕事」に賭けます。

よく見る紫のドレス姿で大きくマリリンが写ってるポスターですが、実は公開当時のものじゃなくて、彼女がスターになっただいぶ後に作られた販促用ビジュアルです。

おてつだいさん

後付けマリリン商法だね

完璧な計画などないのです。みんな一発逆転を夢見ますが、社会の仕組みや偶然の出来事が、それを簡単に壊してしまいます。

登場人物を単純な悪人としては描かず、都会という「ジャングル」で生き場所を探す人間たちの悲しさを描いている作品なのです。

羅生門

画像引用元:映画.com

(NO.0234)

監督:黒澤明

88分/日本
原題または英題:Rashomon
配給:角川映画

同じ事件を違う視点から何度も語り直す斬新な構成で世界を驚かせた作品です。

荒れ果てた羅生門の下で、木こりと僧侶が森で起きた武士殺害事件について語り合います。盗賊、武士の妻、死んだ武士本人がそれぞれ全く違う証言をし、観客は「本当の真実はどこにあるのか」と混乱させられます。

1951年のヴェネツィア国際映画祭で日本映画初の金獅子賞を受賞し、アカデミー外国語映画賞も獲得。これがきっかけで黒澤明と日本映画が世界に知られるようになりました。

大映は「海外映画祭なんて金のムダ」「日本映画を代表しない」と消極的で、最初は出品予定なし。そこにイタリア人日本学者のジュリアーナ・ストラミジョーリが「これは絶対に出すべき」とゴリ押ししてヴェネツィア行きが決定。世界に日本映画を知らしめるきっかけになりました。

あおい

イタリア人の鶴の一声から始まったんですね

見どころは、同じ出来事が語る人によって全く違う物語になることです。

三船敏郎が演じる野性的な盗賊、京マチ子が演じる妖しげな妻の姿は、どの証言でも少しずつ違う顔を見せます。豪雨の羅生門と木漏れ日が揺れる森の映像が対比され、人間の心の暗さと光が画面に刻まれます。

羅生門の門前シーンの土砂降り、ただの水だと白黒フィルムで全然映らなかったので、雨用タンクに「黒インク」をぶち込んでました。木こりの顔にインクがついてるカットもちゃんと残ってます。

おともだち

あの門前の風景は印象的だよね

絶対の真実など存在しないのです。人は誰でも、自分に都合の良い物語を語ります。

この構造は「ラショーモン・エフェクト」と呼ばれ、法廷や心理学でも引用される概念になりました。

それでもラストで木こりが赤ん坊を引き取る場面は、小さな善意と希望が残ることを示しています。

イヴの総て

画像引用元:映画.com

(NO.0235)

監督:ジョセフ・L・マンキウィッツ

138分/G/アメリカ
原題または英題:All About Eve
配給:セントラル

ブロードウェイの大スター、マーゴ・チャニングのもとに現れた熱心なファン、イヴ・ハリントンの物語です。献身的に見えたイヴの行動は、やがて計算された野心へと姿を変え、マーゴの舞台の役も、仲間も、人生までも少しずつ奪っていきます。

アカデミー賞で史上最多タイの14部門ノミネート・6部門受賞を達成し、作品賞・監督賞・脚色賞など主要部門を総なめにしました。

見どころは、トゲのあるウィットに富んだセリフの応酬です。ベティ・デイビスの名演と、したたかなイヴの野心、それに追い詰められるマーゴの不安や嫉妬が、華やかなショービジネスの裏でぶつかり合います。

映画の中に出てくる「サラ・シドンズ賞」は、もともとマンキウィッツが完全にフィクションとしてでっち上げた賞。それを見たシカゴのシアターファンたちが「これいいじゃん」と本当に「Sarah Siddons Society」を作り、1952年から実在の賞として毎年授与するようになりました。

野心そのものは悪ではないが、それに人生を乗っ取られると人間関係も自分自身も空洞になってしまいます。

成功だけを追い続けると、いつの間にか他人も自分も踏み台にしてしまう危うさがあります。一方でマーゴは、年齢への執着を少し手放すことで、パートナーとの関係や自分の居場所を再発見していきます。何を手に入れるかより「どんな自分でいたいか?」

その問いかけが、華やかなセリフ劇の中で静かに響く一本です。

ウィンチェスター銃’73

画像引用元:Rotten Tomatoes

(NO.0236)

監督:アンソニー・マン

92分/アメリカ
原題または英題:Winchester ’73
配給:日本ユニヴァーサル

1876年のドッジシティを舞台に、一丁の名銃をめぐる物語を描いた西部劇です。射撃の名手リン・マッケイは、伝説の「ワン・オブ・ワン・サウザンド」のウィンチェスター銃を射撃大会で勝ち取りますが、その夜、宿敵ダッチ・ヘンリーに銃を奪われてしまいます。名銃はインディアン、ギャンブラー、無法者の手を渡り歩き、血と欲望のドラマを生み出しながら、やがてリンとダッチの決着へと向かいます。

「心理西部劇」の先駆けとも言われます。

ユニバーサルがスチュワートのギャラを払えなかったので、彼は「じゃあ出演料いらないから、代わりに利益のパーセンテージちょうだい」と提案。結果、『ウィンチェスター銃’73』の大ヒットで、当時の年収が一気に数十万〜100万ドルクラスになり、「俳優が歩合で稼ぐ」という今のハリウッド契約の走りになりました。

見どころは、銃そのものを主人公の一人のように扱った構成です。一丁の銃が持ち主を変えるたびに、様々な人間模様が浮かび上がります。

アンソニー・マン演出のハードで陰影の濃い世界観と、ジェームズ・スチュワートの「傷を抱えたヒーロー像」は、のちの西部劇を大きく変えました。

モノや復讐心に人生を支配される危うさを教えてくれます。

名銃を手にした者は優越感を味わいますが、そのたびに争いや死が連鎖していきます。リンの執念深さとその背景にある喪失の痛みは、現代の「手放せないこだわり」にも重なります。

本当に守るべきものは何か?その問いを投げかけてくる作品です。

かんとくさん

最初は、フリッツ・ラングが監督になる予定だったんだよ

あおい

スチュアートがアンソニー・マンを指名したようですね

リオ・グランデの砦

画像引用元:Rotten Tomatoes

(NO.0237)

監督:ジョン・フォード

105分/アメリカ
原題または英題:Rio Grande
配給:NCC

舞台は1879年、メキシコ国境近くの騎兵隊駐屯地。アパッチの襲撃から開拓民を守るヨーク大佐のもとに、15年会っていなかった息子ジェフが新兵として赴任し、さらに別居中の妻キャスリーンも息子を連れ戻そうと砦に現れます。厳しい国境防衛任務と、壊れた家族関係の再生が同時に描かれていきます。

この映画は『アパッチ砦』『黄色いリボン』に続くいわゆる「騎兵隊三部作」の第3作として位置づけられ、家族と軍隊のはざまで揺れる男の物語として評価されています。

フォードは本当はアイルランドで『静かなる男』を撮りたかったのに、配給のリパブリック社は脚本を信用せず、「まず無難に売れそうな西部劇を一本撮れ。そしたらアイルランド行きを許可する」と条件を出します。

アシスタント

スタジオ配給のヤーツ社長が脚本を信用せず、「先に西部劇を作れ!」と条件を出したのです

モニュメント・バレーでのロケによる広大な風景、ウェインとオハラの名コンビ、そして「サンズ・オブ・ザ・パイオニアーズ」の歌声が織りなす、フォードらしいロマンチックな西部劇です。

見どころは、単なるインディアン戦争のアクションに留まらず、「父と息子」「夫と妻」の関係が物語の核になっている点です。ヨークは指揮官として冷徹でありながら、息子を特別扱いしないことで父としての感情を抑え込みます。クライマックスでの子どもたち救出作戦は、職務としての戦いでありながら、同時に家族の和解へ向かう象徴的な行動となります。

歌う騎兵隊は実在グループ「サンズ・オブ・ザ・パイオニアーズ」で、社長ヤーツのゴリ押し。フォードは気に入っていませんでした。

あおい

そのメンバーの一人ケン・カーティスが後にフォードの娘と結婚して身内になるというオチがつきました

仕事や使命感に追われる中で家族と心が離れてしまっても、向き合うことをやめなければやり直しはできるということ。過去の決断は変えられなくても、今どう向き合うかで関係は変えられるということですね。

サンセット大通り

画像引用元:Rotten Tomatoes

(NO.0238)

監督:ビリー・ワイルダー

110分/G/アメリカ
原題または英題:Sunset Boulevard
配給:セントラル映画社

ハリウッドの裏側をブラックユーモアとフィルム・ノワールで描いた傑作です。

売れない脚本家ジョー・ギリスが借金取りから逃げ込んだ先は、サイレント時代の元大スター、ノーマ・デズモンドの朽ちかけた豪邸でした。彼はノーマの「復帰用脚本」を手伝う代わりに、衣食住や金銭の援助を受けるようになり、奇妙な共依存関係に絡め取られていきます。

かんとくさん

ノーマ・デズモンドの屋敷は、実在した大富豪ウィリアム・O・ジェンキンスそしてJ・ポール・ゲティ所有の豪邸なんだよ

物語は、プールで死んでいるジョー本人のモノローグで語られるという皮肉な構成です。

最初のバージョンでは、ロサンゼルスの死体安置所で、たくさんのご遺体がそれぞれ「自分がどう死んだか」を語り出し、その中の一人としてジョーが話し始める…という超ブラックな導入でした。試写で観客が爆笑してしまい、ワイルダーが泣く泣くカットして、今のプールの死体オープニングになったそうです。

「ハリウッド映画についての映画」として長年トップクラスの評価を受けています。ハリウッド業界はなぜか、やたらとこの映画を気に入っています(笑)。

見どころは、ノーマ・デズモンドという圧倒的な存在感を持つキャラクターです。かつての栄光に取り憑かれ、現実を直視できない彼女の姿は、笑えるようでいてゾッとするギリギリのラインで描かれます。豪邸そのものが「過去の栄光にしがみつくハリウッド」の象徴として機能しています。

映画の冒頭近く、ノーマの屋敷で謎の小さな棺が運ばれてくるシーン、あれは彼女のペットの猿のお葬式です。

名声への執着が人をどこまで壊してしまうかということを考えさせられます。

ノーマは「スターだった自分」という物語から降りられず、ジョーも安定と快楽のために自分の誇りを売り渡していきます。夢を追うことと、夢に食い尽くされることの境界線を、改めて考えさせてくれる一本です。

忘れられた人々

画像引用元:Rotten Tomatoes

(NO.0239)

監督:ルイス・ブニュエル

81分/メキシコ
原題または英題:Los Olvidados
配給:パールハウス

メキシコシティのスラム街で生きるストリートチルドレンを描いた社会派映画です。少年院から脱走した不良少年ハイボは、幼い仲間のペドロたちを率いて盗みや暴力を繰り返します。ペドロは心の奥で「まともな生活がしたい」と願いますが、家庭の愛情も教育の機会もない環境では、どんなに頑張っても這い上がることができません。

公開当時、あまりに貧困を生々しく描きすぎて「国の恥を世界にさらすな」と猛バッシング。商業上映はわずか数日で打ち切りになり、ブニュエルは回想で「フリーダ・カーロは上映後しばらく口をきいてくれなかった」と書いています。

かんとくさん

フリーダ・カーロはメキシコの有名な画家で、当初はブチギレだったんだよ

のちにメキシコ映画史を代表する名作と言われるようになりました。

あおい

カンヌで監督賞とってからはみんな手のひらを返したんですね

この映画の見どころは、ドキュメンタリーのようなリアルなスラム描写と、夢のシーンが混ざり合う独特の映像表現です。子どもたちが老人や障害者まで容赦なく襲う場面は、貧しさが人をどう変えてしまうかを突きつけます。

この映画は、個人の努力だけではどうにもならない社会の現実を描いています。ペドロは立ち直ろうとしますが、大人や社会の支えがないまま、再び暴力の世界に引き戻されてしまいます。

ブニュエルは貧しい人々を「かわいそうな存在」として美化することを拒否し、残酷さも優しさも持つ、ありのままの人間として描きました。だからこそ見る者は「もし自分が同じ立場だったら?」と考えさせられます。

この不快さこそが、今も古びない名作といわれる所以でもあるのです。

孤独な場所で

画像引用元:Rotten Tomatoes

(NO.0240)

監督:ニコラス・レイ

94分/アメリカ
原題または英題:In a Lonely Place
配給:日本ヘラルド映画

ハリウッドを舞台にした心理サスペンスです。主人公は、スランプ中の脚本家ディクス・スティール。短気で暴力的な性格の彼は、レストランのコート係の少女殺害事件の容疑者にされます。向かいのアパートに住む女優ローレル・グレイがアリバイを証言したことで、二人は恋に落ちます。

しかし、捜査が続く中で、ディクスの怒りっぽさと暴力性がどんどん表面化していきます。ローレルは次第に「本当にこの人は無実なのか?」「一緒にいて大丈夫なのか?」という恐怖と疑いに苦しめられていきます。

アシスタント

ヒロインのグロリア・グレアムと監督のニコラス・レイは夫婦でした

ニコラス・レイとグロリア・グレアムは撮影時にはもう夫婦仲がボロボロで、途中で別居。それを悟られたらどちらかが降ろされるかもしれないので、レイはスタジオの控え室で寝泊まりして「脚本直してるだけです」とごまかしていたという話。

見どころは、ボガートが演じる魅力と危険が同居した男の姿と、それに惹かれながらも怯えていくローレルの心の揺れです。光と影を巧みに使い、二人の関係が少しずつ壊れていく様子を丁寧に描いています。

グレアムはレイと離婚したあと、なんと彼の息子のアンソニー・レイと結婚。結果、元夫が義父になるという人間関係パズルが完成!

あおい

グレアムの私生活のほうもノワール級というわけですね

「愛していること」と「一緒にいていい相手かどうか」は別問題でもあります。

ディクスには才能も優しさもあり、ローレルも本気で彼を愛しています。でも、怒りや暴力が繰り返される関係は、やがてお互いを傷つけ合うだけになってしまう。

どれだけ相手を愛していても、危険な関係にとどまり続けるべきではない。そんな現代のDV関係にも通じるメッセージを、この作品は鋭く描き出しています。

1951年

地獄の英雄

画像引用元:Rotten Tomatoes

(NO.0241)

監督:ビリー・ワイルダー

111分/アメリカ
原題または英題:The Big Carnival(Ace in the Hole)

配給:パナマウント、東宝映画部

大都市の新聞社をクビになった三流記者チャック・テイタムが主人公です。地方紙で働いていた彼は、洞窟に男性が閉じ込められた事故を知り、これを大スクープにして出世しようと企みます。

テイタムは救出作業をわざと引き延ばし、現場を「見世物小屋」に変えていきます。地元の保安官や被害者の妻まで巻き込んで、救助現場に観覧車や屋台が並ぶ「カーニバル」のような状態になっていく様子は、見ていてゾッとするのに目が離せません。

物語の元ネタは、洞窟に閉じ込められたフロイド・コリンズ事件(1925)と、井戸に落ちた少女カシー・フィスカス事件(1949)。どちらも現場が観光地化して、屋台や見世物状態になっていたというリアル地獄。映画のテイタムが「フロイド・コリンズを知らないのか」とセリフで言及もします。

悪いのは金儲け目的の記者だけではないという不快な真実を教えてくれます。

センセーショナルなニュースを求め、誰かの不幸を娯楽として消費する観客の欲望も、メディアの暴走を支えています。テレビのワイドショーやネットニュース、バズる悲惨な動画に群がる現代の私たちの姿と重なります。

「見たい」「盛り上がりたい」という気持ちが、誰かを傷つけていないか。派手な見世物の裏で、この映画はそんな問いを私たちに突きつけてきます。

オリジナル題は『Ace in the Hole』ですが、あまりに興行がコケたので、年末に『The Big Carnival』というタイトルで再公開。

かんとくさん

しかもビリー・ワイルダーの許可なしでスタジオが勝手にタイトルを変えちゃったんだ

見知らぬ乗客

画像引用元:Rotten Tomatoes

(NO.0242)

監督:アルフレッド・ヒッチコック

101分/アメリカ
原題または英題:Strangers on a Train

配給:ワーナー・ブラザーズ

列車で偶然出会った二人の男が交わした恐ろしい会話から始まるサスペンスです。

主人公はテニス選手のガイ。離婚したい妻ミリアムとの関係に悩んでいます。列車で隣に座った裕福な青年ブルーノは、自分の父親を憎んでいました。ブルーノはガイに「交換殺人」を持ちかけます。

「僕が君の妻を殺し、君が僕の父を殺す。お互いに相手と何の関係もないから、警察には絶対にバレない」

ガイは冗談だと思って聞き流しましたが、ブルーノは本気でした。本当にミリアムを殺害してしまったブルーノは、ガイに執拗に迫ります。「僕は約束を果たした。次は君の番だ」。殺していないのに、ガイは犯人として追い詰められていきます。

かんとくさん

ブルーノとガイはナンパから始まったんだ。あれは意図的な演出だったんだよ

男同士が絡み合うメリーゴーラウンドのクライマックスも、「ラブシーンとデスマッチが重なって見える」という分析があったりして、「がっつりクィア・コードされたヒッチ作品」と言えます。検閲をかいくぐりながらブルーノのホモセクシュアリティを表現するための仕草や言い回しを意図的に作り上げたのです。

見どころは、魅力的でありながら恐ろしいブルーノの存在感と、ラストのメリーゴーラウンドが暴走する緊迫のクライマックスです。サングラスに映る殺人シーンや、テニスの試合中に観客の中でブルーノだけがじっとガイを見つめている場面など、ヒッチコックらしい印象的な映像が満載です。

あおい

画面じゅう、ダブルだらけのダジャレ演出があります

映画にはダブル・モチーフが徹底的に使われています。オープニングの2人の足のショット、線路が交差する映像、ブルーノの「doubles(ダブルス)しかやらない」というセリフ、ヒッチコックがダブルベースを持つカメオなど。さらに、ガイがテニスコートから出る場面で、頭上の梁にキプリングの詩『If』の一節「two imposters」が映り込んでいます。

一瞬の気のゆるみが、どれほど恐ろしい結果を招くかということです。ガイははっきり「ノー」と言えなかったことで、罪悪感と疑惑に縛られていきます。

知らない人との、たった一度の会話。その危うさを極限まで描いた、今見ても十分ゾクッとする傑作サスペンスです。

欲望という名の電車

画像引用元:Rotten Tomatoes

(NO.0243)

監督:エリア・カザン

125分/アメリカ
原題または英題:A Streetcar Named Desire
配給:ワーナー・ブラザース映画

テネシー・ウィリアムズの戯曲を映画化した名作です。舞台はニューオーリンズ。かつては裕福だった南部の貴婦人ブランチ・デュボアが、妹ステラとその夫スタンリーの狭いアパートに転がり込んできます。

上品で繊細なブランチと、荒々しく本能的なスタンリーは最初から相性が最悪。酒と嘘が重なり、ブランチの心は次第に現実と幻想の境界を失っていきます。

アカデミー賞12部門にノミネートされ、主演女優賞(ヴィヴィアン・リー)、助演男優賞(カール・マルデン)、助演女優賞(キム・ハンター)、美術賞の4部門を受賞しました。演技部門3つを制したのは映画史上初めての快挙でした。

スタンリーが下着だった白Tシャツを堂々と外着にしたことが当時はかなり衝撃で、これをきっかけにアメリカ中でTシャツ売上がドカンと伸びたと言われてます。今の「Tシャツ1枚で外出オッケー」文化の元祖のひとつ。

見どころは、狭いアパートで繰り広げられる逃げ場のない心理劇です。過去の栄光にしがみつき、ロマンチックな言葉で自分を守ろうとするブランチ。汗と欲望をまとった「現実そのもの」のようなスタンリー。そしてその間で引き裂かれるステラ。

アレックス・ノースのスコアは、ハリウッド映画で初めてジャズをドラマチックな劇伴として使用した画期的なもので、それまでジャズは場面音楽としてのみ使われていました。

かんとくさん

映画音楽史の転換期とも言われているよ

自分を守るための幻想は時に必要だけれど、しがみつきすぎると壊れてしまうという残酷な真実を思い知らされます。

同時に、暴力や欲望を「仕方ない」と受け入れ続けることも、人を蝕んでいく。誰の立場で見るかによって、まったく違う映画に見えるのです。

若い頃はスタンリーの生命力に、年を重ねるとブランチの「もう少しだけ夢を見ていたい」という切なさに、自分を重ねてしまうかもしれません。

巴里のアメリカ人

画像引用元:映画.com

(NO.0244)

監督:ヴィンセント・ミネリ

113分/G/アメリカ
原題または英題:An American in Paris
配給:東京テアトル

第二次大戦後のパリを舞台にした華やかなミュージカルです。

主人公は元アメリカ兵で画家志望のジェリー。モンマルトルで絵を売りながら暮らしています。裕福な女性ミロが彼の才能に目をつけてパトロンになり、同時にジェリーは若い女性リーズに一目惚れします。しかしリーズには、彼女を戦争から守ってくれたシャンソン歌手アンリという恋人がいました。芸術と恋、夢と現実が交錯する三角関係が描かれます。

タイトルはパリだけど、撮影はほぼ全部MGMのバックロット。ウォーターフロント・ストリートというセットをパリ風に作り込んでいて、ジェリーのアパートのある通りは、すぐ横で『雨に唄えば』の雨のシーンも撮られてました。

この作品はアカデミー賞で作品賞を含む6部門を受賞し、ミュージカルとして当時としては異例の評価を受けました。

最大の見どころは、ラストを飾る約17分間の「アメリカン・イン・パリ」バレエです。ルノワール、ユトリロ、ルソー、ロートレックなどフランスの印象派絵画を模したセットの中で、ケリーとキャロンが言葉を使わずダンスだけで恋の行方を語ります。そこに至るまでの「I Got Rhythm」などガーシュウィン兄弟の名曲と、躍動感あふれるダンスが戦後のパリを夢のような空間に変えていきます。

キャロンが椅子を相手に踊るナンバー、検閲局の担当者から「性的に挑発的すぎる」とクレームが入り、撮り直しを要求されたエピソードが残ってます。キャロンは「椅子で一体何ができるっていうの?」とキレ気味に返したとか。

夢を追うことと誰かを傷つけないことは、時に両立しないという現実があります。

それでも最後に主人公たちが選ぶのは、自分の心に正直であろうとする姿勢。音楽とダンスで描かれるその葛藤が、心に深く響きます。

パンドラ

画像引用元:Rotten Tomatoes

(NO.0245)

監督:アルバート・リューイン

122分/アメリカ
原題または英題:Pandora and the Flying Dutchman
配給:NCC

スペインの港町エスペランサを舞台にした幻想的な恋愛映画です。

1930年、海辺で男女の死体が発見されます。考古学者フィールドが「彼らに何があったのか」を語り始め、物語は遡ります。町一番の美しい歌手パンドラは、男たちを惹きつけては試すように突き放す謎めいた女性。そこへ、伝説の「さまよえるオランダ人」の船長ヘンドリックが現れ、二人の運命が動き出します。

ヘンドリックは16世紀に妻を殺した罪で呪いをかけられ、永遠に海をさまよう運命。その呪いから解放されるには、自分のために命を捧げてくれる女性を見つけなければなりません。

ジャック・カーディフによる美しいテクニカラー撮影は「最も官能的で美しい」と高く評価されています。

見どころは、アヴァ・ガードナーの圧倒的な美しさと、青い海や闘牛場など絵画のように美しい映像です。シュルレアリスム風のイメージが、現実と伝説の境界をあいまいにしていきます。

あおい

アヴァの「いちばん綺麗な映画」とまで言われ、絶賛されたテクニカラーでした

この映画が描くのは、「欲望」と「自己破壊」の紙一重の関係です。

パンドラは誰も本気で愛せない自分をごまかすように、他人の人生を試してしまう。一方ヘンドリックは、過去の罪に縛られながらも「本当の愛」だけを求め続けます。

雰囲気に浸りたい夜にぴったりの、幻想的な作品です。

近年のリバイバル上映版は、コーエン・メディアとフィルム保存団体が4Kでデジタル修復したもの。17万フレーム以上を対象に、700時間超の作業をかけて色と傷を直したらしく、「元の劇場公開時より綺麗なんじゃ?」と言われるレベルまで蘇ってます。

アフリカの女王

画像引用元:映画.com

(NO.0246)

監督:ジョン・ヒューストン

105分/G/イギリス・アメリカ
原題または英題:The African Queen

配給:NCC

第一次世界大戦が始まったばかりのアフリカを舞台にした冒険映画です。ドイツ領東アフリカの村で布教活動をしていたイギリス人の牧師サミュエルと妹のローズは、戦争の影響で村がドイツ軍に焼き払われる悲劇に直面します。抗議したサミュエルは兵士に殴られ、ショックと悲しみから熱病で亡くなってしまいます。

そこへ現れたのが、郵便や物資を運んでいた小型蒸気船「アフリカの女王号」の船長チャーリー。粗野で酒好きなカナダ人の彼と、生真面目なローズは正反対の性格でしたが、ローズは驚くべき計画を立てます。川を下った先の湖にいるドイツ軍の砲艦を、手製の魚雷を使って沈めようというのです。

C・S・フォレスターの小説を映画化したこの作品は、ハンフリー・ボガートとキャサリン・ヘプバーンという名優の共演で知られています。ボガートはこの作品で唯一のアカデミー主演男優賞を受賞。

最大の見どころは、ボロ船で激流や湿地を突破していくスリル満点の冒険と、その過程で少しずつ変化していく二人の関係です。急流、スコール、蚊やヒルなど、過酷な自然との闘いが、二人の心の距離を縮めていきます。実際にアフリカでロケ撮影されたテクニカラー映像が、冒険のリアリティを高めます。

チャーリーの背中にヒルがビッシリ付く悪夢みたいなシーン、ヒューストンは最初「全部本物でいこう」と本気。ボガートが全力拒否した結果、折衷案として「ボギーの身体にはゴム製ヒル」「リアルなクローズアップはブリーダーの胸に本物を貼る」という、謎の力技に落ち着きました。

人は誰と一緒にいるかで変わっていきます。

最初は互いを認めなかったローズとチャーリーが、危険な旅を通じて相手の弱さも強さも受け入れる関係へと成長します。

どんなに頼りなく見える自分でも、誰かと力を合わせれば困難を乗り越えられる、そんな希望を感じさせてくれる作品です。

かんとくさん

「アフリカの女王号」は今フロリダでクルーズ運行中なんだよ

劇中のボロ汽船の1隻は、実在する小型蒸気船を改造したもの。その船体はのちにフロリダで発見され、修復されて現在はキーラーゴで観光クルーズとして乗れます。「ボギーとヘプバーンの船に乗って運河を回れるツアー」として映画ファンに人気。

陽のあたる場所

画像引用元:Rotten Tomatoes

(NO.0247)

監督:ジョージ・スティーヴンス

122分/アメリカ
原題または英題:A Place in the Sun
配給:パラマウント日本支社

貧しい青年ジョージは、裕福な叔父の工場で働き始めます。そこで同僚のアリスと恋に落ち、二人は秘密の関係になりますが、ある日上流社会のパーティーで美しい令嬢アンジェラと出会い、彼女に夢中になってしまいます。ところがアリスの妊娠が発覚。

ジョージは「このまま上流社会の一員になりたい」という野心と、「アリスへの責任」の間で苦しみます。そして湖でのボート事故が、取り返しのつかない悲劇へとつながっていくのです。

セオドア・ドライサーの小説「アメリカの悲劇」を映画化したこの作品は、公開当時大ヒットし、アカデミー賞では監督賞や脚色賞など6部門を受賞。史上初のゴールデングローブ賞作品賞も獲得。

あおい

監督の戦争体験が、この映画の重さを作っています

見どころは、モンゴメリー・クリフトとエリザベス・テイラーの美しいクローズアップで描かれる恋愛シーンと、その裏側で膨らんでいくジョージの葛藤です。

きらびやかな上流社会の世界と、貧しい労働者の現実。その格差の中で翻弄される若者の姿は、「アメリカン・ドリーム」の光と影を映し出しています。

処刑を待つジョージのラストに向けて、クリフトは役に入り込むため、サン・クエンティン刑務所の死刑囚房に実際に一晩閉じ込めてもらったとか。

やったことだけでなく、やらなかったことにも責任が伴うということでしょうか。

ジョージは決定的な瞬間に助けようとしなかった自分から目を背け続けます。夢を追うことは悪いことではありません。でも、その夢のために何を見なかったことにしているのか? それを直視しなければ、気づいた時には手遅れになってしまう。

今の時代にも通じる、重い問いを投げかけてくる作品です。

ラベンダー・ヒル・モブ

画像引用元:Rotten Tomatoes

(NO.0248)

監督:チャールズ・クライトン

78分/イギリス
原題または英題:The Lavender Hill Mob
日本公開情報なし

ロンドンの銀行で20年間、金塊の輸送を担当してきた真面目な銀行員ホランド。誰からも評価されない地味な日々を送る彼は、ある日「完璧な金塊強奪計画」を思いつきます。近所に住むエッフェル塔の土産物を作っている職人ペンドルベリーと手を組み、盗んだ金塊を土産物に溶かし込んで国外へ密輸する計画です。ところが、実行してみると思わぬハプニングが次々と起こり。

この映画はイギリスのイーリング・スタジオが作った犯罪コメディで、T・E・B・クラークが脚本でアカデミー賞を受賞しています。

かんとくさん

実はオードリー・ヘプバーンのチョイ役出演作だよ

オープニングのリオのバーで、アレック・ギネスに話しかける帽子係の女の子チキータが、まだ売れない頃のオードリー・ヘプバーン。彼女の映画2本目くらいの超初期出演で、スタンリー・ホロウェイとは後に『マイ・フェア・レディ』で再共演するという、地味にすごい組み合わせ。

最大の見どころは、小心者のおじさんたちが綿密な計画を立てても、いざ実行するとテンパってしまうドタバタです。真面目で几帳面なホランドが、犯罪者として行動するたびに人間味が邪魔をする。そのギャップから生まれるユーモアが、軽快なテンポで展開します。

この作品、バチカンが選んだ「重要な映画45本」の芸術カテゴリーにしれっと入っています。『市民ケーン』『メトロポリス』『モダン・タイムス』と並んで、なぜか金塊泥棒コメディ。カトリック系のレビューでも「教皇庁お気に入り映画のひとつ」としてちゃんと紹介されていて、「ラインナップの中で一番楽しそうな一本」と言われたり。

エッフェル塔の螺旋階段を駆け下りるシーンは、後のヒッチコック映画にも影響を与えたと言われています。

欲に負けて一線を越えたら、どうなるのでしょうか?

長年真面目に働いても報われないホランドの不満には共感できてしまうからこそ、彼の選択が笑いの裏でチクッと刺さります。派手なアクションではなく、英国流の上品なユーモアで描かれる「もし自分が犯罪に手を染めたら?」という物語。

軽妙な笑いの中に、人間の弱さと愚かさが描かれているのです。

田舎司祭の日記

画像引用元:映画.com

(NO.0249)

監督:ロベール・ブレッソン

115分/フランス
原題または英題:Journal d’un cure de campagne
配給:コピアポア・フィルム

(いなかしさいのにっき)と読みます。

北フランスの寒村アンブリクールに赴任してきた若い司祭。体が弱く、村人たちからは冷たい視線を向けられます。誠実に務めを果たそうとしても誤解され、心も体も追い詰められていく日々。それでも彼は日記に思いを綴りながら、信仰を手放さずに生きようとします。

あおい

村はちゃんと実在するし、今も行けるのです

ジョルジュ・ベルナノスの小説を映画化したこの作品は、ヴェネツィア国際映画祭で撮影賞と国際賞、ルイ・デリュック賞など多数の国際賞を受賞。静かに力を増していく映画として愛されています。

この原作、人気脚本コンビのオレンシュ&ボスト版シナリオ案も存在していて、どちらが映画化するかをめぐる権利争いっぽい駆け引きがありました。

見どころは、派手な出来事ではなく「心の動き」を描くシンプルな演出です。感情を抑えた演技と無駄のないカット割りによって、司祭の孤独や不安がかえって深く伝わってきます。

村人たちの冷たさも、戦後の疲れ切った社会の空気として描かれ、その中で「それでも人を信じたい」と願う司祭の姿が切実に響きます。

かんとくさん

ひたすらパン・ワイン・砂糖の食生活、見ていると胃が痛くかもね

正しく生きることが必ずしも幸せをもたらすわけではないのですね。

司祭は完璧な聖人ではなく、失敗し、弱さに苛まれる普通の人間です。

それでも最後に彼が口にする「すべては恩寵」という言葉は、結果がどうであれ、誰かのために悩み続けた人生そのものに意味があるという、小さな肯定のように感じられます。

地球の静止する日

画像引用元:Rotten Tomatoes

(NO.0250)

監督:ロバート・ワイズ

92分/アメリカ
原題または英題:The Day the Earth Stood Still
配給:20世紀フォックス日本支社

ワシントンD.C.に突然、円盤が着陸します。中から現れたのは異星人クラトゥと巨大なロボット・ゴート。クラトゥは「平和の使者」として、人類に重大なメッセージを伝えに来ました。

「このまま核兵器を使った攻撃的な行動を続けるなら、宇宙の秩序を守るために地球を破壊する」と。

しかし人類は恐怖と疑心から、彼の言葉を受け入れられません。クラトゥは人間社会に紛れ込み、未亡人ヘレンと少年ボビーと触れ合いながら、人類に変わる意志があるのかを見極めようとします。

単なる侵略ものではなく、平和と理解を訴える作品なのです。

見どころは、派手な戦闘ではなく「人類がどう反応するか」をサスペンスにしている点です。軍は恐怖から先制攻撃に走り、科学者たちはクラトゥを理解しようとする。世界中の電力が30分だけ止まる「地球の静止」のシーンは、破壊する前に考えろという警告にもなっています。

「Klaatu barada nikto(クラートゥパラダニクト)」を言うヘレン役のパトリシア・ニール本人は、このフレーズを「バカバカしくて、笑いをこらえるのが大変だった」と後年語っています。当時はただのB級SFくらいの感覚で、まさか映画史に残る名セリフになるとは思っていなかったとか。

かんとくさん

意味不明の宇宙後は、公式な意味の見解は出していないんだ

あおい

SF界で最も有名な「意味わからん命令文」と言われますね

恐怖に飲まれるか、対話を選ぶかということを考えてしまいます。

異質な存在を前にしたとき、まず攻撃するのか、話を聞くのか。

有名な言葉「Klaatu barada nikto(クラートゥパラダニクト)」は、暴力を止める合言葉として語り継がれています。核や戦争だけでなく、対立だらけの現代にも相手を完全な敵と決めつける前に立ち止まれるかを考えさせてくれる作品です。

(; ・`д・´)

1952年

1952年を象徴するイメージ画像を、明るく前向きになれるようにしました。

静かなる男

画像引用元:映画.com

(NO.0251)

監督:ジョン・フォード

129分/アメリカ
原題または英題:The Quiet Man
配給:マーメイドフィルム

アメリカでボクサーとして活躍していたショーン・ソーントンは、試合で相手を死なせてしまったことから、故郷アイルランドの田舎村イニスフリーに戻ってきます。家族の農場を買い戻そうとしますが、その土地を狙っていた大地主ウィル・ダナハーと対立。さらに彼の妹で気の強いメアリー・ケイトに恋をします。二人は結婚しますが、「持参金」をめぐる伝統的な慣習と、暴力から逃れたいショーンの思いが衝突し、物語は村を巻き込んだ大乱闘へと発展していきます。

ジョン・フォード監督がアイルランドへの郷愁を込めたこの作品は、アカデミー賞で監督賞とカラー撮影賞を受賞し、7部門にノミネートされました。

見どころは、アイルランドの美しい風景を捉えた映像と、ユーモアたっぷりの村人たち。パブでの歌や競馬、そして村総出の大乱闘まで、フォード監督が描く「歌とケンカとお節介に満ちた故郷」が楽しめます。

同時に、ウェインとオハラの火花を散らすようなやりとりが、男のプライドと女の誇りがぶつかる大人のラブストーリーとして作品を引き締めています。

最後のショットで、メアリー・ケイトがショーンの耳元で何かをささやき、ウェインが一瞬だけ素の顔になる有名カット、あれはフォードが「絶対に台本にないことを言え」とオハラに頼んだ即興。何をささやいたのかは、オハラいわく「監督と私とデュークだけの秘密」で、インタビューでも絶対に明かさないまま亡くなりました。

かんとくさん

ラストの耳打ちは今も謎のままなんだ…..

過去とどう向き合うかを考えさせられます。

ショーンは暴力から逃げたいと願いながらも、逃げ続けることで大切な人を傷つけてしまいます。メアリー・ケイトは、持参金という古い慣習の中に、自分の尊厳を見ています。

ぶつかり合いを避けずに向き合った先でしか、本当の安らぎは手に入らないのかもしれません。

禁じられた遊び

画像引用元:映画.com

(NO.0252)

監督:ルネ・クレマン

87分/G/フランス
原題または英題:Jeux interdits
配給:モービー・ディック

第二次世界大戦を舞台に、戦争に巻き込まれた子どもたちの物語を描いた作品です。

空襲で両親と愛犬を失った5歳の少女ポーレットは、田舎の少年ミシェル(11歳)に助けられます。二人は死んだ犬を埋めてあげようと、秘密の墓地を作り始めます。やがて鳥や虫など、死んだ生き物の墓を次々と作るようになり、墓標の十字架を近くの墓地から盗んでくる「禁じられた遊び」に夢中になっていきます。

かんとくさん

ボートレット役の子供、実は戦争映画だとは知らずに出演していたんだ

ヴェネツィア国際映画祭で金獅子賞を受賞し、アカデミー賞でも名誉賞を獲得。戦争の悲惨さを、子どもたちの純粋な目を通して静かに描いた傑作です。

戦争の意味も死の重さも理解できない子どもたちが、「遊び」として死を真似る姿は、痛ましくも、同時に心を守ろうとする必死の行動です。

ギターの主題曲「愛のロマンス」が、物語の悲しみを優しく包み込みます。

曲として有名なギターの「愛のロマンス」、映画のイメージが強すぎて禁じられた遊びのテーマとして世界中のギター初心者の課題曲に。長らく作曲はギタリストのナルシソ・イエペスと紹介されてきたけど、実は19世紀の無名作者による曲を彼が編曲しただけではないか、という説が有力で、音楽史オタクの間ではいまだに小さな論争ネタになってます。

あおい

日本では、「映画は知らないけど曲は知っている」という人が続出していますね

アシスタント

ギター初心者が最初に習う曲の定番ですね

大人の世界の都合が、子どもの心をどれほど傷つけるのでしょう。

ポーレットとミシェルは、自分なりに死を理解しようと儀式のような遊びを作りますが、大人たちはその意味を理解できず、二人の世界を壊してしまいます。

これは戦時中だけの話ではありません。今の時代も、子どもの不思議な「こだわり」や「遊び」の裏には、言葉にできない不安や悲しみが隠れているかもしれない。そんな小さなサインを見逃さないことの大切さを、この作品は強く訴えているのです。

ヨーロッパ一九五一年

画像引用元:Rotten Tomatoes

(NO.0253)

監督:ロベルト・ロッセリーニ

110分/イタリア
原題または英題:Europe ’51
配給:イタリフィルム=松竹

戦後ローマを舞台に、一人の女性の人生が大きく変わる様子を描いた作品です。

主人公イレーネは、裕福な実業家の妻として華やかな社交生活を送っていました。しかし、構ってもらえない寂しさから息子が自殺してしまい、大きなショックを受けます。「もっと息子のそばにいてあげれば」という罪悪感から、イレーネは貧しい人々を助ける活動に身を投じていきます。工場で働く人々、病気の子ども、娼婦など、今まで知らなかった「もう一つのローマ」で苦しむ人々と出会い、彼女は献身的に彼らを助け始めます。

カトリック色が強い国で「教会より個人の“愛”が上」に見えるのが問題視されて、公開時は検閲・再編集まみれ。神父の描写や、イレーネが教会にあんまり従わないシーンが削られたバージョンまであって、国や時期でかなり違う「別エンディング状態」になってしまいました。。。

しかし、夫や医師、神父など周囲の人々には、イレーネの行動が「異常」に見えます。裕福な暮らしを捨てて貧しい人々のために生きようとする彼女を、人々は「聖女」と呼ぶ人もいれば、「精神異常者」と見なす人もいます。最終的に彼女は精神病院に入れられてしまいます。

1952年のヴェネツィア国際映画祭で国際賞を受賞し、バーグマンは最優秀女優賞を獲得。

かんとくさん

イタリア版、国際版、フランス版、英語吹替版…と、台詞や編集が違うバージョンがいくつも存在しているんだ

たとえばイレーネのいとこの政治的立場(共産主義者なのかどうか)や、精神科医のセリフのニュアンスが変えられていて、「どの『ヨーロッパ一九五一年』を観たか」で印象が微妙に違うのです。

あおい

マニア泣かせですね

本当の優しさや善意でさえ、社会の常識から外れると『おかしい』と見なされてしまう、そんな何とも言えない厳しい現実をつきつけます。

イレーネは人々を助けたいという純粋な気持ちで行動しますが、上流階級の人間がそれをすることは、周囲には理解されません。

私たちの社会には「この立場の人はこう振る舞うべき」という見えないルールがあり、それを破ると排除されてしまう。この作品はそんな怖さを描いているのです。

雨に唄えば

画像引用元:Rotten Tomatoes

(NO.0254)

監督:ジーン・ケリー、スタンリー・ドーネン

102分/G/アメリカ
原題または英題:Singin’ in the Rain

配給:大映

「映画史上最高のミュージカル」と呼ばれる名作です。監督はジーン・ケリーとスタンリー・ドーネン。主演もジーン・ケリーが務めています。

舞台は1920年代のハリウッド。人気映画スターのドンは、いつもリナという女優と共演していますが、実はリナのことが苦手です。そんな時、サイレント映画(音声のない映画)からトーキー映画(音声付き映画)への大転換期が訪れます。

問題は、リナの声が致命的に悪いこと。そこでドンと親友コズモは、新人女優キャシーの美しい歌声でリナの声を吹き替え、ダメになりかけた映画をミュージカルに作り変えようと奮闘します。

ジーン・ケリーが土砂降りの雨の中で傘を持って歌い踊るシーンは有名です。恋の喜びを全身で表現するこの場面は記憶に残るでしょう。

タイトル曲のシーンを撮ったとき、ジーン・ケリーはインフル気味で高熱状態。それでも「今日撮る」と譲らず、ずぶ濡れでテイクを重ねたせいで、体調はさらに悪化…。

あおい

ケリーは40度近い高熱の中で歌っていました

見どころは、次々と繰り出される華やかなダンスナンバーです。親友コズモの「Make ‘Em Laugh」での壁を駆け上がるようなアクロバット、三人での「Good Morning」の楽しいステップなど、どの場面も躍動感にあふれています。

劇中でキャシーがリナのひどい声を吹き替える…という設定だけど、じつは逆パターンもあって、トーキー化テストでちゃんとしゃべるリナとして使われている上品な声は、ジャン・ヘイゲン本人。

あおい

声が致命的に悪い役をやっている人の本当の声はとても良かったというオチでした

困難な状況も、工夫と笑いで乗り越えられます。

技術の変化で仕事のやり方が大きく変わるのは、現代でも身近な話。文句を言うだけでなく、仲間とアイデアを出し合って新しいものを作り出す。その前向きな姿勢が、未来を切り開きます。

どんなに大変な夜でも、傘をくるっと回して「それでも悪くないな」と笑える、そんな明るい気持ちになれる作品なのです。

悪人と美女

画像引用元:Rotten Tomatoes

(NO.0255)

監督:ヴィンセント・ミネリ

118分/アメリカ
原題または英題:The Bad and the Beautiful
配給:MGM日本支社

ハリウッド映画界の華やかさと残酷さを描いた作品です。

物語は、やり手プロデューサーのジョナサン・シールズが2年ぶりに映画を作ろうと、3人の映画人に協力を求めるところから始まります。その3人とは、売れっ子監督のフレッド、人気女優のジョージア、ベストセラー作家のジェームズ。全員がかつて無名だった頃、ジョナサンに見いだされて成功への道を開かれました。しかし同時に、全員がジョナサンにひどく裏切られた過去も持っています。

かんとくさん

ジョナサン・シールズは、デヴィッド・O・セルズニック、ヴァル・リュートン、ルイス・B・メイヤー、オーソン・ウェルズなど実在のプロデューサーのエピソードを寄せ集めた合成キャラと考えればわかりやすいよ

映画は3人それぞれの視点から、ジョナサンとの出会いと別れをフラッシュバック形式で描いていきます。

この映画はアカデミー賞で5部門受賞して、その年の最多オスカー作品だったのに、なぜか作品賞にはノミネートすらされず。「一番賞を取ったのに作品賞候補じゃない」という、わりと珍しい記録を持っています。

見どころは、ジョナサンというキャラクターの描き方です。彼は単純な悪人ではありません。映画作りへの情熱は本物で、3人の才能を誰よりも信じていました。しかし、その過程で相手を平気で傷つけてしまう。

3人は彼のおかげで成功したことを否定できないからこそ、憎しみと感謝が入り混じった複雑な感情を抱えています。

ミネリはのちに『狂恋の町/Two Weeks in Another Town』を撮るんだけど、同じくカーク・ダグラス主演で、撮影所のシーンでは『悪人と美女』のフィルムを過去の作品としてそのまま流用。キャラ名こそ違うけど、ファンの間では「勝手に精神的続編」として語られています。

成功する時、誰かの犠牲の上に立っているのかもしれません。

夢を追う人も、利用されたと感じる人も、それぞれに言い分がある。自分が今どこに立っているのか、誰の助けがあったのか、そして誰を傷つけてきたのか。時々立ち止まって考えるてみましょう。

華やかな映画界を舞台にしながら、どこか身近な人間関係の難しさも感じさせる作品なのです。

生きる

画像引用元:Rotten Tomatoes

(NO.0256)

監督:黒澤明

143分/日本

原題または英題:Ikiru
配給:東宝

主人公は市役所の市民課長・渡辺勘治。30年間、毎日ただ書類にハンコを押すだけの仕事を続けてきました。ある日、胃がんで余命わずかと知った渡辺は、自分の人生が「ただ生きていただけ」だったことに気づき、深い絶望に陥ります。

夜の歓楽街をさまよっても虚しさは消えず、若い女性職員の生き生きとした姿に触れて、「残された時間で、誰かのために本当に役立つことをしたい」と決意します。彼が最後に選んだのは、役所のたらい回しで放置されていた小さな子どもの公園を作ることでした。

『七人の侍』と並ぶ黒澤明の最高傑作として、世界の映画史に名を残しています。現代劇での最高の作品とも言われます。

黒澤は志村喬に「この世のものとは思えないような声で歌ってほしい」と指示したと言われていて、あえて張り上げず、人生こじらせ気味の歌い方にしたとのことです。

見どころは、前半と後半で構成が大きく変わるところです。前半は渡辺本人の視点で、絶望から小さな希望へと向かう心の変化を描きます。後半は彼の死後、同僚たちが酒の席で「渡辺は本当に何をしようとしていたのか」を語り合う群像劇になります。

完成した公園のブランコで静かに歌うシーンは、人生の哀しみと充実が同時に宿った瞬間として、心に残るシーンの一つです。名シーンですよね。

あおい

役所シーンの「たらい回し」は、黒澤が感じたリアルな体験談ベースがもとになっています

よく知られている通り、ストーリーの根っこにはトルストイ『イワン・イリイチの死』があるけど、「市役所の課長が公園ひとつに命を燃やす」という具体的な設定は、戦後の日本の役人気質を風刺したかった黒澤のオリジナルです。

おてつだいさん

トルストイと日本の市役所の合わせ技なんだね

大きなことを成し遂げなくても、誰かのために自分の時間を使うことで、初めて本当に生きたと言えるのではないかということなのかもしれません。

小さな公園づくりに残りの時間をすべて注ぎ込んだ渡辺の姿は、「自分は何のために働き、誰のために時間を使いたいのか」という問いを投げかけます。

見終えた後には、明日の過ごし方が少し変わるかもしれません。

ウンベルトD

画像引用元:Rotten Tomatoes

(NO.0257)

監督:ヴィットリオ・デ・シーカ

89分/イタリア
原題または英題:Umberto D.
配給:イタリフィルム

戦後ローマを舞台に、老いと孤独を見つめた作品です。

主人公は元公務員の老人ウンベルト。わずかな年金では生活できず、家賃を滞納して大家から部屋を追い出されそうになっています。長年まじめに働いてきたのに、頼れる家族もなく、唯一の味方は愛犬のフライクだけ。アパートの若い家政婦マリアも未婚の妊娠と貧しさに悩んでおり、2人と1匹は、ギリギリの生活の中でささやかなつながりを育んでいきます。

主人公ウンベルトを演じたカルロ・バッティスティは、職業俳優じゃなくてフィレンツェ大学の言語学教授。デ・シーカが偶然見かけて「この顔、ローマの年金生活者そのものだ」とスカウトしたと言われてます。

貧困と老いの尊厳を描いた、文字通りの名作です。

見どころは、老人と犬という小さな世界の中に、社会の冷たさと人間の温かさが同時に詰まっているところです。

路上でフライクを失いかけて必死に探す場面や、一度は心中を考えながらも犬を巻き込めず思いとどまる場面は、説明的な台詞は少ないのに、胸に深く響きます。

あおい

この作品はイタリア政府からメチャクチャ嫌われました

戦後復興をアピールしたい政府からすると、「貧困老人が路頭に迷う映画」はイメージ最悪。文化担当の政治家からは名指しで批判され、「こんな映画はイタリアの名誉を傷つける」とまで言われました。興行も国内ではイマイチでした。

アシスタント

「海外で先に名作扱い→あとから母国で再評価」というあるあるパターンです

立派なことをしなくても、人としての尊厳を守ろうと踏ん張ること自体が『生きる』ことなのです。

誰も助けてくれない状況でも、ウンベルトは最後まで「人としての顔」を捨てません。その姿は、高齢者の貧困や孤立が問題になっている今の時代にも刺さります。

静かな映画ですが、身の回りの年配の人や、黙って働いている誰かを思い出さずにいられない作品です。

真昼の決闘(ハイ・ヌーン)

画像引用元:映画.com

(NO.0258)

監督:フレッド・ジンネマン

84分/G/アメリカ
原題または英題:High Noon
配給:ユナイテッド・アーチスツ

心理サスペンス要素の強い西部劇です。

小さな町の保安官ウィル・ケインは、結婚を機に引退し、町を去ろうとしていました。その時、かつて彼が逮捕した無法者フランク・ミラーが恩赦で釈放され、「正午の列車で戻ってくる」との知らせが届きます。ケインは町に残り、ミラー一味と戦うことを決意しますが、町の人々に協力を求めても、「家族を危険にさらせない」「商売に響く」「もう引退したんだから関係ない」と、みな断ります。

新妻のエイミーも信仰上の理由から暴力を嫌い、「一緒に町を出て」と懇願します。列車の時刻が近づく中、ケインは誰にも頼れないまま、本当の孤独と向き合うことになります。

かんとくさん

この映画は「赤狩りハリウッド」への反撃でもあるんだ

脚本のカール・フォアマンは、撮影中に議会の「非米活動委員会」に呼び出されて、共産主義者の名前を言えと言われても拒否 → 事実上の追放状態に。町のみんなに見捨てられながら一人で立つケインの姿は、赤狩りで孤立した作り手たちの心情と重ねて読まれます。

実時間に近い進行で正午までを描く演出と、一人で立つ男の姿を静かに追う作りは、世界中にインパクトを与えました。

本編84分で、物語上はほぼ午前10時40分〜正午くらいまでの出来事。作中でしつこいくらい時計のアップが出てくるのは、「本当に今この時間が流れている感」を出したかったから。西部劇なのに爆発もカーチェイスもないタイムリミットものになっているのが妙に新鮮。

見どころは、派手なアクションよりも、誰も力を貸してくれない中で、それでも自分の信じる道を選ぶかどうかに揺れるケインの表情です。

協力を拒む町民にもそれぞれ事情があり、簡単に「臆病者」と切り捨てられないところが、物語に苦いリアリティを与えています。

正しいと思うことを、他人がついてきてくれなくても選べるかということを考えさせられます。

味方がいないことを理由に逃げるのか、それとも自分だけは裏切らないと決めるのか。見終わった後、自分ならどうするか考えたくなる作品なのです。

アメリカの元大統領ビル・クリントンは、『ハイ・ヌーン』を「自分の仕事のメタファー」とまで言ってお気に入りにしてて、ホワイトハウスで何度も上映したと語ってます。

天使の顔

画像引用元:Rotten Tomatoes

(NO.0259)

監督:オットー・プレミンジャー

91分/アメリカ
原題または英題:Angel Face
配給:RKOラジオ映画

白黒フィルム・ノワール(暗くスタイリッシュな犯罪映画)の名作です。

物語の主人公は、救急車の運転手フランク。ある日、裕福な屋敷に呼ばれた彼は、そこで美しい娘ダイアンと出会います。彼女は父親の再婚相手である継母を憎んでおり、フランクに強く惹かれていきます。

やがて継母夫婦が車の事故で亡くなり、二人は殺人容疑で裁判にかけられますが無罪に。しかし、フランクとダイアンの関係はどこか歪んだまま進んでいき、衝撃的な結末を迎えます。

そのビンタをもっとリアルにするために、プレミンジャーが自らシモンズをバシッと殴って見せた、という話が残ってます。これを見たロバート・ミッチャムが「今度は俺にもやってみろ」と言い、監督が近づいたところを逆に一発でノックアウトしたとか。。。

あおい

ロバート・ミッチャムらしい武勇伝ですね

見どころは、天使のような顔をしたダイアンが、じわじわとフランクの人生を支配していく過程。そして映画史に残る「崖の上での衝撃的なラストシーン」です。

スタジオ的にはあくまで低予算サスペンス扱いで、撮影期間もかなりタイト。ミッチャムはインタビューで「2〜3週間で撮ったようなもんだ」と笑っていて、現場の空気もけっこうラフだったようで。

同情や優しさだけで誰かと深く関わるのは危険だということです。

相手を「かわいそう」と思って助けようとしても、それが本当に相手のためなのか、自分の満足のためなのかを見極めることが大切です。そうしないと、気づいたときには取り返しのつかない場所まで来てしまう。

恋愛でも友情でも、この境界線を見失わないことが大切だと、スタイリッシュな映像が語っているのです。

果てしなき蒼空

画像引用元:Rotten Tomatoes

(NO.0260)

監督:ハワード・ホークス

122分/アメリカ
原題または英題:The Big Sky

配給:RKOラジオ映画

舞台は1832年のアメリカ。ケンタッキーで出会ったジムとブーンは意気投合し、ブーンの叔父ゼブを探してセントルイスへ向かいます。そこで二人は毛皮商人の探検隊に加わり、ミズーリ川をケルボート(平底船)で2000マイルも遡る旅に出ることに。

原作はA・B・ガスリー・Jr. の小説。彼、同じ時期に『シェーン』の脚本も手がけていて、静かでちょっと寂しさのある西部の雰囲気は、この人の影響がかなりデカいと言われてる。「銃より風景と男たちの沈黙」って空気はここらへん発と考えてOK。

目的は、ブラックフット族の娘ティール・アイを部族に送り届け、毛皮の交易権を手に入れること。しかし旅の途中で二人はティール・アイをめぐって対立し、さらに敵対する交易会社や先住民との衝突にも巻き込まれていきます。

かんとくさん

セブ役のアーサー・ハニカットはおしゃべり老猟師キャラがあまりにハマりすぎて、以後も西部劇で似たキャラを任されることが多くなったんだよ

雄大な自然の撮影と男たちの友情を描いた作品として見ごたえのある作品です。

見どころは、ゆっくりと川を進む旅の臨場感。大自然の美しさ、キャンプファイヤーでの語らい、先住民との緊張した駆け引き。ストーリーはシンプルですが、まだ地図に描かれていない世界を冒険する興奮が画面いっぱいに広がります。

あおい

実はもっと長い幻の完全版もありました。スタジオ側の判断で一部切られました

自由を求める気持ちと「どこで誰と生きるか」という選択の大切さです。果てしない空の下での旅は自由そのものですが、いつかは終わりが来て、仲間と別れて自分の道を選ばなければなりません。

その決断の重さを、壮大な冒険の形で見せてくれる作品なのです。

1953年

1953年を象徴するイメージ画像を明るく前向きな気持ちになれるようにしました。

黄金の馬車

画像引用元:Rotten Tomatoes

(NO.0261)

監督:ジャン・ルノワール

105分/フランス・イタリア
原題または英題:Le Carrosse D’or
配給:フランス映画社

ジャン・ルノワール監督が「演じること」と「生きること」の境界線を描いた作品です。

舞台は18世紀、南米ペルーのスペイン植民地。イタリアから来たコメディア・デラルテ(即興演劇)の一座で看板女優を務めるカミーラは、ある日、副王から贈られた「黄金の馬車」をきっかけに、3人の男性から同時に愛を告白されます。情熱的な闘牛士、誠実な士官、そして権力者である副王。誰を選んでも誰かが傷つく状況の中で、カミーラは本当に自分が生きたい場所を選ばなければなりません。

フランスの巨匠フランソワ・トリュフォーは「最も高貴で洗練された映画」と絶賛し、自身の製作会社を「黄金の馬車」と名付けたほどです。

見どころは、鮮やかなテクニカラーの色彩と、舞台と現実が入り混じる演出。「舞台の上」と「日常」の境界が曖昧になっていく中で、カミーラが最後に選ぶのは、誰か一人の男ではなく、「舞台に立ち続けること」そのものです。

南米の植民地が舞台なのに、ロケはほぼなくて全部スタジオセット。照明も舞台のフットライトっぽくわざと平面的に当てていて、「リアルに見せるな、芝居の中の芝居として見せろ」とルノワールが指示したと言われてます。

あおい

リアリズムじゃなく、「いかに作り物っぽくするか」にこだわったわけですね

愛されることと自分らしく生きることは別物だということです。

華やかな贈り物や権力、情熱的な恋に心を動かされながらも、カミーラは自分が一番輝ける場所を選びます。私たちも、他人の期待や条件より、自分が本当に呼吸しやすい場所を見つけることが大切だと伝えてくれる作品なのです。

不良少女モニカ

画像引用元:Rotten Tomatoes

(NO.0262)

監督:イングマール・ベルイマン

96分/スウェーデン
原題または英題:Sommaren med Monika
配給:新東宝=映配

「若さの輝き」と「その代償」を描いた作品として知られています。

ストックホルムの下町で働く真面目な青年ハリーと、奔放な少女モニカ。退屈な日常と窮屈な家族に嫌気がさした二人は、ハリーの父親のボートを持ち出して島へ逃げ出します。仕事も責任も忘れて、太陽と海に囲まれた自由な恋に酔いしれる夏の日々。

しかし、モニカの妊娠をきっかけに二人は現実に引き戻されます。金の問題、将来への不安、そして性格の違い。永遠だと思った夏の恋は、少しずつ壊れ始めます。

アメリカでは再編集版が物議を醸し、ベルイマンの名を世界に広めるきっかけとなりました。

かんとくさん

アメリカでは、エロ映画として売られてしまったんだよ!

本国では青春ドラマなのに、アメリカ上陸時にはエクスプロイテーション系プロデューサーが権利を買って再編集。「Monika, the Story of a Bad Girl」というタイトルで、ラブシーンとヌードを強調した60分弱バージョンにされて、ほぼ「お色気映画」として宣伝されました。

あおい

そのせいで、アメリカではベルイマンはエロ映画を撮る人という印象を持った人が多かったとか…..

見どころは、前半の輝くような夏のシーン。ボートでの逃避行、岩場でのピクニック、自由な時間。後半は一転して、狭いアパートと灰色の街並みが増え、二人の心の距離を映し出します。

そして有名なモニカがカメラをじっと見つめるシーン。この瞬間、彼女は観客に「あなたならどう生きる?」と問いかけてきます。

ベルイマンは彼女を舞台で見て惚れ込み、ほぼ「モニカありき」で脚本を書いたと言われてます。この作品をきっかけに私生活でも恋人関係になり、その後も何本も彼女を起用。

アシスタント

監督の個人的感情も入っている作品なんですね

自由には責任が伴うということです。

モニカの自由奔放さは魅力的ですが、同時に誰かを傷つける危うさも持っています。一方ハリーは、良い人でいようとするあまり、自分の気持ちを言葉にできない。

「自分はどんな自由を、誰と選びたいのか」を考えさせてくれる作品です。後の青春ドラマの基盤ともなった金字塔でもあるのです。

あおい

ウディ・アレンは、ストーリーもベルイマンも知らないけど、とにかく裸が出る北欧映画という噂だけで観に行ったと言っています

拾った女

画像引用元:Rotten Tomatoes

(NO.0263)

監督:サミュエル・フラー

80分/アメリカ
原題または英題:Pickup on South Street
配給:20世紀フォックス極東会社

フィルム・ノワール(暗くスタイリッシュな犯罪映画)の名作です。

ニューヨークの地下鉄で、常習スリのスキップは女性キャンディのバッグから財布を盗みます。しかしその中には、共産主義スパイに渡す予定の国家機密マイクロフィルムが。FBI、警察、スパイたちがフィルムを追う中、スキップは「金になる」とふんで駆け引きを始めます。やがて彼は、情報屋のモーやキャンディとの出会いを通じて、自分なりの一線と向き合うことになります。

公開当時は冷戦時代の空気もあって、反共産主義の宣伝映画とも、逆に国家権力への批判とも受け取られました。現在では、イデオロギーより社会の底辺で生きる人々の人間ドラマとして高く評価されています。

見どころは、フラーらしい生々しい映像。地下鉄でのスリ、川辺の小屋、薄暗い部屋での尋問など、登場人物たちの汗と呼吸が伝わるような緊張感あふれるシーンが続きます。

かんとくさん

主人公は最後まで「愛国心で改心しない」珍しいスリだよ

あおい

当時では珍しい作り方でした

特に情報屋モーの誇りと孤独がにじむ場面は心に残ります。

「悪党」とされる人間にも守りたいものがあります。

スキップは国家のためではなく、自分の流儀で動きますが、最後の選択は単なる利己主義とは言えません。大きな正義より、小さな義理のほうが人を動かすこともある。

そんな人間の複雑さを描いた作品なのです。

原題 Pickup on South Street の 「Pickup」 は、「地下鉄のスリ行為」と「ナンパして拾った女」の両方の意味をかけたもの。日本タイトル『拾った女』は、ちゃんとそのニュアンスを拾いつつ、いい感じに怪しげな邦題になっています。

バンド・ワゴン

画像引用元:Rotten Tomatoes

(NO.0264)

監督:ヴィンセント・ミネリ

112分/アメリカ
原題または英題:The Band Wagon
配給:MGM

フレッド・アステア演じる映画スター、トニー・ハンターは、かつての輝きを失い、もう時代遅れだと思われていました。そんな彼に、作家夫婦の友人がブロードウェイの新作ミュージカルを用意してくれます。ところが、芸術家気取りの演出家が加わって、楽しいショーを難解な作品に変えてしまい、相手役のバレリーナとも衝突ばかり。初日は大失敗に終わります。

しかしみんなで原点に戻り、「観客が楽しめるショー」を作り直すことで、最後には大成功を収めます。この過程で、トニーとバレリーナのギャビーは、お互いを理解し合い、恋に落ちていきます。

タイトルの元になったのは、フレッド・アステアと姉アデルが主演した1931年の舞台レビュー『The Band Wagon』

見どころは、「That’s Entertainment!(ザッツエンターテインメント)」という有名な曲をはじめとする素晴らしい音楽と、夜の公園でアステアとシド・チャリースが踊る「Dancing in the Dark(ダンシング・イン・ザ・ダーク)」のロマンチックなダンスシーン。

かんとくさん

劇中で使われる18曲の多くは、もともと過去のブロードウェイ作品からの再利用だよ

年齢差や芸術観の違いを乗り越えて、二人が息を合わせていく姿に心を打ちます。

難しく考えすぎないことですね。

芸術的で高尚なものを作ろうとするあまり、大切な楽しさを忘れてしまうことがあります。プライドを捨てて、自分の得意なことで人を喜ばせる。それが本当の成功への道だと、この映画は教えてくれます。

年を重ねても、新しいことに挑戦し、違う世代の人と協力することで、素晴らしいものが生まれるという希望を与えてくれるミュージカル作品なのです。

ぼくの伯父さんの休暇

画像引用元:映画.com

(NO.0265)

監督:ジャック・タチ

89分/フランス
原題または英題:Les vacances de Monsieur Hulot
配給:日本コロムビア

ジャック・タチ監督が生み出したユロ氏というキャラクターの人気シリーズ第一作です。

フランスの海辺のホテルにバカンスで訪れた人々。そこへパイプをくわえた背の高いユロ氏がポンコツ車で到着します。善良で礼儀正しいのですが、とにかくドジ。ドアを開けっぱなしにしたり、真夜中に花火を暴発させたり、カヤックで騒動を起こしたり。悪気は全くないのに、次々とトラブルを巻き起こしてしまいます。特別な物語はなく、ただホテルとビーチでの日常が、短いエピソードの連続として描かれていきます。

かんとくさん

撮影地のホテル「オテル・ド・ラ・プラージュ」は、今や聖地になってるんだよ

記憶や郷愁、人間への愛情に満ちたコメディとなっています。

見どころは、ほとんどセリフに頼らず、動きと音だけで笑いを作るスタイル。複数の人物が同時に動き、その組み合わせで笑いが生まれます。環境音も綿密に計算されていて、静かなのに情報量が多い独特の映画です。

公開当時は約114分版、その後1970年代にタチ自身が再編集して89分版を作り直しています。音楽やギャグのタイミングを微調整しています。

あおい

実はロング版と短縮版があるややこしい映画になっています

人間、完璧でなくていいのです。

ユロ氏も他の客も、どこか間が抜けていますが、そんな不器用さが愛おしい。休暇を「有意義に」と力まず、予定外の出来事も笑い飛ばせたら、それが一番の思い出になる。

肩の力を抜いた生き方を、モノクロの海辺から優しく教えてくれる作品です。

たそがれの女心

画像引用元:Rotten Tomatoes

(NO.0266)

監督:マックス・オフュルス

105分/フランス
原題または英題:Madame de… The Earrings of Madame De …
配給:東和=東映

19世紀末パリの上流社会。将軍夫人ルイーズは、借金を返すために夫から贈られたダイヤのイヤリングをこっそり売り、「なくした」と嘘をつきます。しかし夫は真実を知りながら責めず、買い戻して別れる愛人に渡します。やがてそのイヤリングは、イタリア人外交官ドナティの手に渡り、彼はルイーズに一目惚れしてしまう──たった一つの宝飾品が、夫婦と恋人たちの運命を巻き込んでいきます。

原作のルイーズ・ド・ヴィルモランの小説『Madame de…』は、英語版で60ページちょっとのごく短い作品。登場人物はほぼ三人、名前も出てこないし、時代も場所もぼんやりした宝石みたいな小品だったのを、オフュルスが豪華絢爛な長編映画にふくらませています。

技巧的で作り物めいているのに、その下で本物の心を生み、そして打ち砕くという作品といえます。

見どころは、優雅なカメラワーク。イヤリングが持ち主を変えるたびに、カメラも人物の周囲を回り、舞踏会やサロンを渦のように映します。

タイトルが「Madame de…」で止まっているのは、原作者がベル・エポックの小説家たちのマネをして、実在の社交界ゴシップっぽさを出したかったから。それをオフュルスも引き継いで、映画でも名字が聞こえそうになると音でかき消したり、カメラを動かしてわざと見せなかったりします。

あおい

誰でもあり得る貴婦人にしたかったという意図なんですね

豪華なドレスやシャンデリアは、最初は華やかに見えますが、次第に登場人物たちを縛る檻に変わっていきます。

小さな嘘が人間関係を壊していくというということです。

最初は借金を隠すための嘘だったものが、やがて夫婦の信頼も自分の幸せも壊してしまう。誰も本音を言えなくなる苦しさは、現代にも通じます。

優雅な映像の奥に「幸せそうに見える日常ほど脆い」という真実が潜む作品なのです。

アメリカの批評家アンドリュー・サリスは、この作品を「史上もっとも完璧な映画」とまでベタ褒め。サイト&サウンドのオールタイム・ベストでも上位に入り、ウェス・アンダーソンやエドガー・ライト、スタンリー・キューブリックなど、監督側の「推し映画」としてもやたら名前が挙がります。

恐怖の報酬

画像引用元:Rotten Tomatoes

(NO.0267)

監督:アンリ=ジョルジュ・クルーゾー

149分/フランス
原題または英題:The Wages of Fear Le Salaire de la Peur
配給:東和

舞台は南米の寂れた油田の町。仕事も逃げ場もないヨーロッパ移民たちの前に、石油会社が危険な仕事を提示します。

「油井火災を止めるため、ニトログリセリンを積んだトラックで山道300マイルを運べ」。

選ばれた4人は2台のトラックに分乗し、少しの振動で爆発する状況の中、ガタガタ道、崖っぷち、落石地帯を命がけで走ります。

ベルリン国際映画祭金熊賞とカンヌ国際映画祭パルムドールをダブル受賞し、現在も「世界映画史上最高のスリラー」の一つといわれる知名度が抜群の作品です。

見どころは、その圧倒的な緊張感。前半で登場人物たちの貧しさを描き、後半はトラックの走行シーンがほぼノンストップで続きます。洗濯板のような悪路、崖上の障害物をどう突破するのか?今見ても手に汗握ります。

物語は灼熱の中南米ですが、撮影は南フランス。ところが記録的な長雨にたたられて道路は泥沼、トラックはスタック、クレーンは倒れ、セットはズタボロ。クルーはストで揉め、クルーゾーは足首骨折、妻のヴェラも病気になるなど散々でした。

あおい

撮影現場そのものが「恐怖のロケ」でした

恐怖は命の危険だけでなく、貧困からも生まれるということなのかもしれません。

彼らは勇敢だから危険に挑むのではなく、他に選択肢がないから命を賭けざるを得ない。働くことやお金のためにどこまで自分を削るのか? 現代にも通じる問いを投げかける作品です。

1977年にウィリアム・フリードキンが同じ原作から『恐怖の報酬』(原題『Sorcerer』)を再映画化。本人は「リメイクじゃない」と言い張ってましたが、世間的にはほぼクルーゾー版の影に隠れて大コケ。しかし今は再評価が進み、オリジナルと並べて語られるべき一本とも言われるように。

ザ・ビガミスト(二重結婚者)

画像引用元:Rotten Tomatoes

(NO.0268)

監督:アイダ:ルピノ

79分/アメリカ
原題または英題:The Bigamist
日本公開情報なし

1950年代のアメリカで重婚というタブーに真正面から向き合った人間ドラマです。

主人公ハリーは冷蔵庫のセールスマン。サンフランシスコで妻イヴと暮らしていますが、子どもができず養子を迎えようとします。ところが調査員のジョーダン氏が身元調査を始めると、驚くべき事実が明らかに。

脚本・製作のコリアー・ヤングは、元妻がアイダ・ルピノ、当時の妻がジョーン・フォンテイン。で、この映画では同じ男をめぐる二人の妻をルピノとフォンテインが演じているというカオスな構図。プライベートな三角関係を、そのまま題材にしたみたいな作品になってます。

ハリーはロサンゼルスにもう一人の妻フィリスと赤ちゃんがいたのです。なぜこうなったのか。物語はハリーの回想で、孤独とすれ違いが積み重なって二重結婚に至った経緯を静かに描いていきます。

監督は女優としても有名なアイダ・ルピノ。自らフィリス役で出演し、アメリカ映画史上初めて「女優が自分で自分を演出した作品」として知られています。

あおい

映画史においても貴重な作品です

この映画の素晴らしいところは、誰も完全な悪人として描かない点です。仕事に打ち込む妻イヴ、孤独な時に出会った素朴なフィリス、どちらも見捨てられないハリー。

『ザ・ビガミスト』はルピノと仲間が作ったインディーズ会社「The Filmakers」の作品。途中でRKOが配給から降りてしまい、結局は自前の配給組織で公開することに。

それぞれに事情があり、観る者は誰が悪いのかではなく、どこで間違えたのかを考えさせられるでしょう。

小さな嘘や「言わなかったこと」が積み重なると、取り返しのつかない事態を招くという人生の教訓を教えてくれます。

ハリーは誰かを傷つけようとしたわけではなく、その場しのぎの選択を繰り返した結果、追い詰められていきます。派手な裁きではなく、「この三人はこれからどう生きるのか」という余韻を残す、深い人間ドラマです。

50年代ハリウッドで重婚テーマなら、普通はもっと道徳的お説教になるところ。でもルピノ版は、検閲コードをきっちり守りながらも、主人公を完全には悪人にせず、裁判の結末もかなり曖昧にしているのが特徴。「どっちの女に戻るか」じゃなく「どっちが彼を受け入れるか」というラストの台詞は、今見てもなかなか攻めてます。

裸の拍車

画像引用元:Rotten Tomatoes

(NO.0269)

監督:アンソニー・マン

91分/アメリカ
原題または英題:The Naked Spur
配給:MGM映画会社

賞金稼ぎのハワード・ケンプが、保安官殺しで手配中のベン・ヴァンダグロートを追う西部劇です。コロラドの険しい山中で、ケンプは老いた金探しのジェシーと、軍を追い出された兵士ロイの手を借りてベンを捕まえます。しかし、ベンの連れの女性リーナも含めたわずか5人の旅は、賞金の分け前と生き残りをめぐる疑心暗鬼に満ちていきます。

監督アンソニー・マンは「西部劇がみんな砂漠ばっか撮るのがイヤで、山・滝・森・雪山こそ本当のフロンティアだ」と語ってます。

あおい

だから画面が緑と岩だらけなのですね

西部劇では珍しく、アカデミー賞脚本賞にノミネートされました。

見どころは、たった5人だけが登場する密室劇のような緊張感です。広大な山々の中にいるのに、逃げ場を失った彼らは欲望と恐怖に追い詰められていきます。

かんとくさん

この作品は、セリフのある役はなんと5人だけという超ミニマム構成だよ

誰が誰を裏切るのか分からない駆け引きと、ベンが言葉だけで仲間割れを煽る心理戦が最後まで続きます。

金と復讐に取りつかれると、人はどこまで自分を見失うかということを考えさせられます。

ケンプは賞金で農場を買い戻すことだけを生きる支えにしていましたが、旅を続けるうちに、金のために他人を犠牲にする自分と向き合わされます。

登場人物たちはそれぞれの欲や過去に縛られ、単純な善人・悪人には分けられません。最後に彼が選ぶ決断は、働くことやお金との向き合い方を考えさせてくれる西部劇なのです。

東京物語

画像引用元:映画.com

(NO.0270)

監督:小津安二郎

136分/日本

原題または英題:Tokyo Story
配給:松竹

尾道に暮らす老夫婦・周吉ととみが、成長した子どもたちに会うため東京へ向かう物語です。しかし医者の長男も美容院を営む長女も、忙しさに追われて両親の相手をする余裕がありません。気を遣った子どもたちは温泉旅行を手配しますが、老夫婦は騒がしい場所になじめず早々に戻ってしまいます。そんな中、一番親身になってくれるのは、戦死した次男の妻・紀子だけでした。

英国映画協会「Sight & Sound」誌の2012年投票では、監督投票で第1位、批評家投票でも第3位に選ばれ、世界中の映画人から史上最高の映画の一本と言われていました。

かんとくさん

この作品の元ネタ、実はハリウッド映画なんだよ

物語の骨格は、レオ・マッケリー監督のアメリカ映画『明日は来らず(Make Way for Tomorrow)』がヒント。脚本家・野田高梧がこの作品を覚えていて、小津に「こんな話があった」と紹介したのが始まりと言われています。

見どころは、小津独自の低いカメラアングルと、日常会話の積み重ねです。畳の目線から見た居間や縁側、何気ない風景が、家族の距離を静かに語ります。

親の期待と子どもの本音、都会と地方、伝統と変化。どれも声高に説明されず、淡々とした会話の中ににじみ出てきます。

今でこそ世界映画ベストの常連だけど、公開当時、日本の配給側は「小津作品は外国人には分からない、あまりにも日本的だ」と考えて海外にほとんど出さず。『東京物語』がロンドンやニューヨークで本格的に見られ始めるのは60年代〜70年代になってからで、その頃には小津はすでにこの世にいなかった、というちょっと切ない歴史があるのです。

家族だからといって、わかり合えるとは限らないという真実があります。

忙しい子どもたちは親を嫌っているわけではないのに、結果として冷たくしてしまう。一方で血のつながらない紀子が、最も思いやり深く接します。

誰かを責めるのではなく、「自分も同じことをしていないか」とそっと問いかけてくる作品です。見終わったあと、遠くにいる家族に連絡したくなるかもしれません。確かな余韻が残る、そんな作品です。

列車での移動や、子どもたちの仕事ぶりなど、「ドラマになりそうな場面」はことごとく画面の外。実際に車内が映るのは、終盤、紀子が懐中時計を開いて東京を離れるあたりが初めて、という構成です。

あおい

タイトルに「東京」とついてるのに、東京観光映画ではまったくないのが小津らしいですね

地上より永遠に

画像引用元:映画.com

(NO.0271)

監督:フレッド・ジンネマン

118分/アメリカ
原題または英題:From Here to Eternity
配給:コロムビア

真珠湾攻撃直前のハワイ・ホノルルを舞台に、軍隊の中で翻弄される兵士たちの生き様を描いた戦争ドラマです。

かんとくさん

「ここよりとあに」なんて最初読めなかったよ~

ボクシングを拒否して理不尽な扱いを受ける一匹狼の兵士プルーイット、上官の妻と禁断の恋に落ちる軍曹ウォーデン、そして陽気だが問題も抱える兵士マッジオ。彼らの友情や恋が描かれる中、1941年12月7日、真珠湾攻撃が突然日常を打ち砕きます。

アカデミー賞では13ノミネート中8部門受賞という快挙を達成。ランカスターとデボラ・カー演じる波打ち際のキスシーンは名場面の一つです。

見どころは、戦争そのものではなく「戦争が始まる前の日常」を丁寧に描いている点です。

兵士たちは軍の理不尽さに悩み、恋に落ち、友を失い、ささやかな幸せを求めてもがきます。プルーイットが信念を曲げない姿、ウォーデンが軍人としての責務と恋の間で揺れる姿には、今の私たちにも通じる人間臭さがあります。

原作小説では、ローレーンは完全に売春宿の娼婦ですが、映画では「社交クラブのホステス」に変更。カレンが子どもを産めなくなった理由も、小説では夫からうつされた性病が原因なのに、映画では流産でぼかされています。さらに、原作にあるホモセクシュアリティの要素も映画では全部カット。ハリウッドコードと陸軍の顔色をうかがった結果、かなり丸くなったバージョンなんです。

あおい

検閲を通す為に、危ない要素を全部排除されているのです

大きな歴史の陰で個人も小さな戦いを抱えているということです。

組織の決まりに押し流されそうになりながらも、「ここだけは譲れない」という一線を守れるのか?

その問いは時代を超えて響く、そんなことを痛感する作品です。

雨月物語

画像引用元:Rotten Tomatoes

(NO.0272)

監督:溝口健二

96分/日本

原題または英題:Ugetsu
配給:大映

戦乱の続く16世紀の日本を舞台にした戦争と欲望と怪談が混ざり合ったドラマです。

アシスタント

溝口は、もともとは反戦映画にするつもりはなく「夢とうつつ」をテーマにするつもりでした

陶工の源十郎は、戦の混乱を利用して町で壺を売り、一山当てようと夢中になります。義弟の藤兵衛は「侍になりたい」という野心に取りつかれ、妻おはまを放って戦場へ向かいます。二人の男が金と名誉を追いかける陰で、妻みやぎとおはまには過酷な現実が降りかかります。やがて源十郎は、城館に住む美しい貴婦人・若狭に招かれ、夢のような生活に溺れますが、そこには秘密が隠されていました。

1953年ヴェネチア国際映画祭銀獅子賞を受賞し。各名監督も一目置く、世界映画の古典の一つと言われます。

見どころは、現実と幽玄が溶け合う映像世界です。霧に包まれた湖、廃屋から広がる夢のような庭園。

かんとくさん

あの琵琶湖の霧のシーン、じつはスタジオの水槽ロケだよ~

どのカットも日本画のように美しく、同時に不穏な空気をまとっています。踏みにじられながらも夫を想い続ける女性たちの存在も強烈で、「欲を追ったのは誰で、代償を払うのは誰か」がはっきりしていきます。

撮影の宮川一夫いわく、『雨月物語』では全ショットの「7割くらいクレーンを使った」とのこと。あのスルスル横にも縦にも流れていくカメラは、幽霊と生身の境目が溶けていく世界観を出すための計算された動き。

あおい

普段あまり褒めない溝口が、この作品だけは宮川のカメラワークを珍しく褒めたようですね

欲望そのものが悪いのではなく、大事なものを見失うほどの欲が人を滅ぼすということです。

金や出世を求める気持ちは理解できますが、その熱に浮かされて家族の恐怖や孤独に気づかない。現代の私たちにも「どこまでなら追いかけてもいいのか?」と問いかけてくる作品です。

イタリア旅行

画像引用元:映画.com

(NO.0273)

監督:ロベルト・ロッセリーニ

97分/イタリア
原題または英題:Viaggio in Italia
配給:大映

冷え切った夫婦がイタリアを訪れる物語です。ロンドンに住むキャサリンとアレックスは、ナポリ近くの別荘を売るためにイタリアへ。しかし二人の結婚生活は危機的状況で、一緒にいても会話はほとんどありません。

妻は一人で博物館や遺跡を見て回り、夫は社交や遊びに時間を使います。美しいナポリの風景や古代遺跡が、かえって二人の心の距離を浮き彫りにしていきます。

イングリッド・バーグマンとロッセリーニは、この作品の頃にはすでに結婚生活がかなりギスギスしていたと言われています。批評でも、「冷え切った夫婦を演じる2人の距離感に、プライベートの緊張が透けて見える」とよく書かれます。

ポンペイで発見された石化した遺体や、宗教行列の熱気に触れるうち、二人は自分たちの関係と向き合わざるを得なくなります。

公開当時はイタリアで不評でしたが、フランスの映画批評家たちが「現代映画の始まり」と絶賛しました。

かんとくさん

『ストロンボリ』『ヨーロッパ一九五一年』に続く、バーグマン主演「旅の三部作」の3本目がこの『イタリア旅行』だよ

あおい

見知らぬ土地に行った女性が、精神的に揺さぶられるという共通テーマがあります

旅行は景色を見るだけでなく、パートナーとの関係を見つめ直す機会にもなるということでしょうね。

忙しさの中で会話を忘れてしまった夫婦が、異国の地でようやく本当の気持ちに向き合う姿は、現代の私たちにも響くメッセージといえるのかもしれません。

イザベラ・ロッセリーニ自身が「ポンペイで、母が抱き合ったカップルの遺体を見て泣き出すシーンは、愛と死を同時に見てしまうから、今観てもすごく心を動かされる」と語っています。

シェーン

画像引用元:映画.com

(NO.0274)

監督:ジョージ・スティーヴンス

118分/G/アメリカ
原題または英題:Shane
配給:モービー・ディック

西部劇の最高傑作の一つと言われます。

謎の流れ者シェーンが、ワイオミングの谷で開拓農民の家族と出会います。シェーンはスタレット一家の農場で働き始めますが、土地を狙う大牧場主との対立に巻き込まれていきます。少年ジョーイはシェーンに憧れ、妻マリアンも彼に心を動かされます。牧場主が雇った凶悪なガンマン、ウィルソンが農民を脅し始めると、シェーンは再び銃を取る決断を迫られます。

現代の個人サイトの映画ランキングでも、頻繁にあがってくる作品でもあります。

見どころは、派手な銃撃戦よりも、平和に暮らしたいのに暴力の世界から逃れられない男の悲しさです。

かんとくさん

用心棒ウィルソン役のジャック・パランス、馬に乗れなさすぎて逆再生トリックを使ったんだよ

シェーンは普通の生活を望みますが、誰かを守るため、やむを得ず銃を取ります。ラストシーンで少年ジョーイが「シェーン、カムバック!」と叫ぶ場面は名場面ですね。

ジョーイの前でのデモ射撃や決闘シーンの銃声は、監督スティーヴンスが大口径の銃をゴミ箱に撃ち込んで録音した特製SE。さらに撃たれる側の俳優にワイヤーを仕込んで、発砲と同時に後ろへガンッと引っ張ることで、当時としてはかなり痛そうな暴力描写になりました。

正義を貫くことは、同時に孤独を受け入れることでもあるということです。

シェーンは人々を救いますが、そのあと自分は去らなければなりません。誰かのために何かを犠牲にする勇気と、その代償について考えさせられる作品です。

紳士は金髪がお好き

画像引用元:映画.com

(NO.0275)

監督:ハワード・ホークス

91分/G/アメリカ
原題または英題:Gentleman Prefer Blondes
配給:東京テアトル

マリリン・モンローとジェーン・ラッセルが共演した華やかなミュージカル・コメディです。ショーガール2人の恋と友情を描いた作品で、お金持ちの男性を狙うローレライと、恋愛重視のドロシーが、フランスへの船旅で巻き起こす騒動を楽しく描きます。婚約者の父親に雇われた探偵や、富豪の紳士たちが絡み、2人は歌って踊りながらピンチを切り抜けていきます。

かんとくさん

マリリン・モンローとジェーン・ラッセルが共演した長編映画は、実はこの作品だけなんだ

モンローとラッセルの輝く魅力に支えられた、楽しい1950年代ミュージカルと評されています。

近年では、単なる「お金目当ての女性の話」ではなく、「女性同士の友情と連帯を描いた作品」と言われるようになりました。

最大の見どころは、モンローがピンクのドレスで歌う「Diamonds Are a Girl’s Best Friend」のシーンです。この場面は名シーンとなり、後の多くの作品に影響を与えました。2人が互いを批判せず、最後まで助け合う姿勢も印象的です。

あおい

映画版ではブロードウェイ版よりナンバーが間引かれて、意外と歌が少ないミュージカル映画になっています

愛もお金も、どちらか一方だけでは幸せになれないということです。

ローレライとドロシーはそれぞれ違う価値観を持っていますが、お互いを尊重し合います。華やかな歌とダンスを楽しみながら、自分にとって大切なものは何かを考えさせてくれる作品です。

公開直前の1953年6月、宣伝を兼ねて2人はグローマンズ・チャイニーズ・シアターで手形・足形セレモニー。ニュース映画は2人を「映画界初のブロンドとブルネットの女王」と紹介し、モンローは自分の名前の“i”の点にラインストーンを埋め込むという小ワザをかましています。

ローマの休日

画像引用元:映画.com

(NO.0276)

監督:ウィリアム・ワイラー

118分/G/アメリカ
原題または英題:Roman Holiday
配給:TCエンタテインメント

1日だけ自由を味わった王女と新聞記者の、切ないロマンティック・コメディです。

あおい

日本においては、モノクロ作品で一番有名な作品と言えるかもしれませんね

ヨーロッパ親善旅行でローマを訪れたアン王女は、きびしいスケジュールに疲れ、夜中に宮殿を抜け出します。薬で眠ってしまった彼女を見つけたのが、アメリカ人記者ジョー。翌朝、彼女が王女だと気づいたジョーは、スクープ目当てに「知らないふり」をしてローマ観光に誘います。

脚本の元ネタを書いたのは、後に映画『トランボ』にもなる名脚本家ダルトン・トランボ。でも当時は赤狩りでハリウッドから追放されていて、名前が出せず、友人イアン・マクレラン・ハンター名義でオスカー受賞。のちにライターズギルドが正式にトランボのクレジットを回復した、というかなりドラマチックな裏話があります。

真実の口、ベスパでの暴走、夜のダンスパーティ。2人はローマの名所を巡りながら、1日だけの自由と恋を楽しみます。チャーミングで時代を超えたロマンスと言える作品で、オードリーはこの作品でアカデミー主演女優賞を受賞しました。

かんとくさん

オードリーは初主演でいきなりオスカーとっちゃった

見どころは、楽しい観光シーンと、やがて訪れる別れの予感のバランスです。ジョーは最初は記事目当てでしたが、アンの素直さに心を動かされます。一方、アンはこの楽しい時間が永遠には続かないと理解しています。

契約上、グレゴリー・ペックだけがタイトル前にクレジットされるはずだったのに、撮影中にペックが「この映画はオードリーのものだ。自分と同格の扱いにしてくれ」と監督に提案。結果、ほぼ無名だったヘプバーンがいきなりペックと並ぶトップビリングに。

最後の記者会見での2人の表情は、ハッピーエンドとは違う形で深く心に残ります。

夢のような1日が、現実を生きる力をくれるということです。

アンは逃げ続けるのではなく、1日だけ自由を味わい、自分の責任ある場所へ戻ることを選びます。時には息抜きも必要だけれど、そこから得た思い出が、明日からの毎日を少し変えてくれる。そんなやさしさと切なさが詰まった作品です。

復讐は俺に任せろ

画像引用元:映画.com

(NO.0277)

監督:フリッツ・ラング

89分/アメリカ
原題または英題:The Big Heat
配給:コロムビア映画会社

正義と復讐の境界線を描いた骨太なフィルム・ノワールです。

刑事バニオンは、警官の自殺事件を調査するうち、街を支配するギャングと汚職警官の存在に気づきます。捜査を続けた結果、自宅の車に仕掛けられた爆弾で妻を失い、彼は警察を辞めて一人で復讐に乗り出します。その過程でギャングの情婦デビーと協力することになり、物語は暴力と正義の危うい境界を進んでいきます。

映画は『サタデー・イブニング・ポスト』連載のウィリアム・マギヴァーン原作がベース。最初に企画したプロデューサーは、主役にポール・ムニ、ジョージ・ラフト、エドワード・G・ロビンソンあたりを想定していたらしくて、かなり「ザ・ギャング映画」っぽいキャスティング案でした。

ラングが冷徹な力強さで描く、陰鬱なノワールの傑作といえます。

見どころは、熱いコーヒーを顔に浴びせる有名なシーンに代表される、生々しい暴力描写です。しかしそれ以上に印象的なのは、バニオンの幸せな家庭シーンと、その後の悲劇の対比です。

正義のために戦うバニオンですが、その行動が周囲の女性たちを巻き込んでいく様子も描かれ、「誰が本当の破壊者なのか」を問いかけます。

グロリア・グレアムは上唇が薄いことを気にして、撮影中にコットンやティッシュを唇と歯の間に詰めていました。複数の共演者がキスシーンで濡れた紙を口の中に発見しました。1940年代半ばから複数回の整形手術を受け、その結果上唇が麻痺してしまいました。

正義も復讐も、やり方を間違えれば同じ暴力になるということです。

バニオンは悪と戦いながら、自分自身も冷酷さに染まっていきます。理不尽なものと戦いたい気持ちと、そこに巻き込まれる人々とのバランスをどう取るか。この問いは現代にも通じるテーマです。

悪魔をやっつけろ

画像引用元:Rotten Tomatoes

(NO.0278)

監督:ジョン・ヒューストン

89分/イタリア・アメリカ・イギリス
原題または英題:Beat the Devil

配給:松竹洋画部

舞台はイタリアの小さな港町。かつて裕福だったアメリカ人ビリーと妻マリアは、アフリカのウラン鉱区を不正に手に入れようと企む怪しい仲間たちと、船の出航を待っています。そこに現れた英国人夫婦チェルム夫妻も巻き込まれ、互いに嘘をつき合いながら、小さな事件を繰り返していきます。

撮影中にボガートが交通事故で前歯のブリッジを失ってしまい、一時まともにしゃべれなくなります。その穴を埋めるため、まだ無名だった声マネ芸人ピーター・セラーズが呼ばれ、一部のセリフをアフレコでボガートの声マネしてます。

見どころは、ボガート、ジェニファー・ジョーンズ、ジーナ・ロロブリジーダ、ピーター・ローレ、ロバート・モーレイといった豪華キャストが、楽しそうに「ろくでもない大人たち」を演じているところです。

トルーマン・カポーティが撮影しながら書いた脚本は、物語の緊張感よりも、ひねくれた会話のやり取りを重視していて、独特のゆるい雰囲気を生み出しています。

トルーマン・カポーティは、ホテルでその日の朝にシーンを書いて、現場に持ってくるスタイルだったと言われています。原作はわりとシリアスなスリラーだったのに、カポーティとヒューストンが「真面目にやるの飽きた」となり、撮影しながらどんどんパロディ方向に脱線していった結果があのトーン。

かんとくさん

実は『マルタの鷹』のセルフ・パロディでもあるんだ

人間の欲や野心は、案外いい加減でおかしなものだということです。

登場人物たちは大きな計画を立てていますが、実際にやっているのは噂話や色恋ばかり。人生の計画も、ふたを開ければこんなものかもしれません。

シリアスなサスペンスではなく、ボガートたちのゆるい雰囲気に付き合う90分と考えると楽しい作品といえるのではないでしょうか。

あおい

パブリックドメイン落ちで長年ひどい版しか見られなかったけど、4Kレストアが出て本来のカオスがかなり戻っている作品になっています

1954年

1954年を象徴するイメージ画像を、明るく前向きな気持ちになれるようにしました。

波止場

画像引用元:Rotten Tomatoes

(NO.0279)

監督:エリア・カザン

108分/アメリカ
原題または英題:On the Waterfront
配給:コロムビア映画会社

腐敗した労働組合とギャングに支配された港で、良心と向き合う男を描いた傑作ドラマです。

ニュージャージー州ホーボーケンの港で働く元ボクサーのテリー・マロイは、組合幹部ジョニー・フレンドリーの手下として生きてきました。ある夜、組合に逆らった仲間をおびき出す役目を負わされ、その男が殺されてしまいます。やがて、亡くなった男の妹イディや神父との出会いを通じて、テリーは「沈黙を守るか、真実を証言するか」の選択を迫られます。

この映画は実際のニューヨーク港湾労働者の腐敗を告発した記事に着想を得た作品です。アカデミー賞では作品賞、監督賞、主演男優賞など8部門を受賞。

監督エリア・カザンは、赤狩り時代に実際に議会で同業者の名前を挙げたことで、今も評価が割れる人物。その彼が、「腐敗組織に立ち向かうために証言する男をヒーローとして描いた」のがこの『波止場』で、「自分の告発を正当化するための映画であるとも言えるのです。

見どころは、兄チャーリーとの車中の会話です。「俺だってもっと違う人生を送れたんだ」というテリーの言葉は、負け続きの人生を引き受けてきた男の悔しさがあふれる名場面といえるのです。

公園でテリーとイディが話しているとき、イヴァ・マリー・セイントが手袋をうっかり落としてしまい、ブランドがそれを拾って自分の手にはめる──という一連の動きは、台本にない完全なハプニングです。

あおい

ブランドがそのまま即興で続けたのをカザンが気に入り、採用されました

正しいことをする勇気は、立派な人だけのものではないということです。

テリーは最初から正義感のヒーローではなく、流されて生きてきた普通の男です。それでも、自分がしたことと向き合い、「このまま黙っていたら一生自分を許せない」と気づきます。

たとえ遅くても、小さな一歩を踏み出すことで周囲を変えることができる。そんな希望を与えてくれる作品なのです。

画像引用元:映画.com

(NO.0280)

監督:フェデリコ・フェリーニ

108分/イタリア
原題または英題:La strada
配給:コピアポア・フィルム

貧しい家庭で育ったジェルソミーナは、旅芸人のザンパノに売られます。荒くれ者のザンパノは大道芸人として各地を回り、ジェルソミーナは彼の助手として太鼓を叩き、ラッパを吹く仕事を覚えていきます。しかしザンパノは酒に溺れ、女性に乱暴で、ジェルソミーナの気持ちを踏みにじり続けます。やがて二人はサーカス団に加わり、綱渡り芸人「愚者」と出会います。この出会いが、三人の運命を大きく変えることになります。

1954年のヴェネチア映画祭では賛否両論を呼び、銀獅子賞を受賞しました。その後、1957年のアカデミー賞で競争部門として初めて設けられた外国語映画賞を受賞し、国際的な評価を確立しました。多くの映画監督が生涯ベスト作品の一つに挙げています。

修道院のシーン撮影中にマシーナが足首を脱臼し、撮影は一時中断。その隙にデ・ラウレンティスは「やっぱり別の女優に…」と本気で差し替えを狙います。ところがパラマウントの重役がラッシュを見てマシーナを絶賛し、一転して専属契約だ!と態度急転。

日本でも、映画好きな人は大抵、この映画で涙していますよね。

この映画の最大の見どころは、寓話のようなシンプルな物語でありながら、深い人間性が描かれている点です。ニーノ・ロータの音楽に乗せて、イタリアの荒れた海辺や村をさまよう彼らの姿は、美しくも切ないロードムービーになっています。

かんとくさん

雪景色は本物ではなくベッドシーツの上にせっこうの粉をまいた手作りの雪だったんだ

特に愚者がジェルソミーナに語る「小さな石ころにも意味がある。あなたにも役目がある」という言葉は、この映画の核心を表す名セリフとして知られています。

群衆シーンのエキストラが足りず困ったスタッフは、ロケ地の神父さんに頼み込んで、町の守護聖人のお祭りの日付を数日早めてもらうことに成功。その結果、約4,000人の地元民がタダで参加してくれて、あの大人数ショットが撮れたそうです。

どんなに弱く見える人にも、この世界での役目があるということを教えてくれます。

ジェルソミーナは利用され、傷つき、最後には一人残されますが、彼女の存在はザンパノの心を確実に変えます。自分がしたことの重さに気づいた彼が、海辺で初めて声を上げて泣く場面は、「救い」と「取り返しのつかなさ」が同時に押し寄せる瞬間です。

私たちが誰かをぞんざいに扱いそうになったとき、この映画を思い出せば、立ち止まることができるかもしれません。

悪魔のような女

画像引用元:Rotten Tomatoes

(NO.0281)

監督:アンリ=ジョルジュ・クルーゾー

114分/フランス
原題または英題:Les Diaboliques

配給:東和

※本作は1954年に完成・賞レース入りし、劇場公開は1955年。ここでは製作年に合わせて「1954年の一本」として扱っています。

フランスの寄宿学校を舞台にした物語です。暴力的で女癖の悪い校長ミシェルに苦しめられている妻クリスティナと、彼の愛人である教師ニコル。二人は妻と愛人という立場を超えて手を組み、ミシェルを殺害する計画を立てます。

バスタブで溺死させた彼の遺体を学校のプールに沈めて事故に見せかけますが、後日プールの水を抜くと、なぜか遺体が消えています。そこから説明のつかない不気味な出来事が次々と起こり、二人の心は徐々に追い詰められていきます。

元になった小説『彼女がいなかったとしたら』では、犯人コンビは男女ではなく女性同士の恋人で、動機も保険金詐欺寄り。クルーゾーは、舞台を寄宿学校に変え、妻と愛人のコンビにし、最後に刑事が真相を暴く構成へと大胆に翻案しています。

かんとくさん

原作は、保険金サギとレズビアンの設定だったんだよ

原作はボワロー=ナルスジャックのサスペンス小説で、クルーゾー監督がヒッチコックよりわずか数時間早く映画化権を獲得したという有名な逸話があります。ヒッチコック作品に匹敵する残酷で暗いが見事なスリラーと評されています。

この映画の見どころは、「見せすぎない恐怖」です。腐った魚を無理やり食べさせる屈辱的な食堂の場面や、校内のどこかにあるはずの遺体を探し回る不安、何気ない廊下や水面のショットに潜む違和感など、血しぶきではなく心理的な圧迫感で観客をじわじわと怖がらせます。

エンドロール前に、わざわざテロップで
「悪魔的にならないで! 友人の楽しみを壊さないで。今見た結末は口外しないように」
と観客にお願いする演出が入ります。

あおい

エンディングでネタバレ禁止を公式要請した先駆け映画なんですね

妻と愛人、教師と生徒、権力者と被害者という関係性を少しずつ覆していくのです。

被害者と加害者は立場ひとつで簡単に入れ替わるということを痛感します。

二人の女性は確かにミシェルの被害者ですが、彼を殺そうと決めた瞬間から、自分たちも別の加害の物語に足を踏み入れてしまいます。正当な怒りや復讐心であっても、それをどう扱うかで、自分が何者になってしまうのかが変わる。そんな人間の複雑さを味わえる一本です。

スプラッタではない本格派の心理サスペンスを観たい人には、特におすすめの作品です。

スタア誕生

画像引用元:Rotten Tomatoes

(NO.0282)

監督:ジョージ・キューカー

155分/アメリカ
原題または英題:A Star Is Born
配給:ワーナー・ブラザース映画

無名の歌手エスター・ブロジェットは、落ち目の映画スター、ノーマン・メインと出会います。泥酔して舞台に乱入したノーマンを機転で救ったエスター。彼女の才能に惚れ込んだノーマンは、映画界へ彼女を導き、やがてエスターは「ヴィッキー・レスター」という名の大スターになっていきます。

しかし彼女の成功とは裏腹に、ノーマンは酒とスキャンダルで仕事を失い、キャリアもプライドも崩れていきます。二人の愛は、名声という光と影にさらされ続けます。

AFIの「史上最高のミュージカル」第7位、「The Man That Got Away」は映画音楽ベスト100で11位にランクインするなど、今も高い評価を得ており、ドラマとミュージカルを完璧に融合した作品と言えます。

試写版はなんと196分、ニューヨーク・プレミア版でも約181〜182分あったのに、興行回転を上げたいワーナーが、キューカーのいないところで154分まで強行カット。重要なドラマとミュージカルがごそっと消されて、ジョージ・キューカーは「見ると胸が痛む」と語ってます。80年代のAFIレストアでようやくかなり戻ったけど、完全版は今も失われたまま。

見どころは、ステージ上の華やかさと楽屋裏のボロボロな現実のコントラストです。ガーランドが全てをかけて歌うシーンや、長大なショー場面などは単なる見せ場ではなく、彼女自身の人生と重なる告白のように響きます。

一方で、授賞式での泥酔乱入やアルコール依存症との闘いなど、ノーマンの自己破壊の過程は痛々しいほど生々しく描かれます。華やかなサクセスストーリーでありながら、それと同じ力で人を壊していく「名声の毒」もしっかり描いています。

カフェの場面で、酔っぱらい客が「“Melancholy Baby”をやってくれ」とリクエストする声、あれハンフリー・ボガートの声だと言われてます。

アシスタント

ノンクレジットだけどなかなかすごいです

誰かの成功の影には見えない犠牲があるということです。

エスターはノーマンのおかげでスターになりますが、同時に彼の没落を目の当たりにし、自分の夢と彼への愛のどちらを優先するかで揺れ続けます。夢を追うこと、誰かを支えること、自分のプライドを守ること、その全部は抱えきれないかもしれません。

それでも、相手の人生を思って選ぶ一手があるということを突きつけてくる作品と言えるのです。

裏窓

画像引用元:Rotten Tomatoes

(NO.0283)

監督:アルフレッド・ヒッチコック

113分/G/アメリカ
原題または英題:Rear Window

配給:パラマウント映画

足を骨折して自宅療養中のカメラマン、ジェフは、退屈しのぎにアパートの裏庭に面した窓から双眼鏡で向かいの住人たちの暮らしをのぞき見しています。やがて、セールスマンの夫婦の部屋で何かがおかしいことに気づきます。

妻の姿が消え、夜中の怪しい外出、包みを運ぶ男、ジェフは「殺人事件が起きたのでは」と確信し、恋人のリサや看護師ステラを巻き込んで、部屋から一歩も出ずに推理と証拠集めを始めます。

映画はすべてスタジオ内のたった一つのセットで撮影。その中身がえぐくて、幅約30m×奥行き約56m×高さ約12mの巨大セットに31戸のアパートが並び、そのうち8〜12戸は水道・電気付きで実際に生活できるレベルで作り込まれていました。ヒッチコック作品の中でも、セット費用が最大級の一本です。

かんとくさん

住人たちは、本当に部屋で生活していたんだよ

サスペンスの可能性を極限まで引き出した傑作と言われており、日本でも知名度は高く多くの映画監督が、この作品からインスピレーションをもらいました。

見どころは、ほぼ一つの部屋から見える景色だけで最後まで引っ張る構成です。

ヒッチコックは、パラマウントのスタジオ内に巨大な中庭セットを組み、そのすべてをジェフの部屋からの視線だけで見せていきます。

観る者は彼と同じように窓越しに人々の生活をのぞき見し、「本当に殺人はあったのか」「自分はただの覗き魔ではないのか」と揺さぶられていきます。ミステリーとしての面白さはもちろん、隣人たちの小さなドラマが自然に絡み合い、意外な形で感情的なカタルシスにつながります。

映画のほとんどで超エレガントなドレスやスカート姿だったリサが、ラスト直前だけジーンズ風のカジュアルスタイルになるのは、ヒッチコックのアイデア。アウトドア派のジェフのタイプに合わせて、「この人、ちゃんと山ガールもできますよ」とアピールするために、あえて本のカバーをファッション誌→山岳雑誌へとすり替える演出まで仕込んでいます。

あおい

ラストはちゃんと意味があったのですね

「見ること/見られること」の倫理について考えてしまいます。

ジェフは退屈しのぎで他人の生活をのぞきながら、いつの間にか事件に巻き込まれ、自分の視線の責任を問われる立場になります。

他人のSNSやゴシップをのぞき見している現代の私たちにも、「その好奇心はどこまで許されるのか」と静かに問いかけてきます。スリルとロマンスとユーモアを楽しみつつ、気づいたら自分がやっている行動は本当に正しいのか?そんなことまで見直したくなるような作品です。

公開当時、イギリスの『オブザーバー』紙の批評家が、『裏窓』を「男が窓から他人を覗くだけのひどい映画」と酷評しました。

かんとくさん

それに対しヒッチコックは「人は誰でも覗きたい衝動を持っている、その事実を映画にしただけだ」と反論したんだよ

夏の嵐

画像引用元:Rotten Tomatoes

(NO.0284)

監督:ルキノ・ヴィスコンティ

125分/イタリア
原題または英題:Senso

配給:NCC

1866年、イタリアとオーストリアの戦争が続くヴェネツィア。オペラハウスで始まる物語の主人公は、貴族の伯爵夫人リヴィアです。彼女は敵国オーストリアの若い将校フランツと恋に落ちてしまいます。

祖国のために戦う従弟とは対照的に、フランツは遊び好きで臆病な男。それでもリヴィアは彼への激しい恋に溺れ、ついにはイタリア軍のための資金まで彼に渡してしまいます。自分の立場も祖国も裏切る行為でした。やがて戦況が変わるにつれ、二人の関係も崩れていき、悲劇的な結末を迎えます。

フランツ役のファーリー・グレンジャーは、イタリア語がほぼ話せなかったので、本国公開版ではセリフがすべてイタリア人声優による吹き替え。顔はハリウッド、声はローマという、当時のイタリア映画あるある状態です。

この映画は、監督ルキノ・ヴィスコンティが貧しい人々の暮らしを描くネオリアリズモから、豪華絢爛な衣装劇へと大きく方向転換した作品です。

見どころは、オペラのように情熱的な映像表現です。ヴェルディの『トロヴァトーレ』で始まるオペラハウスの場面から、豪華な宮殿、戦場まで、すべてが絵画のように美しく撮られています。その中で、リヴィアの激しい感情と自己欺瞞が描かれていきます。

リヴィアの別荘として登場する荘園は、実在のパラーディオ建築ヴィッラ・ゴーディ。現在は一般公開されていて、「ヴィスコンティのロケ地」として公式サイトでもアピールされています。

かんとくさん

この作品、当時のイタリア映画としては破格の製作費がかかっていたようなんだ

「理想」と「本音」がぶつかったとき、人はどこまで自分に嘘をつけるのか、ということを考えてしまいます。

リヴィアは自分を「愛に生きた女性」だと思い込もうとしますが、実際には相手の弱さや卑劣さから目をそらし続けた結果、取り返しのつかない過ちを犯します。情熱は悪いことではありません。しかし、見たくない現実から逃げる言い訳に情熱を使うと、自分も周りの人も深く傷つけてしまうのです。

そんな人間の弱さを、この映画は厳しく描き出しているのです。

逮捕命令

画像引用元:Rotten Tomatoes

(NO.0285)

監督:アラン・ドワン

80分/アメリカ
原題または英題:Silver Lode
配給:RKOラジオ映画

舞台は小さな町シルバー・ロード。独立記念日に、町の人気者ダン・バラードが結婚式を挙げようとしたまさにその時、連邦保安官を名乗るマッカーティという男が仲間3人と現れ、「バラードは過去に殺人と窃盗を犯した」と逮捕状を突きつけます。

最初は町の人々もダンを信じますが、マッカーティの巧みな話術と状況証拠が重なるにつれ、「もしかして彼が本当に犯罪者なのでは?」と空気が一変していきます。ダンは自分の無実を証明しようと必死で動きますが、一歩進むごとに町の人々の視線は冷たくなっていきます。

かんとくさん

酒場の女ドリーを演じているドロレス・モランは、この映画のプロデューサーであるベネディクト・ボギオスの妻だよ

この映画は当時のアメリカで吹き荒れた「赤狩り」(共産主義者を疑って追放する運動)への批判として作られました。悪役の名前が「マッカーティ」なのは、実在の政治家ジョセフ・マッカーシーへのあてこすりで、集団心理の恐ろしさをえぐる作品といえるのです。

見どころは、「正義」という看板を掲げた暴力が、いかに簡単に人の心を変えてしまうかを、リアルタイムで描き切る構成です。物語はほぼ一日の出来事で、祝祭の広場から教会、酒場、屋根の上へと、ダンが追い詰められていく様子が描かれます。

証拠を確かめる前に「空気」で人を裁いてしまう危うさについて考えさせられます。

最初はダンを信じていた人たちが、「もし本当に犯人だったら自分が責められるかも」という不安から、少しずつ距離を置き始めます。

誰もが少しずつ責任を避けた結果、一人の人間があっという間に「敵」にされてしまう。この構図は、職場の評判、ネットの炎上、噂話に振り回される現代社会にもそのまま当てはまります。

公開時のニューヨーク・タイムズ評は、「意味のない茶番」「子どもがピストルごっこしたくなる程度の作品」と辛辣。ところが後年、マーティン・スコセッシがアメリカ映画史ドキュメンタリーの中で、「マッカーシズムを正面から批判した大胆な西部劇」と高く評価し、一気に「再評価枠」へ。ゴリゴリの掌返しです。

裸足の伯爵夫人

画像引用元:Rotten Tomatoes

(NO.0286)

監督:ジョセフ・L・マンキウィッツ

128分/アメリカ
原題または英題:The Barefoot Contessa
配給:UA日本支社=松竹

スペインのダンサー、マリア・ヴァルガスが一夜にしてハリウッドスターとなり、やがて貴族の伯爵夫人になるまでを描いた物語です。映画は彼女の葬儀から始まり、かつて彼女と関わった人々がそれぞれの視点で彼女の人生を振り返っていきます。

語り手の中心は、落ちぶれた映画監督ハリー。彼の目を通して、マリアを「発見」した強欲なプロデューサー、宣伝マン、富豪のプレイボーイたちの姿が描かれます。

かんとくさん

マンキウィッツは当初、無名の新人をスターにする映画にしたいと考えていたみたいだよ

裸足で土の感触を確かめることが好きだった素朴な女性が、いつしかハリウッドの「神話」となり、自分自身を見失っていく様子が、美しくも苦い物語として展開されます。

鋭い人物描写と毒のある会話が心地よく、冷徹にハリウッド批判をしています。監督のジョセフ・L・マンキウィッツは、金とエゴに支配された映画産業の裏側を容赦なく描きました。

見どころは、アヴァ・ガードナー演じるマリアの存在感です。彼女は成功よりも「自分を本当に理解してくれる相手」を求め続けますが、周囲の人々は彼女を「物語」や「商品」として消費していきます。マリアの声は最後まで届ききらず、彼女の人生は常に他人によって語られるのです。

劇中に出てくるアヴァ・ガードナーの像は、ブルガリア出身の彫刻家アッセン・ペイコフによるもの。撮影後、この像はフランク・シナトラが買い取り、ロサンゼルスの自宅の庭に飾っていたと言われています。

誰の物語として生きるのか?ということを考えさせられます。

キャリアや評判、他人の期待に振り回されているとき、私たちは自分自身の声を見失っていないでしょうか。裸足になれる場所、つまり本当の自分でいられる場所を持つことの大切さを、この映画は教えてくれるのです。

七人の侍

画像引用元:映画.com

(NO.0287)

監督:黒澤明

207分/G/日本

原題または英題:Seven Samurai
配給:東宝

戦国時代の貧しい村が、収穫期に押し寄せる野武士たちに怯えています。村人たちは「食事だけでいいから」と、村を守ってくれる侍を探すことにします。やがて集まったのが、リーダー役の冷静な勘兵衛を中心とした七人の侍たち。それぞれ性格も技も違う個性的な侍たちが、最初は疑い深い村人たちとぶつかりながらも、共に戦う準備を整えていきます。

1954年のヴェネチア国際映画祭で銀獅子賞を受賞し、その後も「史上最高の映画」ランキングの常連となっていて、日本を代表する映画としてもよくあげられる作品でもあります。

あおい

日本では、名前は誰でも聞いたことあるという、日本映画の代表格ですよね

見どころは、迫力あるアクションと深い人間ドラマの両方が詰まっているところです。村に近づく敵を一人ずつ罠にかける戦術シーン、雨と泥の中で繰り広げられる圧巻のクライマックスなど、戦闘シーンは今見ても圧倒的です。

『七人の侍』から、黒澤は長玉レンズ+3台同時撮影を多用するようになります。1台は正攻法、1台はアップ用、もう1台はゲリラカメラとして自由に動かす方式で、馬の足元すれすれまで潜り込むようなショットを実現。

おともだち

以降のアクション映画のお手本になったんだよね

武士と農民の階級の違い、若い侍と農民の娘の叶わない恋、そして「侍だって農民を搾取してきたじゃないか」と叫ぶ菊千代の言葉など、なぜ戦うのかをめぐる会話も印象的です。

勝利しても報われない者がいるという真実をつきつけます。

村は救われ、田畑に歌声が戻る一方で、侍は半数以上が命を落とし、生き残った勘兵衛は「またも負け戦よ。勝ったのはあの百姓たちだ」とつぶやきます。誰かの日常を守るための戦いは、必ずしも戦った者自身の幸福にはつながりません。

それでもなお、自分の力を誰かのために使うことに意味がある。そんな生き方のかっこよさを教えてくれる作品です。

アメリカ公開時、最初はなんと『The Magnificent Seven』というタイトルで上映されていました。その後、あの有名なリメイク西部劇『荒野の七人(The Magnificent Seven)』が出てきてややこしいので、元の『Seven Samurai』に戻された、というちょっと笑える経緯があります。

山椒大夫

画像引用元:Rotten Tomatoes

(NO.0288)

監督:溝口健二

125分/日本

原題または英題:Sansho the Bailiff
配給:大映

11世紀の日本。権力に逆らったために流罪となった父を訪ねて旅に出た子ども、厨子王と姉の安寿は、母と共に人買いにだまされ、離ればなれになってしまいます。二人は山椒大夫という残酷な領主の荘園で奴隷として働かされることになります。

成長した厨子王は、安寿の自己犠牲と父の教えを胸に、過酷な現実と向き合います。復讐に生きるのか、それとも父が教えた「慈悲」を選ぶのか。森鴎外の小説をもとにした、深く心に残る物語です。

日本では名作として知られつつ、英語圏では長らく正規DVDが出ず、2007年にようやくクリテリオンからDVD、2013年にBlu-rayが出るまでは、映画祭や古いプリントでしか見られませんでした。

この映画は1954年のヴェネチア国際映画祭で銀獅子賞を受賞。人間の残酷さと慈悲をこれほど深く描いた作品は今でも少ないです。

アシスタント

溝口81本目という狂気のキャリア後期作なんです

見どころは、残酷な状況を描きながらも、単なる悲劇で終わらせないところです。美しい湖や森を背景に、長回しのカメラが人々の姿を静かに追います。

特に、安寿と厨子王が別々の道を選ぶ場面や、ラストで厨子王が権力を手にした後に下す決断は、「正義とは何か」「父の教えをどう生きるか」という問いを観客に突きつけます。

残酷な社会の中でも、人間は慈悲を選ぶことができるということです。

理不尽な暴力に押しつぶされそうになりながらも、二人は父が残した「人は他人に対して情けを忘れてはならない」という言葉を胸に、苦しむ人々に寄り添う道を選びます。

決して派手ではありませんが、人の心に深く残る力だと教えてくれる作品なのです。

カルメン

画像引用元:IMDbより引用

(NO.0289)

監督:オットー・プレミンジャー

105分/アメリカ
原題または英題:Carmen Jones
配給:20世紀フォックス

ビゼーのオペラ「カルメン」を第二次世界大戦下のアメリカ南部に移し替え、すべての登場人物を黒人キャストで描いたミュージカル映画です。

米軍基地近くの工場で働く情熱的な女性カルメン・ジョーンズと、真面目な兵士ジョーとの恋が物語の中心です。婚約者がいながらカルメンの魅力に溺れていくジョーは、やがて軍務も規律も捨て、破滅的な道へと転がり落ちていきます。

かんとくさん

主演2人とも「歌ってない」カルメンだよ。劇中の歌は全曲吹き替えなんだ

主演のドロシー・ダンドリッジはこの作品でアカデミー賞主演女優賞にノミネートされ、黒人女性として初の快挙を達成しました。

見どころは、ダンドリッジ演じるカルメンの圧倒的な存在感です。自由奔放で男たちを翻弄しながらも、どこか自分自身からも逃げているような複雑さが鮮やかなカラー撮影と相まって印象に残ります。

ハリー・ベラフォンテ演じるジョーは、規律と欲望の板挟みになり、徐々に自滅していく悲劇的な男として描かれています。

この映画、なぜかフランスでは1981年まで正式公開NGでした。ビゼー側の著作権上の技術的な問題で、作曲家の遺族の申し立てによるもの。なのに1955年のカンヌ映画祭ではオープニング上映されていて、「映画祭ではOK、一般公開はダメ」という謎状態が長く続きます。

情熱そのものよりも「自分の欲望とどう向き合うか」が人生を左右するということです。

カルメンは責任を負わない自由を貫こうとし、ジョーは独占欲から彼女を追い詰めてしまいます。どちらも極端に振れることで、二人の関係は愛から破局へと変わっていきます。

華やかな歌と踊りを楽しみつつ、自由と責任について考えさせてくれる作品です。

大砂塵

画像引用元:Rotten Tomatoes

(NO.0290)

監督:ニコラス・レイ

110分/アメリカ
原題または英題:Johnny Guitar
配給:リパブリック日本支社=NCC

『大砂塵(だいさじん)』は、銃撃戦より女性同士の対立が怖い、異色の西部劇です。

あおい

西部劇のフェミニスト映画の発端とも言われています

舞台はアリゾナの辺境。町外れで酒場兼カジノを経営する女主人ヴィエナは、鉄道が通る未来を見越して土地を押さえた、やり手のビジネスウーマンです。

一方、牧場側の権力を握るエマは、ヴィエナへの嫉妬と憎しみから、彼女を「町の敵」と決めつけ、住民を扇動して私刑へと追い込もうとします。そんな中、かつての恋人で今は銃を捨てた流れ者ジョニー・ギターが戻ってきて、ヴィエナの味方として騒動に巻き込まれていきます。

原作小説『Johnny Guitar』を書いたロイ・チャンスラーは、出版時にこの本をジョーン・クロフォードに献呈していて、もともと彼女を念頭に置いたキャラクター作りだったと言われます。

マッカーシズム(赤狩り)への寓話でもあり、女性が主導する画期的な西部劇ともいえます。

見どころは、タイトルロールの男ジョニーではなく、ヴィエナとエマという二人の女性が物語を引っ張る点です。証拠もないのに「気に入らないから排除する」方向に暴走していくエマと町の群衆の姿は、西部劇の衣装をまとった魔女狩りやネットリンチそのものです。

「正義」を名乗る集団ほど危ういということです。

声の大きな誰かに乗せられて他人を悪者扱いしていないか、自分の恐れや嫉妬を「正義感」でごまかしていないか?そんな問いを、派手な色彩と大げさな感情表現に包んで投げかけてきます。

現代社会によく響く作品ですね。

地の塩

画像引用元:Rotten Tomatoes

(NO.0291)

監督:ハーバート・J・バイバーマン

94分/アメリカ
原題または英題:Salt of the Earth
配給:映画「地の塩」全国普及委員会

ニューメキシコ州の亜鉛鉱山で働くメキシコ系労働者たちのストライキを描いた社会派ドラマです。会社は危険な労働環境と白人労働者との差別的な待遇を改めようとせず、鉱夫たちは立ち上がります。

物語は鉱夫ラモンの妻エスペランサの視点で進みます。彼女は当初「夫に従うだけ」の妻でしたが、長期化する闘争を通して、次第に自分の声を持つ女性へと変わっていきます。

アメリカ国内の劇場公開はほぼ潰された一方で、メキシコやヨーロッパでは比較的ちゃんと公開され、労働映画・フェミニスト映画としてじわじわ支持を集めました。のちにチカーノ映画やフェミニズム映画の古典として語られるように。

やがて裁判所命令で男性のピケが禁じられると、今度は妻たちが先頭に立ってデモ行進を引き継ぎ、闘いは「男女平等と尊厳を求める運動」へと広がっていきます。

ピケとは、裁判所が「男たちは工場前でのデモ・見張り(ピケ)をやっちゃダメ」と命令したという意味です。

本作は、マッカーシズム下でブラックリストに載せられた監督ハーバート・J・バイバーマンらが、実際の帝国亜鉛社ストライキをモデルに、地元の鉱夫やその家族を多数出演させて撮り上げた異色作です。

『地の塩』は、ハリウッド史上ほぼ唯一、「作品そのもの」がブラックリスト入りした映画とされています。FBIが調査し、配給会社や映写技師組合まで上映を拒否する徹底ぶりで、「アメリカで正式に禁じられた唯一の映画」とも言われます。

あおい

唯一のブラックリスト映画と言われました

見どころは、イタリア・ネオレアリズモに影響を受けた、ドキュメンタリーのような質感です。

ほとんどが非プロ俳優で、実際の鉱夫やその妻たちが自分たちの闘いを演じているため、坑道やピケラインの空気が生々しく伝わります。特に、男たちが逮捕の危険を恐れて後ろに下がり、女たちが子どもを抱えながら前線に立つ場面は、今見ても心を打ちます。

かんとくさん

役者の大半は本物の鉱夫とその家族だったんだ

弱い立場とされてきた人たちこそ、世界を動かす力を持っているということです。

エスペランサは夫や社会から「黙って支える存在」と見なされていましたが、闘争の中で自分の意見を言い、対等であることを求めるようになります。

理不尽な職場環境や性差別にモヤモヤしている人ほど、この映画の怒りと連帯の温度に深く刺さるはずです。

掠奪された七人の花嫁

画像引用元:Rotten Tomatoes

(NO.0292)

監督:スタンリー・ドーネン

103分/アメリカ
原題または英題:Seven Brides for Seven Brothers
配給:MGM映画会社

1850年代のオレゴンを舞台にした痛快ミュージカルです。山奥で荒くれ兄弟6人と暮らす長男アダムは、町へ降りて一日でミリーというしっかり者の娘と結婚します。しかし家に連れて帰ると、そこには風呂もマナーも知らない弟たちがいました。

ミリーは怒りつつも兄弟たちに礼儀とダンスを教え込み、やがて納屋建てのパーティーで、それぞれ町の娘たちと恋に落ちます。ところがアダムが古代ローマの「サビーヌの女たち」の話を持ち出したことで、兄弟たちは本当に娘たちをさらってきてしまいます。雪崩で山は孤立し、長い冬のあいだ同じ屋根の下で暮らすうち、関係は少しずつ変わっていきます。

カラフルなワンピやエプロン、じつはデザイナーが教会やサルベーション・アーミーで集めてきた古いキルトを解体して作った衣装。だからあの「パッチワーク感のある田舎カワイイ」デザインになってます。

一番の見どころは、マイケル・キッド振付によるダイナミックなダンスシーン。特に納屋建てのシーンは、曲芸レベルのアクロバットと群舞が融合した名場面で、「歌って、飛んで、殴り合う」動くミュージカル絵巻になっています。

かんとくさん

大自然ミュージカルなのに、ほぼ全部スタジオ撮影なんだよ

雄大な山々と開拓地が印象的だけど、実はほとんどがMGMのスタジオ内セット+背景画。ロケは花嫁略奪&雪崩シーンなどごく一部だけで、色味もシネマスコープ+Anscoカラーで外ロケ風に調整されています。

現代感覚で見ると「略奪婚をロマンチックに描きすぎ」というツッコミどころもあります。それでもこの映画が今なお愛され続けているのは、粗野な兄弟たちがミリーの教育や花嫁たちとの共同生活を通して成長していく物語でもあるからです。

力ずくで奪う関係ではなく、一緒に暮らし、互いに歩み寄ることで初めて本当のパートナーになれるという、そんなメッセージが込められている作品です。

動物農場

画像引用元:Rotten Tomatoes

(NO.0293)

監督:ジョン・ハラス、ジョイ・バチュラー

74分/イギリス
原題または英題:Animal Farm
配給:三鷹の森ジブリ美術館

ジョージ・オーウェルの小説を映画化した、イギリス初の長編アニメーション映画です。お酒ばかり飲んでいる農場主ジョーンズに虐げられていた動物たちが、老豚メジャーの呼びかけで反乱を起こし、人間を追い出して自分たちの農場を作ります。

最初は「すべての動物は平等」という理想を掲げて、みんなで協力して働きます。しかし、リーダーになった豚のナポレオンが少しずつ権力を握り始めます。彼は犬を自分の兵隊にして、ルールをこっそり書き換え、ついには「すべての動物は平等だが、ある動物はもっと平等だ」という矛盾したスローガンまで作ってしまいます。

かんとくさん

原作の映画権利は、オーウェル未亡人から買ったのが実はCIAのフロント組織なんだよ

特に心に残るのは、働き者の馬ボクサーの運命です。

もっと働こうと必死に頑張りますが、最後は使い捨てにされてしまう。これは今の社会でも、真面目に働く人が報われないことがあるという現実を突きつけています。

動物たちのセリフや鳴き声は、ほぼ全部を俳優モーリス・デナムが一人で担当。ナレーションだけ別の人ですが、あとは豚も馬もロバも羊も、全部同じおじさんの芸。

かわいい動物のアニメに見えて、実は権力の恐ろしさを描いた大人向けの作品です。独裁者がどうやって生まれるのか、なぜ人々は疑問を持たなくなるのか。「立派な理想も、みんなが見張っていないと簡単にひっくり返る」という教訓は、学校でも職場でも、今の社会のどこにでも当てはまります。

あおい

公開当時は興行収入がふるわず、15年かかってようやく黒字化できました

昔の映画ですが、SNSで情報が操作される今の時代にこそ観る価値があります。自分の頭で考えることをやめたら、いつの間にか誰かに支配されているかもしれない。そんな警告を、シンプルな物語で伝えてくれる一本です。

こんなメッセージを50年代からすでに投げかけられていたのですね…..

まとめ

動物たちが仲良く、モノクロ映画を見ているシーンです。昔の映画ですがみんな楽しそうです。

この記事では、『死ぬまでに観たい映画1001本』のうち、1950年~1954年までの、50年代前半作品の概要をお伝えしました。

かんとくさん

会議をやっているんだけど話がまとまらないんだよなぁ

あおい

あらら、大変ですね。なんでまた?

かんとくさん

みんなそれぞれ羅生門みたいなこと言っているんだ

あおい

みんな違うことを言っているんですね

『死ぬまでに観たい映画1001本』の完全リストはこちらです。

50年代後半の概要はこちら

60年代の概要はこちら

『死ぬまでに観たい映画1001本』1960年代リスト(前編)

『死ぬまでに観たい映画1001本』1960年代リスト(後編)

70年代の概要はこちら

『死ぬまでに観たい映画1001本』1970年代リスト(前編)

『死ぬまでに観たい映画1001本』1970年代リスト(後編)

80年代の概要はこちら

『死ぬまでに観たい映画1001本』1980年代リスト(前編)

『死ぬまでに観たい映画1001本』1980年代リスト(後編)

90年代の概要はこちら

『死ぬまでに観たい映画1001本』1990年代リスト(前編)

『死ぬまでに観たい映画1001本』1990年代リスト(後編)

2000年代の概要はこちら

『死ぬまでに観たい映画1001本』1990年代リスト(後編)

『死ぬまでに観たい映画1001本』2000年代リスト(後編)

2010年代の概要はこちら

『死ぬまでに観たい映画1001本』2010年代リスト

2020年代の概要はこちら

『死ぬまでに観たい映画1001本』2020年代リスト

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この記事を書いた人

映画は人生の羅針盤を使うための大きなツールの一つです。
いい映画を紹介するというだけではなく、人生の考え方や人間関係などの悩みなどでお役に立てればと思っています。
映画はあなたの人生に必ず役に立てる時がありますので、いっしょに解決していきましょう。

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